第九百五十四夜 あらきみほの「門火」の句
お盆は終わったが、わが家の仏壇では、17日の姑のキメコさん、18日の夫の6歳で亡くなった弟忠司くん、20日の私の母フサと忌日が続いている。 父は幼い頃に両親を亡くし、母は軍人の父を日露戦争に従軍中の支那で亡くしている...
お盆は終わったが、わが家の仏壇では、17日の姑のキメコさん、18日の夫の6歳で亡くなった弟忠司くん、20日の私の母フサと忌日が続いている。 父は幼い頃に両親を亡くし、母は軍人の父を日露戦争に従軍中の支那で亡くしている...
初めての地である茨城県取手市に転居してからのことだ。俳句をするようになっていた私は、時間さえあれば親孝行のように見えるかもしれないが、母と黒ラブ1号のオペラと一緒に、この新天地を車で駆けぬけ、吟行へ飛び出していた。 ...
今日はお盆の中日。わが家の生身魂である夫は朝から不機嫌で、私のすること一つ一つに文句をつけている。夫の母のキメコさんは57歳で亡くなられた。当時長崎県教育委員会副会長をしていた舅である父は、大家族を任せる妻が必要であっ...
8月13日の今朝のこと。目覚めるとまずカーテンを開けると、空一面が真っ赤に染まっていたのだ。わあっきれいと思いつつノエルを朝の散歩に連れ出した。いつもより早い時間であったので、いつもすれ違う散歩のおじさんもいなかった。...
蛇沼公園は、名前だけ聞くと「本当に蛇が出てくるのかしら?」と思うが、そうではなかった。雑木林が真ん中の芝生の広場をぐるり囲んでいる公園だ。歩いてゆくと、雑木林は小高くなっていて、下ってゆくと公園を囲むように沼面が見えて...
一輪の朝顔 岡倉覚三 花物語は尽きないが、もう一つだけ語ることにしよう。十六世紀には、朝顔はまだわれわれに珍しかった。利休は庭全体にそれを植えさせて、丹精こめて培養した。利休の朝顔の名が太閤...
私が俳句という文芸に興味をもって俳句にのめり込んだのは、経営していた出版社「蝸牛社」で、『蝸牛 新季寄せ』、『子ども俳句歳時記』『蝸牛俳句文庫』俳句シリーズ、『秀句350選シリーズ』など俳句関係の制作と編集に多く携わっ...
私の父は、雑草の花が好きで、同じ雑草が好きな仲間と秩父へよく行っては帰りにビニール袋いっぱい何種類もの雑草を根ごと抜いてきては庭に植えて楽しんでいた。雑草好きの仲間とは、私の小学校の同級生の辻野五郎丸くんのお父さんであ...
今日8月7日は2022年の立秋。毎年のことなのに今年の立秋も、茨城県在住の私には、身体的には秋の気配を感じることはない。だがテレビニュースの映像では北国の秋祭りなどがあって、暑かった夏が過ぎてゆくのを、どこかほっとした...
今日は広島忌。1945年8月6日を『広島原爆忌』『広島原爆の日』と言い、1945年8月6日にアメリカ軍による広島市への原子爆弾投下に由来する。私も1945年の生まれなので、同じ77回目である。 平和記念式典は、慰霊碑...
7月の中頃、山口梅太郎さんから、俳人協会刊行の自註現代俳句シリーズ・13期 13の『山口梅太郎集』を謹呈いただいた。 最初にお会いしたのは、平成4年、大泉学園の駅の近くの公民館で行われていた「屋根」主宰の斎藤夏風先生...
昨日も今日も最高気温が39℃を超えて、40℃になるかもしれないという予報である。犬のノエルのオシッコ散歩に近くの野原までゆくが、39℃近いという自分の体温以上の空気の中を歩いているというのは、おかしな気分である。犬も地...
ブログ「千夜千句」は、千夜かけて、昔のこと、これまで生きてきた、出逢ってきた人たち、出合ってきた様々の出来事を、思い出してゆく旅のようなものであると言えようか。。 今日は第九百四十二夜。千夜までは、もう六十夜足ら...
