第百六十夜 安住 敦の「兄いもと」の句

 タイトルには季語を入れることが多いが、今回は「兄いもと」とした。
 兄と妹、姉と弟という二人はじつに仲良しだ。兄と姉は年下の「いもうと」や「おとうと」に絶対的な権力をもっている。わが家の、年子の姉と弟の場合もそうだった。テレビの真ん前に立ちはだかって見ているのは姉で、弟は端から覗きこんでいた。小学生になると勉強がはじまる。弟は、わからないことがあると母親に訊くのではなく姉に訊く。横から母の私が答えることがあっても、「ねえ、お姉ちゃん、ママの言ったことホント?」と確認する。
 これには参ったが、夫婦喧嘩をしたときなど、小ちゃな二歳の姉と一歳の弟は、母である私の両脇にぴたっと寄り添ってくれた。そんな可愛い時代があった。
 
 安住敦が子を詠んだ「兄いもと」を見てみよう。
  
  雁啼くやひとつ机に兄いもと 『古暦』
  銀杏散る兄が駆ければ妹も 『古暦』
  兄いもとひとつの凧をあげにけり 『古暦』
  
 親が子を詠む俳句は可愛いに決まっているからか、句会に投句されることはないが、親としては詠んで残しておきたいものである。短歌的な「兄いもと」という表現一つで通したことによって、安住敦の名句となり、読み継がれてきたのだろう。
 一句目、上五の「雁啼くや」の格調の高さによって、作品が甘くならず抒情となった。
 二句目、「銀杏散る」の黄色の明るさが、子どもの無邪気さを増幅させる。
 三句目、「凧」は風の力をコントロールしながら空へ揚げるが、子ども一人の力ではとても無理だ。だが兄妹二人が力を合わせたことで、凧は揚がった。

 安住敦(あずみ・あつし)は、明治四十年(1907)―昭和六十三年(1988)、東京都港区生まれ。昭和十年、日野草城の作品「ミヤコ・ホテル」に惹かれて「旗艦」に参加。戦後二十一年、久保田万太郎を主宰として「春燈」を創刊。万太郎の没後は主宰を継承。昭和三十六年、俳人協会創立の発起人となり、初代会長となる。〈くちすへばほほづきありぬあはれあはれ〉は初期の作品。「春燈」に短歌的抒情を定着させた。

 もう一句、代表作を見てみよう。

  しぐるるや駅に西口東口 『古暦』
  
 初めてこの句を見たとき、六〇年ほど昔の新宿駅だろうと思った。伊勢丹デパートと紀伊国屋書店に行くつもりで降りたのに反対側の改札を出てしまった、高校生の私は、暗いガード下を通り抜けるのが怖かった記憶がある。しかも、「しぐるるや」だ。初冬の雨は冷たく心を後もどりさせる。
 安住敦は、人と待ち合わせた駅に降り立ったときの一瞬の戸惑いを詠んだのだろう。だが十七文字には、「時雨」「駅」「西口東口」だけが置かれているだけで、人間は描かれていない。どのようにも読み取れるから、わが事として自由に鑑賞もしていいのである。