本阿弥書店刊『新・俳句の杜3 俳句アンソロジー』を拝見した。小澤克己氏は、俳句をはじめて三十年、句作の上で意識してきたテーマは詩性(ポエジー)であり、その中でも「星空とメルヘン」は大きな要素を占めていたという。
そして、『蝸牛 新季寄せ』の編集の中で出会った〈嬰生まるはるか銀河の端蹴つて〉は、私の大好きな作品である。
鑑賞を試みてみよう。
流星に乗つて屈託なき王子 『小澤克己句集』
この屈託なき王子は、サン=テグジュペリの『星の王子さま』の王子に違いない。砂漠に不時着したパイロットの「ぼく」は、小さな王子と出逢う。その王子は、自分のことを話す時も答える時も、妙な気遣いはなく素直で芯を突いてくる。老熟した人に見かけるが、純粋な心を持った青年にも備わっているのが「屈託なき」なのかもしれない。
流れ星に乗って砂漠に下りてきた星の王子は、屈託のなさで、蛇や狐から本当のことを教わった。
「心でみなくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ。」
一年後、王子は約束したとおり蛇に噛んでもらって死んだ。かつて住んでいた星に戻った。王子はパイロットの「ぼく」に、死んだら星になることを身をもって教えてくれた。
もう少し作品をみてみよう。
青りんご宇宙の端に置かれあり
こほろぎに呼ばれて星座こぞりけり
めだか来るおどろきやすき影つれて
白鳥の首となぞなぞあそびかな
一句目、地球のどこに置いたとしても、他の星から眺めれば「宇宙の端」である。
二句目、「呼ばれて」「こぞりけり」の動詞によって、「こほろぎ」と「星空」が見事に呼応した。本来、虫たちは晴れた夜に気持ちよく鳴いていて、見上げれば満天の星空である。
三句目、「おどろきやすき影」の表現によって、めだかという小さな魚の用心深い泳ぎ方が見えてくる。
四句目、白鳥の太い首のくねくねした動きを「なぞなぞあそび」としたことは、まさに意表を突かれた感じがした。
小澤克己(おざわ・かつみ)は、昭和二十四年(1949)―平成二十二年(2010)、埼玉県川越市生まれ。少年期に、はじめは俳句、のちに詩の創作を試みる。また大学時代には哲学、ヌーボー・ロマンの影響を受けた。昭和五十二年、「沖」に入会し能村登四郎、林翔に師事。昭和五十五年「沖」同人。平成四年「遠嶺(とおね)」を創刊・主宰。代表句〈嬰生まるはるか銀河の端蹴つて〉など、宇宙との一体感を特徴とする。句集に『青鷹』『オリオン』『小澤克己句集』ほか、評論に『新・艶の美学』『俳句の行方』ほか。平成二十二年、胃癌により死去。六十歳。