第五十夜 木下夕爾の「雪」の句
地の雪と貨車のかづきてきし雪と 木下夕爾 句意は次のようであろうか。 「私の住む地にも雪が積もっている。目の前を貨車が通過する。その屋根には雪が載ったままである。どこで降った雪を被ってきたのだろう。この地の...
地の雪と貨車のかづきてきし雪と 木下夕爾 句意は次のようであろうか。 「私の住む地にも雪が積もっている。目の前を貨車が通過する。その屋根には雪が載ったままである。どこで降った雪を被ってきたのだろう。この地の...
ロシア映画みてきて冬のにんじん太し 古澤太穂 鑑賞をしてみよう。 太穂が観たのはどんなロシア映画だったのだろう、たとえば「戦争と平和」でも「アンナ・カレーニナ」でも、ロシア帝国から社会主義国家への転換期...
寒紅や暗き翳あるわが運命 下田実花 掲句の句意は次のようであろう。 「寒紅をつけた芸者の運命がそうであるように、私も、暗い翳のある身の上なのですよ。」 鑑賞をしてみる。 季題「寒紅」は、虚子編『新歳時...
雪国に六の花ふりはじめたり 京極杞陽 昭和三十三年 鑑賞してみよう。 杞陽の住む兵庫県豊岡市は、日本海側の山陰地方なので、冬は雪に長く閉ざされる雪国である。「六の花」は「むつのはな」と読み、「雪」のこと。雪...
秋の航一大紺円盤の中 中村草田男 鑑賞してみよう。 秋空の青を映す見渡す限りの海原は、空の青より一段と濃い紺色。海原には草田男の乗った客船だけが航行していて、行けども行けども海原という三百六十度ぐるりの...
かりかりと蟷螂蜂の貌を食む 昭和七年 鑑賞をしてみよう。 一匹の蟷螂が捕まえた蜂を食べている。かりかりという音を立てているかのように、まだ生きている蜂の貌からむしゃむしゃ食べはじめた。目を背けたい光景だが、...
案山子翁あちみこちみや芋嵐 阿波野青畝『萬両』 鑑賞をしてみよう。 里芋の葉が風に大きく茎ごと揺れている様を「芋嵐」と捉えたもので、青畝の造語である。畑の番をしている貧弱な棒きれで作った案山子もまた、強...
啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々 水原秋桜子『葛飾』 この作品には「啄木鳥」(秋)と「落葉」(冬)と二つ季題があるが、「啄木鳥や」とあるからにはこちらが主題であろう。高浜虚子の『新歳時記』には「秋の林を歩いていると、...
ふりむかば何か失ふさくらかな 嶋田麻紀『史前の花』 句意は次のようであろうか。 「もし今、ふりむいてしまったら、きっと何か大切なものを失うことになるに違いない。それにしても桜は美しいことよ。」 鑑賞してみよう。...
月光やマリアカラスのコロラトゥーラ 泉 幸子 句意は次のようであろうか。 「月光が明るく輝き渡っていて、オペラの歌姫マリア・カラスの転がすように歌う見事なコロラトゥーラを聴いているようですよ。」 泉幸子(い...
秋と書きちよつと外見て風と書く 上野章子『日向ぼこ』 句意は次のようであろう。 「一句詠もうとしてまず〈秋〉と書いたところで、外を見ると爽やかな風が吹いていたので〈風〉と書き加えましたよ。」 この句の季題は...
秋の灯にひらがなばかり母の文 倉田紘文『慈父悲母』 句意は次のようであろう。 「病室に届いた母からの手紙を開けてみると、平仮名ばかりで書かれていましたよ。」 この作品は、十九歳で師事した高野素十の俳誌「芹」...
雪片のつれ立ちてくる深空かな 高野素十『雪片』 句意はつぎのようであろう。 「降る雪をじっと眺めていると雪の一粒一粒が空から下りてくるのが一筋となって見えますよ。」 昭和八年の異国ドイツでの雪。素十の目には、そ...
チチポポと鼓打たうよ花月夜 松本たかし『鷹』 句意は次のやうであろう。 「この美しい花月夜の晩こそ、鼓をチチポポと打って楽しもうではないか。」 たかしの妻である俳人つや女は『松本たかし集』(現代俳句文学全集)の...
