第百四十九夜 吉井素子の「入学児」の句

 四月六日、例年であれば小学校と中学校では入学式が行われる日である。桜が満開であった一週間ほど前、守谷駅から近い古刹・西林寺の枝垂桜を見に行った。江戸時代には既に大樹であったという桜は、今年は樹木医の手が入って幹の一部が伐られていたが、残っている幹には莟が出て花も咲いていた。
 その枝垂桜の下で、ランドセルを背負った男の子の写真を撮っているお母さんと、それを見ているお兄ちゃんに出会った。「もうすぐ一年生ね。おめでとう!」と声をかけると、男の子は、「はい、ありがとうございます!」と、にっこりと挨拶を返してくれた。
 でも、今年の入学式は、世界中に蔓延したコロナの感染を危惧して学校によって対応はバラバラだ。どんな入学式を迎えたのだろう。
 
  よそ行きの母見上げゐる入学児 『空へ咲く』
  
 鑑賞をしてみよう。
 
 入学式の日、今日のお母さんは何だか違っている。今日のために用意したよそ行き姿のお母さんは、いつもよりうんときれいで、いつものように怒ったりしない。学校に着くまで、子はお母さんを見上げながら歩き、お教室にも一緒に入った。子どもたちは、名簿順に机に座る。お母さんたちは教室の後に立っている。
 担任の先生が入って来たけれど、子どもたちは後のお母さんが気になる。いつとも違うお母さんを確認するかのように何べんも振り返る。ついに先生が「こらこら、お母さんは逃げないよ。」と、注意をする。
 掲句の入学児は、きっと男の子だ。
 
 わが家では女の子と男の子がいた。女の子は母とは女同士だが、男の子の反応というのは違っていた。大きくなるにつれて子育ても難しくなるが、小学校の頃の子育てが、母親として一番楽しかったことを、この作品は思い出させてくれた。
 素子さんの子育ての頃の〈子の理屈何やら可笑し豆の飯〉や、やがて子が親になった頃の〈大切に子が子を育て子供の日〉など、豊かな子育ての時代があったに違いない。
 
 吉井素子(よしい・そし)は、昭和二十一(1946)年、東京都あきる野市生まれ。文化学院卒。息子の駒場東邦中学のPTA俳句会で、中村汀女の指導を受ける。昭和六十一年、「元芝句会」で、平成元年には「花鳥来」でも深見けん二に師事する。平成七年より十六年まで、作句を休止。翌年より深見けん二師の元で再開。平成三十年、第一句集『空へ咲く』を編んだ。俳人協会会員。
 義父の吉井莫生は、「ホトトギス」の同人。素子さんは、〈着せかける父の外套重かりし〉〈書斎からいで来し父の懐手〉と詠んでいる。

 もう少し、紹介させていただこう。

  梟の眼裏に智慧固めたり
  ちちろ虫お地蔵様は母似なる

 一句目、アイヌ民族ではフクロウは神様(カムイ)の一人と崇められ大切にしているという。夜中、あの大きな澄んだ目を開けて、身動き一つしないで大枝に止まっている姿は、確かに叡智の権化のようでもある。「固めたり」の措辞に惹かれた。
 二句目、素子さんのお顔がお地蔵様のようだと感じたことがあるので、この作品にすぐ納得した。お母様もまたお地蔵様に似て、優しく誰をも受け止めるお方なのであろう。