第百七十一夜 大峯あきらの「がちやがちや」の句

 犬の夜の散歩の帰り道は西空を眺めながらとなる。四月の初め頃、西空に大きく瞬いている光に気づいた。飛行機だったら動くし、大きな星なら金星だと思うけれど、驚くほどの大きさであった。戻ってからネットで調べると、「金星は、令和二年四月二十八日に地球に一番近くなって大きく見える」とあった。
 つまり今夜である。この「千夜千句」を書き終えたら散歩に行こう。
 
 作品をみてみよう。

  がちやがちやに夜な夜な赤き火星かな 『牡丹』

 「がちやがちや」は、轡虫(くつわむし)の鳴き声からの異名で、その名のとおり賑やかな鳴き声である。火星は、地表に水がなくて酸化鉄で覆われているため赤く輝き、地球の外側をほぼ同じ速度で太陽を公転しているから、晴れていれば地球から毎晩のように見える星である。
 秋の夜な夜ながちやがちやは鳴いており、夜な夜な火星も赤く輝いている。「がちやがちやに夜な夜な」という煩いようなリズムが、明るく賑やかな秋の夜を演出している。

  虫の夜の星空に浮く地球かな 『夏の峠』

 先に紹介した句と同じ虫の夜ではあるが、虫の賑やかさと満天の星空が呼応している。吉野の山中のあきら氏は、虫の音を聴き星空を眺めているうちに何かが逆転した。自分が遠くに行ってしまい、はるか遠くの地球を眺めているかのごとく感じたのではないだろうか。
 私と夫は一度だけ車で行った奥吉野で道に迷い、一頭の黒いカモシカに出会ったことがあるが、吉野の地には夢のような不思議があるような気がする。
 
 NHKテレビの「こころの時代」の中で、大峯あきらの最後の言葉が残っている。
 「あの虫の音を聞いていると、何かフッとこう地球地面から離れちゃって、そうして無限の星空の中にある星の一つだという。だから、地球なんて特別なものじゃないんですね。みな同じものなんですね。宇宙の中ではね。これは自然科学的宇宙だけれども、自分のおるところは特別なところだと思わないことが宗教じゃないんでしょうか。」

  帰り来て吉野の雷に座りけり 『吉野』 

 昭和四十六年から四十七年まで文部省在外研究員としてハイデルベルク大学留学していて、帰国した時の作品である。そのまま詠めば「帰国して」だが、そうは言わずに、どこからか「帰り来て」といし、雷だって来るなら来い、吉野はわが愛する在所であるのだと、大峯あきらは力強く詠んだ。

 大峯あきら(おおみね・あきら)は、昭和四年(1929)―平成三十年(2018)奈良県生まれ。「ホトトギス」新人の関西の会「春菜会」で高浜虚子に師事。波多野爽波の「青」創刊に参加。昭和六十年、「青」同人を辞し離脱し、宇佐美魚目、岡井省二らと同人誌「晨」を創刊、代表同人。日本の哲学者、浄土真宗僧侶。元龍谷大学教授。専立寺前住職。学者としての専攻は宗教哲学。中期フィヒテ研究・西田幾多郎研究で知られる。著書に『親鸞のコスモロジー』『季節のコスモロジー』ほか。〈人は死に竹は皮脱ぐまひるかな〉などの吉野在住から生まれる句は作者の心の原郷。