青邨忌冬の挨拶はじまりぬ 斎藤夏風 鑑賞は次のようであろうか。 「青邨忌」は十二月十五日。中七の「冬の挨拶」は青邨門下であることの誇りの証のようである。十二月になれば必ず思い出し、仲間同士の挨拶では青邨師の...
見てあれば冬木桜の花咲くよ 山口青邨『日は永し』 句意は次のようであろう。 「冬木桜を眺めていると、花が咲くような気がしますよ。」 山口青邨(やまぐちせいそん)九十四歳、最後の第十三句集『日は永し』に掲載...
ながながと川一筋や雪の原 野沢凡兆『猿蓑』 鑑賞をしてみよう。 一面の雪の原を、空の濃紺を映した一筋となって川が流れている。描写された言葉のままの作品で、技巧とか特別な意味を込めた作品ではない。だが、この作...
竹馬やいろはにほへとちりぢりに 久保田万太郎 「竹馬遊びをしていた子どもたちが、夕暮れになって、いろはにほへとの文字がバラバラになってしまったかのように、それぞれの家に戻っていきましたよ。」 句意は、このよ...
酔えば酔語いよいよ尖る冬の月 楠本憲吉 「いよいよ尖る」が興味深く感じられる作品である。 鑑賞をしてみよう。 「酔語」とは酔っているときの戯言のことで造語であろうか。酔えば、ついつい本音でべらんめえ口...
旅人や泣く子に凧を揚げてやる 石島雉子郎 句意はそのままの優しさの作品である。 鑑賞してみよう。 「旅人」は雉子郎である。救世軍兵士として常に、見知らぬ人の心に語りかけ、「耶蘇」と言われ「邪教」と言われて...
寒卵二つ置きたり相寄らず 細見綾子『冬薔薇』 掲句の鑑賞を試みてみよう。 綾子はある朝、鶏小屋から持ってきた産みたての寒卵を二つテーブルの上に置いた。並べて置いてみた・・もう少し離してみようか。今度は二つを...
The friendly snowman Enjoying the sun`s heat Feeling the mistake Susanne Hyun, Grade 6, Canada 人のいい雪ダルマが ...
いちょうが黄色いかおしてあはははは 種子島七海 小3 秋の季語「銀杏黄葉」なのか、それとも、冬の季語「銀杏散る」だろうか。 どちらとも言えそうだが、考えてみよう。 「いちょうが黄色いかおして」は、まず...
音なく白く重く冷たく雪降る闇 中村苑子『花隠れ』 最後の句集である平成八(1996)年刊『花隠れ』の最後に置かれた掲句は、苑子俳句には珍しく平明で、句意はそのままのように思う。 何と直叙的であろうか。雪とい...
しつかりと見ておけと滝凍りけり 今瀬剛一 句意は次のようであろう。 「凍滝を見ていたら、私の姿をしっかりと眼に留めておきなさい、と凍滝の方から言われたように感じましたよ。」 今瀬剛一は昭和十一年生まれ。水戸...
死ねといふ風のぺんぺん草がいふ 石田勝彦『秋興』 句意は次のように単純明快であろう。 「散歩しているときだ。風が吹いてぺんぺん草がサラサラと音を立てた。その音がまるで、死んじまえ、という声に聞こえたのは。」 ...
子の両手よりの無限の毛糸まく 山崎ひさを『歳華』 句意は次のようであろうか。 子が両手を拡げて毛糸の束を持ち、母がくるくると巻き取ってゆく。「無限」の措辞は、果てもなく巻かれてゆく毛糸玉であり、母と子の無限の愛...
屏風絵の鷹が余白を窺へり 『蕩児』 句意は次のようであろうか。 「屏風には一羽の鷹が描かれている。金屏風であっても銀屏風であってもよいが、鷹の目は、何も描かれていない屏風の一部に視線を向けている。まるでその先に獲...
ところてん煙の如く沈み居り 日野草城 句意は次のようであろうか。 「木製の心太突きで押し出されて清水桶にとぐろを巻いて収まっているところてん。曇りガラスのような色の物体は、もやもやしていて、まるで煙のようですよ。...
もがり笛風の又三郎やあーい 上田五千石 次のような句意であろうか。 「冬の強い風に立つ笛のような音を聴いていると、今にも、風の又三郎が現れてきそうですよ。」 「虎落笛(もがり笛)」は冬の季題で、冬の烈風が竹垣や...