風死す 『気象歳時記』平沼洋司著 酷暑とは夏の暑さのピークをさすが、ではいつごろが一番暑いのであろうか。理科年表にある全国八十地点で最高気温の記録が出た日時を調べてみた。結果は八月上旬が最も多く三十六地点、次...
茨城県守谷市に住む私が、大きなスーパーであるジョイフル本田の花屋で八重咲きの百合の花を見かけたのは、今年になって早々お祝いに差し上げることがあって、薔薇の花を探しに行ったときのことである。これまでは、薔薇の花束が一番ス...
今朝、吉川一平さんから、十年ぶりに夫婦で太平洋岸の二つ島に遊びにきています、というメールが入ってきた。 私も、2年に1度ほど、茨城県北の五浦(いづら)へ行く。ここは岡倉天心が初めて訪れたときに気に入ったという海岸であ...
次の季題を何にしようかと考えていたら、畑から夫が青唐辛子をビニール袋にいっぱい摘んできた。私が苦手としてきた辛い食材の一つであった青唐辛子だが、摘みたての青さと艶と、中に詰まっている種が柔らかそうな手ざわりに、今宵の一...
今宵は、作りたてであるが、2日ほど悩みながら詠んだ作品の10句を紹介させていただこうと思う。 中尊寺行 あらきみほ ■ 1・雲の峰とほまきにして東北道 (くものみね とおまきにして...
一昨日の7月22日に、中尊寺へ日帰りのドライブ旅行をした。早朝の4時半に佐藤尚くんが来てくれて、佐藤くん一人で全行程を運転してくれた中尊寺行きとなった。 「雨天」という天気予報通りのハイウェイは混雑もなかったが、中尊...
平成11年7月17日の朝、電話が鳴った。声の主は、中尊寺円乗院住職の佐々木邦世さんであった。 「ハスの花が咲きました。明日の早朝が見頃です。まだ、一般の方は誰も見ていません。」 じつは7月の初めに第一花が咲いた...
これまでの77年近く生きてきた中で、すてきな形の雲の峰に出逢うと、時間があれば、ぼうっと雲の動きをいつまでも眺めていることがあったなあ! 2年前、近くにできたショッピングモールのイオンタウンで買物をした後、外に出...
虹の懸け橋 虹は太陽を背にして、自分の面前で雨が降っている時に現れる。その虹の真下に行ってみたいと、子どもの頃、駆け出した経験のある人も多いのではなかろうか。しかし、虹は自分と太陽と雨の降っている所の関係から...
昨日の続きになるが、ひこばえ幼稚園の庭を囲むように植えられた栗の木は、花の時期であっても「イヤな匂い」がすると感じたことはなかった。その頃の私は小学校の低学年であったから、大人になって知った匂いだったのだ、ということに...
私が6歳の頃、この杉並区に家を建てて葛飾区から越してきた。玄関の向こう側は、ひこばえ幼稚園の門であったが、一月もせずに小学生になるので、ひこばえ幼稚園にはついに通うことはなかった。園内にある沢山の栗の木に実が落ちる頃の...
近年のわが家で食べるトマトは、夫の畑で育てているトマトが稔ってくれる限り、スーパーで買うことはなくなった。この守谷市に住み、畑作りもようやく失敗作が少なくなってきているので、毎日の献立のサラダではすっかり当てにしている...
高校時代のこと、体育館には各学年、各クラス、各自のロッカーが具えてある。毎回、体育着を持ち帰って洗濯するのは面倒なことであった。冬季や涼しい頃には問題はないのだが、蒸し暑さのはじまった6月か7月のことだ。授業の後に体育...
出版社蝸牛社をやっていたころ、気象予報士であった平沼洋司著『気象歳時記』を出版したことがある。その中に、「梅雨と風土」の項目があるので、一部を紹介させていただこう。 日本の気候の特徴である梅雨と夏の蒸し暑さを東洋...
