第百六十二夜 第百六十二夜 池田澄子の「螢」の句

  じゃんけんで負けて螢に生まれたの 『空の庭』
  
 この作品を鑑賞してみよう。
 
 争いが苦手だから、私は、競争の一つでもある「じゃんけん」が弱かった。
 だが掲句の「負けて」「螢に生まれたの」と続く言葉からは、ふわっと救われてゆく想いがする。なんという優しさの根っこを持つ作家なのだろう。そして季語の「螢」は、一匹のあえかな光はよき方へと誘ってくれるし、群舞となれば何者をも圧する力を感じさせてくれる。

 私は、池田澄子氏に一度お目にかかったことがある。平成十二年、「船団」の坪内稔典氏から「子規庵・2000年6月」という招待状を頂いて、上野の「精養軒」に伺った時のことだ。正岡子規によって近代俳句の水路が開かれて約百年、その節目にあたり、俳句の今と未来を子規のいた場所で考えるという会である。
 池田澄子氏は低くてよく通る声で『墨汁一滴』の朗読をした。 
 「大輪講会」での論議の中心は、俳句で「牡丹」を「ぼうたん」と詠むことの是非であった。その後の親睦会で、私は〈じゃんけんで負けて螢に生まれたの〉が特に好きな作品であることをお伝えした。

 池田澄子(いけだ・すみこ)は、昭和十一年(1936)、神奈川県鎌倉市生まれ。昭和四十年代、たまたま目にした阿部完市の独特の俳句に触発され、俳句を作り始めるが、昭和五十八年頃に三橋敏雄に私淑、のち師事する。昭和六十三年には「坪内稔典の「船団の会」に参加。第一句集『空の庭』を刊行。翌年、第36回現代俳句協会賞を受賞。平成十八年、第四句集『たましいの話』で第7回宗左近俳句大賞を受賞。生活の周辺をほんのりアイロニカルに眺めた作品は、口語によるライトバースといわれる作品を得意とする。

 いくつか作品を紹介してみよう。
  
  セーターにもぐり出られぬかもしれぬ 『空の庭』
  どっちみち梅雨の道へ出る地下道 『いつしか人に生まれて』
  カメラ構えて彼は菫を踏んでいる 『ゆく船』
  前へススメ前へススミテ還らざる 『たましいの船』

 一句目、大人だって、首と右手と左手の穴を確認してからセーターにもぐり込むのに、あらっ、頭が出ないという場合もある。子どもは大変! 頭が出てこないと恐怖で泣き出しそうになる。母親だった頃はよく知っていたことなのに、池田澄子氏の作品で「あーっ、そうだった」と気づくのだ。
 二句目、確かに、「どっちみち」というのは結構あるのだろうが、なかなか句に詠める言葉ではない。。
 三句目、この作品には苦笑させられた。彼は、菫の花を撮っていたのだろう。小さな花、やさしい花、美しい自然を守らなくてはという強い気持ちで挑んだ被写体であるかもしれないのに、カメラを構えた彼の足は、守るべき菫を踏んでいる。
 四句目、戦前に生まれた作者は、学校で「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」という教育を受けていた。そう教えられた兵隊さんは還ってこない人もいた。身近にいたのだと思う。戦前に新興俳句の作家が詠んでいたのとは句風が全く違うが、戦後生まれの私たちが知っておくべき真実を池田澄子氏は俳句に留めてくれた。