第百四十八夜 稲畑汀子の「朧夜」の句

  朧夜の水より覚めて来たる町 『汀子第三句集』

 鑑賞をしてみよう。

 「朧夜(おぼろよ)」は、朧月夜のこと。季題「朧」は、春の夜の、ものみな朦朧とした感じである。物の形や春の茫とした感じに用いる。
 この作品は、稲畑汀子氏が訪れた名古屋市の隣町の水郷蟹江の町の春の暁の景であるという。宿の朝食の前に水郷を散策した作者。

 昨夜は、朧月のどんみりした黄金色を水に落としていたのに、今朝の水郷はすっかり目覚めているという流れである。辺りはまだ寝静まっている中に水の流れる音だけが聞こえている。水郷は、朝焼けの色が映えて、流れ行くさざなみの音があった。そのとき汀子氏は、町は水から先に目覚めていると感受したのであろう。
 
 稲畑汀子(いなはた・ていこ)は、昭和九(1931)年、神奈川県横浜市生まれ。祖父高浜虚子、父高浜年尾に俳句を学ぶ。若い頃から句会に出るのが楽しくて褒められることが嬉しかったという。〈今日何もかもなにもかも春らしく〉など、明るく華やかで知性のあるひらめきが特徴。二代目「ホトトギス」の主宰であった父年尾の没後、三代目の主宰を継承。平成二十五年、四代目を息子・稲畑廣太郎に譲り、汀子は名誉主宰。昭和六十二年、日本伝統俳句協会を設立して、虚子の「俳句は花鳥諷詠詩」の精神を継承する。
 
 作品を紹介させていただく。
 
  空といふ自由鶴舞ひやまざるは 『汀子第二句集』

 この作品は、夫稲畑順三が亡くなったときの句である。鹿児島県出水市を訪れ、鶴の群舞をずっと眺めていたとき、「空を飛んでいる鶴のような自由な心を持とうと思った」と、のちに話している。
 夫の死の直前には父の年尾が亡くなり、汀子氏はひどく落ち込んでいた。父が亡くなったときに詠んだのが〈長き夜の苦しみを解き給ひしや〉である。大結社である「ホトトギス」を主宰してゆかねばならない汀子氏にとって、この二つの作品が、まさにターニングポイントとなったのであった。

  地吹雪と別に星空ありにけり 『汀子第二句集』

 掲句は、金子兜太監修・荒木清編集『日本の名俳句100選』の中の一句である。身を切るような北風が、降り積もった雪の表面を舞い起こし、地響きを立てながら、くり返し吹き抜けてゆく。眼を閉じ、襟を立て、ショールをきつく巻き直して、ふっと夜空を見上げると、そこには輝く星空があったのだ。
 この景は、地吹雪も星空も、すでに雪は止んでいた中である。「と別に」は「とは別に」という意になるが、絶妙な置き方である。

  三椏の三三が九三三が九 『さゆらぎ』 

 十七文字を追うだけでは分からなかった作品。上野の牡丹園で満開になる前の三椏(みつまた)の花に出会った。どの枝の先もさらに小枝が3本ずつ分岐して、小枝には蜂の巣のような小花がぶら下がっている。満開になる前であったので、名の由来の三つ又の形がよく見えた。この枝の形の不思議をじっと眺めていた汀子氏の頭に、「三三が九」「三三が九」が飛び込んできたのだ。なんと愉快な発想だろう。