第百四十四夜 岡本圭岳の「四月馬鹿」の句

 令和二年の今日、四月一日は西洋では万愚節(オール・フールズ・デー)と呼ばれる日。この日ばかりは罪のない嘘で人をかついでも許されるという風習があり、この日に騙された人のことを「四月馬鹿」「エイプリルフール」という。

 季語「四月馬鹿」を、俳句の先人たちはどのように詠んでいたか調べているうちに岡本圭岳に出合った。さらに圭岳とはどのような俳人かとネットで調べると、娘さんであり、現在「火星」主宰である山尾玉藻氏の書かれた「父岡本圭岳」という一文に出合った。
 なんと、圭岳の生まれた日が、〈四月馬鹿乃(すなわ)ち我の誕生日〉の作品の通りの四月一日であったのだ。
 次の作品は、講談社『カラー図説 日本大歳時記』の春の部の「四月馬鹿」の例句に見つけ。さらに、蝸牛社の『秀句三五〇選 母』伊藤敬子著にも含まれていた。

  四月馬鹿母より愚かなるはなし 『定本岡本圭岳句集』
 
 鑑賞を試みてみよう。
 
 四月一日が誕生日という圭岳である。子は母から生まれ、母に育てられ、朝から寝るまで毎日のように叱ってばかりいる。だが、父親から強く叱られたときには黙って見守ってくれるし、黙って庇ってもくれる。大きな願い事は息子の気持ちに沿うように応援してくれる。母は子が失敗をしても最終的にはいつだって味方でいてくれる。
 その母を、愚かな母と呼ぶであろうか。

 「母より愚かなるはなし」と圭岳は詠んだけれど、「今日はエイプリルフール・・!」という気持ちもあったのではないだろうか。
 私には、「愚か」の言葉が、反語である「だいすき」とか「いとおしい」と言っているように響く。昔気質の男たちは女房を「この馬鹿もん」などと言ったりする。圭岳は、明治生まれの人間らしく母への感謝を「四月馬鹿」の季語に託した。こうした軽い詠みぶりも、娘の山尾玉藻氏の指摘する、父圭岳俳句にある大阪人の「粋(すい)」であろう。

 岡本圭岳(おかもと・けいがく)は、明治十三年(1884)― 昭和四十五年(1970)、大阪府出身の俳人。明治二十二年、新聞『日本』や「ホトトギス」で正岡子規選を受け、上京して子規庵の句会に参加。「ふた葉」「車百合」などで活躍し、長い中断を挟んで大正十年、青木月斗の結社「同人」に参加。「同人」を辞したのち昭和十一年、「火星」を創刊・主宰。昭和十三年、上海などの大陸の部隊を訪問し、従軍句集『大江』を刊行。昭和二十一年、戦時に休刊していた「火星」を復刊。昭和二十八年、句集『太白星』。死後の昭和五十二年、『定本岡本圭岳句集』を刊行。

 戦前の「火星」には一時下村槐太、堀葦男、赤尾兜子、林田紀音夫など後に関西俳壇で活躍する俳人たちが集まった。圭岳の死後は妻の佐知子、ついで娘の山尾玉藻が主宰を継いでいる。