見うしなふ落葉の中の紅葉かな 武原はん 昭和十四年 武原はんは、明治三十六(一九〇三)年徳島市の生まれ。十二歳で大阪の大和屋芸妓学校に入学、芸者時代を経て、おはんは東京で更なる舞の精進をして舞踊家となる。はんは、...
枯芝の人影が去り夕日去り 『安房上総』昭和二十四年 句意は次のようであろうか。 「枯芝に座っていた人は日が暮れると立ち上がって去っていった。やがて一時の黄昏の耀きを終えた夕日も沈んでしまいましたよ。」 枯芝...
うつくしきあぎととあへり能登時雨 飴山 實 大学時代、教授を軸にしたグループの旅行で、石川県の東尋坊へ出かけたことがあった。卒業後、再びそのメンバーが集まって金沢、東尋坊、三国の旅に行った。残念なことに能登半...
寒鴉己が影の上におりたちぬ 芝 不器男 この句に出会った最初は、まず中七の「己(し)が影の上(え)に」が読めなかったこと、「己」を「し」と読むのは万葉集など古語にあると漸く知ったこと、「己」と言えば作者自身だと思...
風邪の子の電気暗いの明るいの 上野 泰 上野泰は大正七年横浜の生まれ。家業は上野運輸商会という輸送業である。その関係であろう、大学を卒業した泰は軍隊の輸送を担う近衛輜重兵連隊に入隊。高浜虚子の六女の章子とはテ...
川底に蝌蚪の大国ありにけり 村上鬼城 十一月の初め、久しぶりに牛久沼に出かけた。沼の端はあやめ園があるが、この時期には沈殿した泥の表面の水は澄んでいて日の光を弾いていた。 私は、ここに大きな蝌蚪の紐があったこと...
死にて生きてかなぶんぶんが高く去る 平畑静塔 季題は「かなぶん=金亀子(こがねむし)」で夏。 句意は次のようであろうか。 「夏の夜、うなりながら灯に飛んできて、ポタッと落ちて、死んだまねをするかなぶん。あら...
小石川後楽園の入口近くに冬桜があった。十二月は忘年会も兼ねるので吟行句会はこの庭園と決まっていた。訪れる度に眺めていた冬桜は、老木だったのであろう年々に花の数が少なくなり、ついに庭園から冬桜の姿はなくなった。私が冬桜を...
大いなる沼見せにゆく子づれ鳰 石井とし夫 石井とし夫は、二十歳から「ホトトギス」で高浜虚子、高浜年尾、稲畑汀子と、代々の主宰の選を受けてきたホトトギスの俳人である。「沼」というテーマをもって五十年に亘る作品の中の...
青りんご大人になるにはおこらなきゃ 小6 染谷まや 小学生の子ども俳句の中で、まやさんの句にはびっくりした。「大人になるにはおこらなきゃ」に驚いたのである。理屈で考えると、「青りんご」が子どもで、「紅く熟れた...
芋の露ころげるときを待ちてをり 辻 桃子 ある年の辻桃子主宰の「童子」の祝賀会で皆が戴いた扇子には掲句が書かれていた。大ぶりの扇はよい風がくる。この扇で夏を過ごしているからでもあるが、大好きな句の一つである。...
足袋つぐやノラともならず教師妻 杉田久女 杉田久女の俳句との出会いは、高校時代の授業で習った「足袋つぐやノラともならず教師妻」が最初で、中七の「ノラともならず」がとても新鮮に響いたことを思い出す。大正十一年作のこの...
赤き独楽まはり澄みたる落葉かな 星野立子 そろそろ落葉の時期でもあるので、昭和六年十一月二十七日の戸塚の親縁寺での句を紹介してみよう。星野立子著『玉藻俳話』には、立子俳句が詠まれた時の前後の模様が書かれている。 ...
むらぎもの色に燃えけり古暦 高橋睦郎 季題「古暦」は虚子編『新歳時記』に「新しい暦が配られると、それまでの暦は古暦となるのである。年の暮れるまでは未だ古暦にも用がある。四・五枚になったカレンダーも亦古暦である。」...