『虚子俳話』の目次の一番最初は、「俳句は季題の詩」である。この文章をそのまま転載させていただこう。 従来の俳句に季題といふものがつきまとうてゐるのは、何かさうしなければならん理由があるのだらうか。あると思ふ。併し...
今宵は、波多野爽波の作品を見てみよう。 ■ 金魚玉とり落としなば舗道の花 『舗道の花』 昭和28年 (きんぎょだま とりおとしなば ほどうのはな) 金魚玉は、ガラス製の丸い球形の金魚鉢のこと。軒端などに吊...
今宵は、夏の季題「滝」の句を紹介させていただこう。 ■ 滝落したり落したり落したり 清崎敏郎 『凡(はん)』平成3年刊 (たきおとしたり おとしたり おとしたり) きよさき・としお 清崎敏郎の作品にまとめて触...
今日は、守谷市を北上し、つくば市をさらに北上し、筑波山が青々と見えるあたちの「つくば植物園」へ出かけた。娘が見たいと言ったのは、「リュウゼツラン」であった。まだ青々と剣のような葉が出ているだけであった。「葉っぱだけなの...
大きな毛虫を見て、「キャーッ!」と言わなくなったのは、60歳くらいの頃からだ。茨城県取手市に越してきて、30キロの黒ラブを乗せて一人で、あちこち車で出かけるようになった。まだ車にナビは付けていなくて、車内に大きな地図を...
歌人窪田空穂に次の螢の1首がある。 其子等に捕へられむと母が魂螢と成りて夜を来たるらし (そのこらに とらえられむと ははがたま ほたるとなりて よをきたるらし) 東京に住んでいた頃、6月になると「飛ん...
鰻は大好物だが、私は、泥鰌は大の苦手である。小学校の頃だったと思う。ある夏の日曜日、父が泥鰌汁が食べたいと言い出した。父は、ちょっと嫌な顔をした母を見た父は、駅前の魚屋まで自ら買いに出かけた。買ってくれば作るのは君だよ...
梅雨の最中であろうかと予定を立てて、季題と例句を探していた。半端ない蒸し暑さではあるが、雨がぱらぱらと降ったかしらというほどの雨量なので、例年のように畑道にできる水たまりが今年はないのだ。 水たまりがあると楽しい! ...
今宵は、深見けん二先生の主宰誌「花鳥来」に掲載してくださった、あらきみほの文章「絵画と俳句」を、「千夜選句」に転載させていただこうと思う。 絵画と俳句 あらきみほ 「シャンソンは語るように台詞は歌...
すごい雹だったなあ、と思い出す雹に、私は2度出会っている。2度とも東京から茨城県の取手市に越してきたばかりの頃であった。 1度目は、待ち合わせした東京神田の喫茶店。店の外に張り出した布製の屋根の下のテーブル席にいた時...
高浜虚子の句を思い出している。 咲き満ちてこぼるる花もなかりけり 高浜虚子 『虚子秀句』 (さきみちて こぼるるはなも なかりけり) もう30年近くになるが、私は当時住んでいた東京練馬区の光が丘公園の...
今年の梅雨入りは、6月6日に梅雨入りしたと思われる、という気象庁のコメントがあったが、例年に比べると早い梅雨入りであった。さらに驚くことは、気象庁のコメントした雨は長くは続かなくて、早くも6月17日には梅雨明け宣言がさ...
2022年6月28日の今日、守谷市の最高気温は、昨日より更に高い38℃を記録した。朝から家中のクーラーを点けっぱなしである。冷蔵庫には2日ほど困らないくらいのストックはあることを確認して、今日も買物に出かけることは中止...
昨夜は、茨城県南の守谷市でも最高気温36℃という、今年になって一番の数字が出た。買物も行かなかったが、こんな時、夫の畑の大量のポテトや胡瓜が大いに役立ってくれている。 今朝、黒ラブのノエルが元気がないように感じた...
舞へ舞へかたつぶり 作者不詳 舞へ舞へ蝸牛 まえまえかたつぶり 舞はぬものならば まわぬものならば 馬の子や牛の子に蹴ゑさせてん、 うまのこやうしのこにくえさせてん...
