第百六十五夜 岸風三樓の「ジョッキ」の句

  ジョッキ宙に合する音を一にせり 『往来以後』  
 (じよつきちゆうにがつするおとをいつにせり)

 掲句をみてみよう。

 「ジョッキ」が「「ビール」の副題として認められて間もない頃に詠まれたのだと思う。岸風三樓の師である富安風生は、「竈猫」の季語を作るなど新しい言葉や片仮名なども逸早く作品に取り入れた俳人であるが、風三樓も新しい季語への挑戦は主張していた。
 たまたま句会のあと、ビヤホール「新宿ボルガ」で乾杯をしたときの景である。ジョッキを高く挙げ、乾杯の音頭に合わせてジョッキを打ち合わせた。相和する音は、連衆の気持ちと一つになったのだ。
 わかるなあ! 私たちも若い頃、一昔前の句会はそうであった。
 
 『蝸牛俳句文庫35 岸 風三樓』は山崎ひさを氏、平間眞木子氏、中村靜子氏のお三方による共同執筆である。このシリーズは全巻300句という編集であるが、この号は、三人の著者の要望により一頁一句で、紹介するのは171句となった。読み返してみると、岸風三樓の姿がより明確に伝わってくるように思われる。
 
 もう少し、紹介しよう。

  ある日ある心蟻さへ踏みつぶし 『往来』
  焼酎や頭の中黒き蟻這へり 『往来以後』
  
 二句の「蟻」は、実際の蟻でもあり鬱屈の対象となった蟻でもある。
 一句目、会社の人事異動で思惑と違った結果となったが、逆らうことはできない。たまたま帰り道で蟻の行列を見かけた。思わず革靴で踏みつぶしたのだ。「ある日ある心」の、上の句が見事に作者のどうしようもない鬱憤を露わにしているから、下の句の「蟻さへ踏みつぶし」から作者のはけ口に同情してしまう。「蟻さへ」は、普段はそんなことはしないのに「蟻までも」ほどの意味だ。破調であるが故に、すんなり作者の心に同調できるのであろう。
 二句目、仕事もだが、戦後に興った社会性俳句や根源俳句の影響もあるだろう。主宰誌「春嶺」の創刊を目前にした頃の作という。飲むのは焼酎。飲めば酔い、喧々囂々の論争となる。そんな時、頭の中を蠢いているのは「蟻」。この蟻は鬱屈を象徴的に詠んでいるのだが、蟻の動きを具体的に描写していることで、作者の心持ちがより深く強く伝わってきた。

 岸風三樓(きし・ふうさんろう)は、明治四十三年(1910)ー昭和五十七年(1982)、岡山県岡山市生まれ。昭和八年、旧制中学四年から俳句を始め、大阪逓信省の職場句会を通じて「若葉」を知り入会、富安風生に師事。1934年、「京大俳句」に入会。昭和九年、「京大俳句」に入会。京大俳句事件にて追及を受けるが、逓信省の高級官吏であった風生の擁護で難を免れた。昭和十九年より「若葉」編集長。昭和二十四年、第一句集『往来』上梓。昭和二十八年、主宰誌「春嶺」を創刊。昭和五十六年、俳人協会会長に就任。昭和五十七年、第二句集『往来以後』上梓。没後の昭和六十一年、『岸風三樓余滴』上梓。