霧黄なる市に動くや影法師 夏目漱石 明治三十五年九月十九日に子規が亡くなった。英国ロンドンへ留学中の漱石は、虚子からの電報を受け取ったが親友の子規の葬儀に日本へ戻ることも叶わないので、「倫敦にて子規の訃を聞きて...
をりとりてはらりとおもきすすゝきかな 飯田蛇笏 歳時記によって「折りとりて」と一字だけ漢字である場合もあるし、「をりとりて」と全部平仮名である場合があるが、蛇笏自身も少しづつ変化していたのかもしれない。私は、...
よろこべばしきりに落つる木の実かな 富安風生 風生俳句の中で私が一番先に惹かれた作品である。最初、「よろこべば」がどういうことなのか掴めなかったが、一本の老木の下で、子ども達が木の実を拾っている。その楽しそうな姿...
ラガー等のそのかちうたのみじかけれ 横山白虹 四年に一回のラグビーワールドカップが、今年(二〇一九年)の九月二十から十一月二日まで日本で開催された。スポーツ番組を夢中になってテレビに齧りつくこともなかった私も、日...
11/11 ふれ合はずして敗荷の音を立て 「敗荷」は秋。平成三年に上梓された第四句集『花鳥来』の掉尾を飾った作品である。当時俳句を始めたばかりの私には景がうまく掴めなかった句であった。 平成十一年に茨城県南に住む...
句日記があり作品には日付が付してある高浜虚子の句から、私の誕生日の十一月十日の作品を選んだ。虚子の『五句集』(岩波書店刊)の中の二冊目の句集『五百五十句』にこの日付があり、次の二句が並んでいる。 そして今日、十月...
9月23日の秋分の日、母校の青山大学アイビーホールで開催のESS.OB会懇談会に参加するために、久しぶりで地下鉄「表参道」に降り立った。地上は、17号台風の余波であった。 地下道を出るや野分に背を押され 骨...
2017年1月、牛久市出身の稀勢の里が初場所で念願の初優勝を成し遂げ、念願の横綱昇進が決まった。翌月の2月18日(土曜日)に横綱パレードが行われると茨城県の新聞もニュースでも大々的に報道していた。普段は、混雑する場所は...
序 文――俳句は生きている あらきみほ 平成十一年から平成十六年までの六年間、ささやかな新しい試みとして、週刊のインターネット上のメールマガジン「つれづれ俳...
ヒロコ・ムトーさん(本名は武藤紘子)と私が出会ったのは、青山学院大学の部活の初の会合だったと記憶している。当時は夢は大きく、この学校に入ったからには英会話くらいできなくちゃということが一番の動機だと思う。 今考えると...
2018年10月30日、前日に大腿骨頸部骨折と診断され、守谷第一病院へ入院した。具合の悪い箇所は足だから考えることはできる。お産以来半世紀近く病院とは縁のなかった私には、何もかもが目新しい貴重な日々となるだろうと思って...
→「令和前夜特別句集―平成三十一年間一句集―」 平成の時代が終わり、いよいよ令和の時代になるという4月末から10日間の長い連休がありました。 思い返せば、私は、平成元年の4月からカルチャーセンターで深見けん二先生に俳...
「狩」展のチケットがあるからと友人に誘われて、菅生沼の丘の上に建つ茨城県自然博物館に出かけました。最近は冬になると菅生沼の白鳥を見に出かけますが、自然博物館へ来るのは、10年前に「蛍の夕べ」に申し込んで、夫と二人で参加...
私は、平成十一年から平成十六年までの六年間、ささやかな新しい試みとして、週刊のインターネット上のメールマガジン「つれづれ俳句」(主宰・あらきみほ)を配信していました。 当時経営していた出版社の蝸牛社ではその頃、テーマ...
久しぶりに手賀沼の蓮を見にでかけた。この一年というのは、私の大腿骨頸部骨折の手術とリハビリで昨年の11月から12月の8週間の入院があり、今年の7月には黒ラブ・ノエルが腸閉塞で手術があって、やっと元気になった。 「明朝、手...
(Kindle版) 虚子俳句研究ノート1 虚子と虚子をめぐる俳人たち: ――花鳥諷詠、客観写生、季題を考える https://www.amazon.co.jp/dp/B07VBZ3RHM Kindle版 ¥ 1,000 ...