映画『昼顔』の主役を若い頃に演じたカトリーヌ・ドヌーヴは、プルーストの小説『失われた時を求めて』を映画化した『見出された時』にも登場していた。『見出された時』では、カトリーヌ・ドヌーヴは中年を演じているのでなく、実際に...
畑仕事が好きな夫が、この地に越してきて最初にしたことが畑を借りて種まきをしたことであった。バラバラ、ドサッと蒔いていたら、お隣の畑のおばあちゃんやおじさんが、「土をやわらかくして、種はそっと蒔くんだよ」と、見かねて手を...
2022年6月21日の今日は夏至である。国立天文台のホームページによると、日の出は4時25分。日の入りは19時00分という。「夏至」とは、一年中で一番昼が長い日である。6時には夕方の気配ではあるが、まだ明るい。 昼間...
早朝の散歩で気づいたのが、広い空地に茂っている夏草に、朝露がいまにも落ちそうでいながら葉に留まっている、しとどの重たげな露である。「露」は秋の季語だから、今の季節に大丈夫かしら・・でも俳句に詠んでおきたい。 夏...
今日は6月の第3日曜日の「父の日」である。「母の日」を楽しく終えて、うっかり忘れそうになるのが父の日。でも娘がちゃんと覚えていてくれて、「うちのクマさんに何をプレゼントしようかな?」と、私に相談するでなく呟いていたが、...
今朝は、四時半には目覚めてしまった。散歩には早いかしらと思いつつ、犬に引かれるように外に出た。もう明るかった。家に戻ってから日の出の時刻を調べると、4時23分とあった。日の出とともに起きた朝であった。 いつもの畑...
数日前から仏壇の横には、なんとも柔らかな淡いブルーの大きな毬の紫陽花が活けてある。夫の丹精の畑に植えられている紫陽花である。花の色が少しずつ勢いをうしなってきたようだ。 「ねえ、アジサイの花って、しなっとなるだけで、...
お母さん業は、二人の子育てと、二頭の黒犬ラブラドール・・正確にはペットショップで目と目が合った一頭目の13歳まで生きたオペラと、常総市のブリーダーから直接求めた8歳のノエルである。オペラは人間の心にしっかり寄り添ってく...
「夏の蝶」の代表は大型の揚羽蝶で10種ほどいる。羽を拡げると10センチ以上ある蝶をいう。多くは黒と黄の複雑な模様で、真黒のもの、紫紺の色のものがいる。 夏の蝶の特色としては、大きくて色の強い揚羽蝶や烏蝶である。夏...
夫の畑では、今「胡瓜」が毎日のように穫れて、しかも一本が見事に長くて太い。「工夫して美味しく食べてくれよ!」と言うけれど、胡瓜は栄養価も高くはないし、煮物にも揚物にもならないし、サラダ系にしかならないから、工夫のしよう...
昨夜、梅雨の月が満月のように見えた。昼間の雷雨によって洗われた夜空は漆黒となり、月は金色であった。だがよく見ると、向かって左の部分がまだぼんやりしている。家に戻って調べると梅雨満月は14日の夜の21時頃だという。明日だ...
久しぶりに「千夜千句」を4日間、休ませていただいた。4日の休みは案外に短かったなあ・・第九百夜を書き終えて、「千夜」まで百夜あると思ったとき、残りの日々は「毎日+α」にしてみたい・・そうしなくてはという気分もあったが。...
今宵は、「千夜千句」の第九百夜である。「千夜千句」というタイトルは、じつは松岡正剛さんがご自身のブログ『千夜千冊』の中で、あらきみほ編著『子ども俳句歳時記』を取り上げてくださったことがきっかけである。タイトル「千夜千句...
睡蓮があったかしらと確かめたくて、守谷市の四季の里公園に行ってきた。この公園はあやめと花菖蒲が主で、今の時期は花菖蒲が満開であったが、睡蓮は植えられていないことが分かった。 折角なので、池の真ん中まで八ツ橋のよう...
