第百五十一夜 深見けん二の「虚子忌」の句

  生涯の口伝の一語高虚子忌  「珊」第125号・2020・春

 今日は「虚子忌」。昭和三十四年四月八日に亡くなられた高浜虚子は、今年、没後六十一年目となり、最晩年の弟子の深見けん二は六十一回目の虚子忌を迎えることとなった。けん二先生の句集には、〈椿寿忌やわが青春の稽古会〉〈よく晴れて矢倉はくらし虚子忌来る〉〈虚子恋ひの話となりし温め酒〉など、虚子忌をはじめ、虚子を詠んだ作品は沢山ある。
 
 作品をみてみよう。

 掲句は、昨年の六十回目の虚子忌に詠まれた作品である。
 命日だけでなく、けん二先生は虚子先生のことを考えない日はなかった。「生涯の口伝の一語」とは、昭和三年に虚子が提唱した「花鳥諷詠」のことである。「俳句は花鳥諷詠詩であり、客観写生は方法論である」と唱導して以来、虚子の考えは変ることはなかった。晩年の五年間、ホトトギスの「研究座談会」で、上野泰、清崎敏郎、湯浅桃邑、藤松遊子、深見けん二のメンバーは、虚子から直接、具体的な作品により、花鳥諷詠、客観写生を叩き込まれた。それは面授であり口伝であった。

 もう三十年近くも前、師事して間もない頃のことになるが、けん二先生から訊かれたことがある。
「どのような俳人が、お好きですか。」
 私はこう答えていた。思い返すと身震いするほど生意気であった。
「おばけみたいな俳人……」
 出版編集に携わっていた私は、古今東西の様々な俳人の血の滲むようにして生まれた作品に触れていたこともあるが、私の俳句は直ぐには虚子へ一途にはなれなかった。

 虚子のことを書く機会を頂きながら、虚子の俳句作品に触れ、俳論を読み、小説を読んできた。その繰り返しの中で、虚子が、捉えどころのない、とてつもなく大きな俳人──山のように、夕日のように、月のように、遠くに厳然としている存在──であることに、近頃になって漸く気づきはじめている。
 だが、「大きな」とは具体的にはどういうお方なのであろうか。
 
  先生は大きなお方竜の玉  けん二『日月』
 
 第六句集『日月』の時代の頃には、けん二先生が虚子に師事して既に六十年近く経っていた。冬でも緑色のふさふさした葉の「竜の髭」をかきわけると瑠璃色の宝石のような実が見つかることがある。この実が「竜の玉」である。やっとの思いで見つかる竜の玉の姿は、まさに、どこまでも捉えきれないほど奥深い心を持つ「大きなお方」である虚子先生そのものである、という解釈となろうか。この作品は、『五百五十句』集中の虚子の〈竜の玉深く蔵すといふことを〉を踏まえている。
 
 現在の私は、虚子の道を歩いているつもりではあるが、少しも進歩していない自分に気づく度に、大きな壁が立ちはだかる。花鳥諷詠も客観写生も、考えれば考えるほど、私には決して届くことのない〈おばけ〉のように思えてくる。
 毎月の例会に参加できない時、手紙で七句の欠席投句をするとご選していただける。ご選の返送の際に、先生から短いコメントや、ご指導の手紙をいただくことがある。
 私が虚子俳句から気持ちが離れそうになっていたある日、その気持ちのゆるみを見透かしたかのように、けん二先生は、次のお手紙をくださった。
 
 「虚子先生から面授をあれだけ受けても俳話の理解、花鳥諷詠の精神の理解は難しいのです。
 一方、何も俳話を読まない方でも花鳥諷詠の精神は身についている方はいます。ただ表現が出来ないと俳句になりません。
 何れにしても作句法など決まったものはなく俳句が出来さえすればよいのです。併し自分なりの作句の信念がないと迷い出すでしょう。やはり、自得の文学ですが、私にとって花鳥諷詠、客観写生は俳句の信念です。
 それは、信念を持っても虚子先生のような句は出来ない、それでよいと思った時に信念になりました。
 ともかく、四季の運行の象徴と考えた時に季題の力はとてつもなく大きいのです。人間の心は小さいのです。しかしその小さい自分の中の心にも、季題を尊重すると大きな宇宙が宿る時があるのです。
 同じことを又言いましたが、どうぞ虚子をお読み下さい。」