第百六十七夜 右城暮石の「夜光虫」の句

  夜光虫身に鏤めて泳ぎたし 『一芸』

 夏に発生する「夜光虫」は、海洋性のプランクトン。大発生すると夜に光り輝いて見えることからこの名が付いたが、昼には赤潮として姿を見せる。赤潮は災厄だが、夜の海を青くみせる夜光虫の燐光はうつくしく神秘的である。右城暮石は、夜光虫の発生した海を泳ぎたいというのではなく、その夜光虫を、宝石のごとく我が身に鏤(ちりば)めて泳ぎたいというのだ。幻想的な世界である。

  一身に虻引受けて樹下の牛 『上下』

 今もあるかもしれないが、雲仙の麓の夫の実家の近くに牛小屋があった。幼かった子と一緒に近寄ってみると、牛は尻尾をずっとぱたぱた動かしている。よく見ると、お尻の方に虻がたかっている。虻は、水洗でない便所に多くいる種類もあり、牛や馬の血を吸う種類もあるという。人間からは汚いと思われている。だがこの樹下にいる牛は、「虻よ、ここにおいで」と、追い払うことなく纏うがままにしているのだ。

  あきらかに蟻怒り噛むわが足を 『上下』
  
 人間が踏もうとしたのはうっかりだとしても、蟻の方は踏まれれば殺されると思うから怒るのは当然だ。噛むという武器を持っているから、蟻も怒れば、人間さまの足に襲いかかることはある。
 蟻に噛まれた作者は、この蟻は確かに怒っているな、と蟻の心を思いやることのできる右城暮石はなんと優しい人だろう。
  
  電灯の下に放たれ蛍這ふ 『一芸』
  
 蛍狩から戻った右城暮石は、捕まえてきた蛍を籠から出すと電灯をつけた室内に放した。籠から出された蛍は喜んで飛び回るとでも思ったのだろうか。蛍は、やがて畳の上を這いはじめた。夜行性の蛍は、配偶行動で光るといわれる。いきなり電灯の下に放たれても、蛍はおろおろと這い出すしかないだろう。
 右城暮石が室内の電灯の下に持ち帰り放してみたことによって、今まで俳句で詠まれた世界とは異なる蛍の別の一面を知ることができた。これも蛍の本質であるが、蛍にしてみれば外界の自然の中の方がいいに違いない。
  
 右城暮石(うしろ・ぼせき)は、明治三十二年(1899)―平成七年(1995)、高知県長岡郡本山町字古田小字暮石の生まれ。俳号は、生地の小字暮石(くれいし)によるが俳号は「ぼせき」と読む。大正九年、大阪朝日新聞社の俳句大会で松瀬青々を知り、青々の主宰誌「倦鳥(けんちょう)」に入会。やがて古屋秀雄、細見綾子とともに「倦鳥」の若手三羽烏と呼ばれるようになる。昭和二十一年、「風」「青垣」同人。昭和二十四年、「天狼」同人。昭和二十七年、「筐(かたみ)」を創刊。昭和三十一年、「筐」を「運河」に改題し主宰となる。昭和四十六年、『上下』にて蛇笏賞を受賞。平成三年、「運河」主宰を茨木和生に譲り、高知県の生地へ帰郷する。