今宵は、武蔵野探勝について書いてみよう。武蔵野探勝会というのは、虚子の「ホトトギス」が始めた最初の吟行句会である。それまでも、各々では、自然に親しみ、旅をしたりして作句をしていたのではあるが、句会としては、運座と呼ばれ...
倉田紘文の世界 倉田紘文は大分県生まれの俳人。18歳より高野素十に師事、昭和47年、32歳で師素十に勧められて俳誌「蕗」を創刊主宰する。大分県別府市からの発行で、師素十亡き後の素十主宰の俳誌「芹」の会員たちも参加して...
第八百九十六夜 横山房子の「迎火」の句 『秀句三五〇選』シリーズでは巻ごとにテーマがある。このシリーズでは詩人であり俳人である大木あまり氏に、序文に代えて、一遍の詩を書いていただいた。紹介しよう。 死 ...
私の住んでいる守谷市守谷駅の、つくばエクスプレスの高架下に曹洞宗長龍寺がある。守谷駅の送迎にいく際に、国道294号線の信号待ちで必ずのように停まるので、すぐ脇にある長龍寺の裏門を眺めている。入口の梅の木は、春には手入れ...
今宵は、茨城県牛久市生まれの、画家であり俳人である、小川芋銭の「五月雨」「五月闇」の作品2句と、22年前に取手に移転した直後の文章「牛久沼と虚子と芋銭」を紹介させていただこう。 1■俳句 1句目 五月雨や月夜に似...
もう70年近く前、小学校の低学年であった私たちは、給食が済むと午前中で授業はおしまいだった。道草をしながらお喋りをしながら、家に戻っても、また飛び出してゆき、同じ友だちと日が暮れるまで遊んでいた。 一軒隣に、男ば...
ブログ「千夜千句」第八百九十七夜では、2度目となる北茨城の五浦海岸の六角堂行の話を書いた。あと一週間余りで九百夜となる。 私の喜寿となる日が11月10日。2年前に、この日を目標にはじめたことが「千夜千句」であった。私...
小学校に入るほんのすこし前、わが家は、葛飾区から杉並区に家を建てて住むようになった。庭が出来、早起きであり土いじりの好きな父は、せっせと花づくりに勤しんでいた。通りがかる人は、躑躅の垣根越しに父の庭を眺め、父がいる時に...
わが家の庭の隅にも十薬の花が咲いていた。これから咲く小菊の枝々の間から白い花がのぞいている。白い色も様々あるが、十薬の白い花はどこか人を寄せつけない白さである。 茨城県常総市に豪農屋敷坂野家住宅がある。入口を下ってゆ...
大腿骨頸部骨折から、もう2年半が過ぎようとしている。犬のノエルを連れて杖をついて、早朝の散歩と夜寝る前の散歩をしていたが、この春からは、それほど遠くではないファミリーマートまで犬を連れて歩いている。ファミリーマートで銀...
「紙魚」とは、シミ目シミ科の昆虫の総称だ、とくに古書の害虫として知られる「やまとしみ」のことを指す。最も原始的な昆虫の一種で、羽根もなく飛ぶこともできないが、逃げ足は早い。 湿度の高い場所にも出現するため「湿虫(...
わが家の玄関の大きな鉢に、ガーベラが咲きはじめた。花ひとつもよし、鉢いつぱいに咲くもよし。細い茎がすうっと伸び、ガーベラの花びらの一つ一つもほっそりとしている。花の色は真紅であるのに爽やかさを思うのは、花や茎のそうした...
「蝸牛」「カタツムリ」は、子どもの頃から、雨の日や雨の後などに見かけて、その愛らしい形から捕まえてきて飼ったこともあるが、子どもは飽きっぽい、同じように飽きっぽかった子どもの私も、きっと野原に放したのだろう、長く飼ったと...
わが家から少し坂を下ると、関東地方の茨城県を中心に展開している、大きなスーパーのジョイフル本田がある。以前は、近いのに車で行っていたが、大腿骨頸部骨折で手術をして、現在は杖をついている身となった。だからこそ運動をしなさ...
