第百六十三夜 大石悦子の「てふてふ」の句

 「鶴」同人である従姉妹から頂いた、俳人協会の自註現代俳句シリーズ『大石悦子集』を魅了されながら読んだ日のことを思い出した。自註に救われたが、目を瞠るほどの中国から日本の古典の知識の広さ深さがある。
 そして驚くのは、十七文字を手玉にとったような縦横無尽の言葉から、景が浮かび、心が見え、どこかゆったりとした作品であることだった。
 
 鑑賞を試みてみよう。もしかしたら、私は、沢山の好きな中からおとなしい作品を選んでいるかもしれない。

  てふてふや遊びをせむとて吾が生れぬ 『聞香』

 十六歳で俳句を始めたのは、母を亡くしたことがきっかけであった。「悲しみが言葉となり、俳句のかたちになることで、魂が救済される思いがした。」という。この句は、父を亡くした後に詠まれたもので、母の死から四半世紀過ぎている。大石悦子氏の句境は、この頃にはすでに『梁塵秘抄』の「遊びをせむとや生まれけむ」の域に入っていたのではないだろうか。そのように自ら思うことで更に突き抜けることができたのだろう。

  優曇華に夫呼べば子も犬も来て 『聞香

 「優曇華(うどんげ)」は、仏法では三千年に一度咲くと言われる花だが、大石悦子一家の見たのはウスバカゲロウの卵である。糸状の柄の先に垂れ、草木や天井に群がってくっついている様子は花のように見える。これは夏の季語である。写真でしか見たことはないが、珍しいものなので、すぐさま夫は家族を呼んに違いない。妻の悦子氏は勿論、二人の子と犬までついてきたという。優曇華の花のぞろぞろとした咲きようと一家全員と犬までが出てきた光景が似ていて、愉快さを誘う。

  旅にあると思へと龍の玉遺し 『百花』

 「旅にあると思へ」とは、「ふっと死んでしまいたい瞬間があるが、ちゃんと私の代わりに龍の玉を遺しておきますからね」という句意である。
 主婦なら誰でもある思いではないだろうか。
 私は、歌人の斎藤史の一首「おいとまをいただきますと戸を閉めて出てゆくようにゆかぬなり生は」が浮かんだ。大石悦子氏は「龍の玉」に己を託そうと思ったのだ。なんて素敵なのだろう。「龍の玉」は、冬には「蛇の髭」の茂みの奥に隠れるようにして碧玉のような美しい実をつける。
 
  ぎんなんを夫と酒房でさういふ日 『有情』

 「居酒屋で、ぎんなんを肴に飲みましょうね」と、かつて妻は夫に言っていた、そういう日がとうとう訪れたのだ。子どもたちは巣立って孫もいる。互いを見やれば白髪である。でも、老いっていいものよ、と大石悦子氏は言っている。

 大石悦子(おおいし・えつこ)は、昭和十三年(1938)、京都府舞鶴市生まれ。昭和二十九年、十六歳で句作を開始。昭和三十一年ごろ「鶴」に入会し、石田波郷、石塚友二、星野麦丘人に師事する。昭和三十二年、和歌山大学に入学。学生サークルの俳句研究会に所属し、一時「天狼」にも投句した。子育てのために句作を一時中断後、昭和五十六年に鶴俳句賞を受賞、「鶴」同人。昭和五十九年に角川俳句賞を受賞。平成二十五年、『有情』により俳人協会賞を受賞。