第百六十九夜 池内たけしの「椿」の句

  仰向きに椿の下を通りけり 『たけし句集』

 鑑賞をしてみよう。

 「椿」は、咲きながら枝葉の間から押し出されるかのように落花する。一花は、花びら一枚一枚と雄蕊が全てつながった構造なので、枝にある時の形のままに落ち、上向けに落ちている。大きな椿の木の下に落椿を見つけた作者のたけしは、つぎに見上げながら椿の木の下を通ると、椿は満開であった。おそらくこの順の動作だったのではないだろうか。
 この句の要は「仰向きに」である。一連の動作をスローモーションにして、一瞬に止めた映像が「仰向きに」であった。

 大正時代前半の「ホトトギス」は、虚子の書いた作家論「俳句の進むべき道」の中で、一人一人の主観の大切さを認めつつ作家を導いたが、雑詠欄には主観句が横行してきた。そこで、虚子自らが先頭に立って客観写生の大切さを指導した。この頃の代表作家の一人が池内たけしである。「仰向きに」は、まさに客観的で具体的な動作が見える表現である。
 この作品は、「ホトトギス」大正十一年四月号の巻頭作品となり、師の高浜虚子の絶賛する代表句の一つでもある。
 
 「ホトトギス」発行所のある丸ビルの三菱地所社長赤星翠竹居著の『虚子俳話録』の中で、「平凡を脱するには」というたけしの問に、虚子は、「お前の古い句に、仰向きに椿の下を通りけり、という句があったね。こんな句を作るといいね。」と、言った。さらに、近ごろの作品ではこれがいいね、と言ったのが次の作品である。

  耳元の葡萄の葉には秋の風

 葡萄畑の中に立ち、ぶどう狩りをしている景。鋏を手に葡萄の房を剪るとき、耳元の大きな葉っぱが風に揺れた瞬間、「秋の風」を感じたのであろう。「耳元」と具体的に詠まれた時、読者の耳にも秋の風がそよぎ出すから言葉は不思議である。
 
  煙草の火一ぷくつけぬ花かゞり

 ホトトギス雑詠句評会に出された作品である。現代人が鑑賞すれば、花篝に灯された夜桜の下を通りながら、男はタバコを一本取り出してくゆらせている。このような景が浮かぶ。
 だが、凡そ九十年前の昭和六年の作だ。夜桜見物の吟行で、煙草を吸いたくなったたけしは、キセルに刻み莨(たばこ)を詰め、やおら目の前の篝火に近づいて火をつけた。その日、虚子も花篝に莨の火をつけた句を詠んだという。ところが句会では、虚子の句には点が入らなかった。中七の「一ぷくつけぬ」と具体的な客観描写による表現に軍配が上がった。

 池内たけし(いけのうち・たけし)は、明治二十二年(1889)―昭和四十九年(1974)、愛媛県松山市生まれ。高浜虚子の兄池内信嘉の長男。能楽の新興に務めた家風にならい当初は能楽師を志したが断念、大正二年頃より虚子門に入り、「ホトトギス」発行所に務めながら虚子の指導を受けた。昭和三七年、「欅」を創刊・主宰。代表句に〈仰向きに椿の下を通りけり〉がある。大正中~後期の「ホトトギス」で、虚子の客観写生を忠実に実践。虚子は「平淡にして滋味がある」とその句風を評した。