中尊寺に向かう7月、夜明け前に練馬の家を出発してハイウェイの東北道を走っていたときのことだ、霧のなかに女の人が佇っているような錯覚を覚えたのがヤマユリであった。百合の中でも花径の大きさが最大級のヤマユリは、本当に人の頭...
5月14日、北茨城の五浦の六角堂を見に、ドライブに連れていって頂いた。これまでは絶対に私が一人で運転していたほどであったのに、娘から運転の禁止を言い渡された。だがそのおかげで、窓からの景を楽しむことができた。道中の常磐...
「もののあはれ」といふ言葉は人の生老病苦に基づくものであらうけれども、又、四季の変化、従つて天運地動、動植物の消滅、等から来るものである事も忘れることは出来ぬ。否、人間の老病死苦の問題はあまりに現実的である。これを天然...
わが家を出るとすぐの曲がり角に大きなレストランの駐車場がある。夜の犬の散歩の時間には街燈は煌々としている。今、街燈のすぐ横には大きな蜘蛛の巣ができている。この街燈の周りを虫たちが盛んに飛び交っていて、すでに蜘蛛の巣に掛...
卯の花は、ユキノシタ科の落葉低木。5枚の花弁をもった小さな卯の花が雪のようにたくさんかたまって咲くさまは、清楚な感じである。野菜づくりがしたくて、夫の借りている畑の近くにも卯の花が一本植えられているが、花の盛りの頃はど...
昨日の土曜日、もう一度見ておきたいと願っていた五浦(いずら)の六角堂に行ってきた。 きっかけは、夫の荒木が最初に赴任した長崎県立東高等学校で、倫理社会を教え、部活では軟式テニスの顧問をしていた。初めての生徒の一人の佐...
戦争の真のおそろしさ 長島伸一 クリミアの悲劇とは、それは、イギリス陸軍に内在する組織的欠陥であり、かずかずの不合理な規則であり、それにがんじがらめにしばられた将校たちの無責任な体制だったのです。もはや、看護...
東京から茨城県へ移転してきてから、県内の桜、牡丹、楓の紅葉と散策をつづけた。つくば牡丹苑は母も一緒に歩いたこと、入口で先代の黒ラブ・オペラをどうしても牡丹苑に入場させてくれなかったこと、その代わり、駐車場の係のおじさん...
別の地平線 萩原朔太郎 坂のある風景は、ふしぎに浪漫的で、のすたるじやの感じをあたへるものだ。坂を見てゐると、その風景の向うに、別の遥かな地平があるやうに思はれる。特に遠方から、透視的に見る場合がそうである...
毎年5月10日~16日は愛鳥週間である。野鳥愛護のために設けられた一週間(5月10日~5月16日まで)で、バード・ウィークとも言う。その最初の5月10日を愛鳥の日という。鳥の観察や巣箱を設けての保護、禁猟期間の徹底など...
平成17年8月20日、母が亡くなって17年目、父が亡くなって21年目になる。父はどこの結社に属するでもなく、永いこと気ままに志解井司の俳号で俳句を詠んでいた。母を詠んだ句に〈苧環(おだまき)や四つ違ひは死ぬるまで〉があ...
守谷市のわが家の住むあたりも畑が広がっているが、麦畑が広がっているのは、川沿いの街道をつくば市へ向かって北上した辺りに多い。 今宵は、「麦」の作品をみてみよう。 ■ 子は母と麦の月夜のねむい径 長谷川素逝 『...
「杜若」も「燕子花」も、かきつばた、と読む。毎年のように夫は畑から刈ってくるのに、「かきつばた」だろうか「あやめ」だろうかと、今年も確認をしてしまった。だが、じつに姿かたちの美しい花である。 第五百四十三夜で、鈴...
初夏と言えば、鰹のたたきが食べたくなる。長崎県島原半島に生まれた夫は、殊の外魚好きで、肉料理はなくてもよいほどである。 今宵は「初鰹」の作品を紹介するつもりなので、守谷市に新しくできたショッピングモールで、仕入れてく...
