第百七十四夜 宇多喜代子の「蝶」の句

 宇多喜代子氏の略歴から、俳句のきっかけが正岡子規門の石井露月の師系であったことを知った。何だかうれしくなって、書棚にあった宇多喜代子著『わたしの名句ノート』を開いた。そこには、冒頭から高浜虚子、正岡子規、石井露月の句が並んでいた。
 私は、今、「千夜千句」というブログに、俳句のジャンルを越えて古今東西の俳人の作品の鑑賞を試みている。何故このようなことを始めたかというと、五十年前になるが、夫は蝸牛社という出版社を立ち上げ、私は三十年間という時間を共にした相棒であり、俳句のシリーズを刊行し、様々な俳人とその作品に触れながら私は俳句にどっぷり魅了されたからである。
 俳句という短詩の道に、これほど違う方法論で詠まれた作品のあることに驚きながら、解釈の難しさを楽しもうとしている。
 
 考えてみよう。

  野の蝶をみな懐中にかくしけり 『りらの木』
  
 蝶々たちが、この花からあの花へ、彼処にも此処にも、野原に翔んでいる。喜代子氏は、野の蝶たちを全部、自分の懐深くにしまい込んだという。文字を追ってゆくとこのようになるが、では何故、懐中に隠したのだろうか。隠してみたかったのだろうか。
 己の身内(みぬち)に蝶を隠し持った喜代子氏は、どう変わるのだろう。
 たぶん蝶の浮力を持つことができ、好きな花へ飛んでゆくこともできる。これは春のなせる技、作者はうき立つ心を詠んだのではないか。

  夏の母熟寝の蹠すさまじき 『りらの木』
  
 老年になった一人としては、水分の減ってしまった肌や蹠(あうら)のかさかさを誰にも見られたくないのが本音であり、若い日には見ようとしなかった母の一面の姿かもしれない。
 でも、だんだん心境は変化している。年を重ねることは当たり前のこと、皺も、様々の下降現象も。肌のすさまじいまでの乾きとかさかさも、年相応の勲章としてに眺めることができるようになっている。

  かぶとむし地球を損なわずに歩く 『里山歳時記』
  
 虫類のなかではがっしりした体躯の持ち主のかぶとむしだ。歩き方はゆっくりのっそり、それでも昆虫の一匹は軽く、大地を凹ませることはないし地球を破壊することもない。中七下五の、喜代子氏の何というやさしさに満ちた言葉であろうか。地球を壊し続けているのは、どうやら人間の方だ。
  
  半身は夢半身は雪の中  『半島』

 「夢」は、いろいろな読み方があるかもしれないが、私は、雪の降るなかに取り残されている夢ではないかと思った。例えば、かつてスキー少女であった私は、蔵王スキー場のてっぺんから下る途中、先輩たちから逸れてしまったことがある。雪が強くなり前方が見えなくなっていた。その時の恐怖が夢となって出てくることがある。夢を見ている間は、たいていは夢であることを意識しているように思う。そうした状態が「半身は夢」なのではないだろうか。

 宇多喜代子(うだ・きよこ、昭和十年(1935)は、山口県周南市の生まれ。昭和二十八年、石井露月門下の遠山麦浪を知り俳句をはじめる。昭和四十五年、「草苑」創刊に参加し、桂信子に師事、同誌編集長を務める。昭和五十一年から九年間、坪内稔典編集の「現代俳句」に参加。昭和五十三年年より「草苑」編集長。平成十一年まで「未定」同人。〈冬座敷かつて昭和の男女かな〉など第五句集『象』により蛇笏賞受賞。今後とも自由に身軽に、が受賞の弁。