火を盗め なだいなだ パパはお前たちに「盗め」という。しかしこれは至極まじめな話なのである。死んだ人間からであろうと、生きた人間からであろうと、その胸から火を盗め。人間は、他の人間の胸の中に燃えている鬼火の...
現在の家に越してきたとき、玄関わきのスペースに、リラの花を植えようと考えた。ライラックともいう。私は花瓶に活けるのは好きだけど育てるのは苦手・・夫の方は、畑を借りても自分の手で育てるのが得意なので、夫に任せることにした...
わが家の裏には、取手駅から常総市への入口の国道246号線まで、ふれあい道路がとおっている。半分ほど桜並木、半分ほど銀杏並木である。家の裏手は、銀杏並木で、年末にばっさりと枝を伐採していたが、春になり、わさわさと小枝も増...
「クローバー」をよくよく眺めたのは、茨城県取手市に転居してからだと思う。まず、休日になると朝から晩まで、天の広さと大地の広さの中を心ゆくまで、車で動き回っていた。東京都との堺には日本の三代河川の利根川が流れているだけと...
今日から5月。4月よりもわくわくするのは、新緑から万緑へだんだんと、否、ずんずんと日々の変化を感じることができるからであろうか。犬は地面を這うように嗅ぎ回るのが散歩だと思っているようだけど、なんともったいない散歩なのだ...
昨日は、久しぶりの雨風の強い夜となった。ノエルの、一日の最後の散歩であり、翌朝の散歩まではいつもオシッコやウンチを我慢できている犬なので、寝る前の散歩はなんとしても済ませたい。杖をつくお母さんになって2年目となるが、不...
誰彼時 晩春の今頃は暑くもなく、寒くもなくちょうどよい気候で、勤め帰りもそこはかとなく明るい。このような夕暮時を「たそがれ時」というが、これは「あそこを行くのは誰だろう」と見えるか見えないくらいの明るさを言い...
昨日の朝はよく晴れていた。明日は「春暁」の俳句を紹介しようと、わくわくしていた。 中国唐代(689年-740年)に孟浩然(もう こうねん/もう こうぜん)という詩人がいた。高校時代の国語の授業で、孟浩然の五言絶句 「...
早起きをした今朝の散歩は、50メートルほどの雑木林はうっすらと霞がかかり、しばらく先に広がる畑は大地からは霞が立ちのぼっているではないか。畑道も野原でも、雑草には露が降りていて朝日に輝いていた。しかも人っ子一人いない、...
牛久沼の丘の上に、画家の小川芋銭が建てたアトリエ「雲魚亭」がある。もう20数年前になるが、東京から茨城県取手市に転居したときから、暇さえあれば茨城県南を車で走り回っていたが、一番多く通ったのが牛久沼の丘の上の小川芋銭居...
今宵は、もう一句「春愁」と「春陰」の作品をみてみよう。この2つの季語に、違いがあるのか、あるならば、どのような違いがあるのか考えてみよう。 ■春陰 春陰の国旗の中を妻帰る 中村草田男 『中村草田男集』 (しゅん...
花が咲き、鳥が鳴き、風が光る。暖かくのどかでさわやかな春は、身も心も明るくのびやかになる。気力が満ちる。だが反対に、何か憂鬱で気分が沈み込むこともある。そんな心の移ろいを、「春愁」とか「春温を病む」などという。 「春...
外人に話した 四季の風物を讃美する、といふ心持ちは、多少づゝ誰もが持つてゐる。併し乍ら、専ら四季の風物を讃美する人の集団といふものは余りない。 四季の風物を讃美するといふことは、文学の中に多少はある。併し乍...
わが家から車で30分ほど西へゆくと菅生沼の南端が見える。長い沼で、私たちは「延命院」の小さな立札を見逃さないように走り、左折する。毎年、菅生沼の白鳥に会いにゆくが、この小ドライブの目的は1つ増えて、必ず、延命院の榧(カ...