第九十三夜 能村登四郎の「春」の句
春ひとり槍投げて槍に歩み寄る 能村登四郎『枯野の沖』 鑑賞をしてみよう。 青年が広いグランドで槍投げをしている。力いっぱい投げ終えた青年は飛距離を確かめるべく槍に歩み寄る。槍を抜き元の位置に戻り、再び投げる...
春ひとり槍投げて槍に歩み寄る 能村登四郎『枯野の沖』 鑑賞をしてみよう。 青年が広いグランドで槍投げをしている。力いっぱい投げ終えた青年は飛距離を確かめるべく槍に歩み寄る。槍を抜き元の位置に戻り、再び投げる...
悪女たらむ氷ことごとく割り歩む 『忘』 鑑賞をしてみよう。 掲句は山田みづえの代表句である。この作品を句会に出したとき師の波郷一人が採ってくれたという。自分を「悪女たらむ」と詠んでいる。戦争中に結婚し、二...
かもめ来よ天金の書をひらくたび 『まぼろしの鱶』 解釈は次のようであろうか。 第一句集の最初に置かれた句である。「天金の書」とは、洋書の製本で、上方の小口だけに金箔をつけたもの。読みながら洋書のページ...
長生きの朧のなかの眼玉かな 『両神』平成七年刊 鑑賞をしてみよう。 この作品は、金子兜太が七十歳を越えたころの自画像のようにも思う。元気とはいえ当時の喜寿は長生きの方である。私は、仕事で何度かお会いしたこと...
この風のおさまれば咲く犬ふぐり 『夏座敷』 掲句の鑑賞をしてみよう。 この日は「花鳥来」の二月の吟行句会で、練馬区の光が丘公園での作品。立春を過ぎたばかりで、風の冷たい日であった。犬ふぐりは公園の日だ...
深吉野や息づくもののみな青し 『都鳥』 掲句を考えてみよう。 平成六年に刊行の第六句集『都鳥』を戴いて、まず掲句に惹かれたが、どこかずっと気にかかっていた作品である。今回、改めて『鈴木真砂女全句集』を見直し...
あっそれはわたしのいのち烏瓜 『静かな水』 正木ゆう子(まさき・ゆうこ)は、昭和二十七年(1952)熊本生まれ。一足先に俳人となっていた兄の正木浩一に誘われて同じく能村登四郎に師事し、「沖」の同人。俳論『起...
牡蠣食べてわが世の残り時間かな 『盆点前』 草間時彦(くさま・ときひこ)は、大正九年(1920)―平成十五年(2003)東京生まれの鎌倉育ち。祖父も父も俳人。時彦は、「馬酔木」に投句し「鶴」の創刊に参加。水原...
雪いつか降り今を降り街燈る 『雪の花』 吟行先で詠もうとする季題に出会った時のけん二先生の集中力は凄いもので、それは言葉が浮かんでくるのを待っている時間であると言われるが、側に近づくことも憚るほどである。 ...
霜降れば霜を楯とす法の城(のりのしろ)) 高浜虚子『五百句』 明治三十五年に子規が亡くなると、子規門の双璧である虚子と碧梧桐の俳句観の相違がはっきりしてきた。碧梧桐の進める新傾向俳句は一派を形成するほどにな...
とんぼ連れて味方あつまる山の国 『絵本の空』 言葉はやさしい俳句であるが、意味を探ろうとすると言葉は逃げてゆきそうになる。完市俳句の評論を読めば、言葉には意味を持たせないとあった。言葉と言葉のつながりが希薄だから...
夜はねむい子にアネモネは睡い花 後藤比奈夫 『初心』 鑑賞をしてみよう。 アネモネは春に咲くキンポウゲ科の花。美しい花びらのように見えるのは六枚から八枚の萼(がく)で、真ん中の黒い色をした蘂を含めた全...
滝の上に水現れて落ちにけり 後藤夜半 『翠黛』 後藤夜半(ごとう・やはん)は、明治二十八年(1895)―昭和五十一年(1976)大阪市生まれ。大正十二年より「ホトトギス」に投句して高浜虚子に師事。〈牡蠣船へ下りる...
かたくりは耳のうしろを見せる花 川崎展宏 『観音』 鑑賞してみよう。 カタクリの花は、萼のところで曲がり、うつむいた形をしている。雌しべ雄しべは見えないから、居並ぶカメラマンたちは地に伏せて写真を撮っていた。そ...
鍵穴に雪のささやく子の目覚め 『雪稜線』 石原八束(いしはら・やつか)は、大正八年(1919)―平成十年(1998)山梨県生まれ。父は「雲母」同人の俳人石原舟月。八束は子どもの時代から俳句に親しみ、昭和十...
金魚玉とり落としなば舗道の花 『舗道の花』 鑑賞をしてみよう。 金魚玉は、ガラス製の丸い球形の金魚鉢のこと。中七の「とり落としなば」は、とり落としてしまったならばという意味の強い仮定であって、この場合、爽波...
蟬時雨子は担送車に追ひつけず 石橋秀野 句意は次のようであろうか。 担送車(ストレッチャー)とは患者を寝かせたままで運ぶ車輪のついたベッドのこと。救急車のストレッチャーに乗せられて病院へ行くときに、五...
稲妻のゆたかなる夜も寝べきころ 中村汀女 鑑賞をしてみよう。 まず「稲妻のゆたかなる」の光景を思い描いて見た。「稲妻」は秋の季題で、雷雲の間、雷雲と地面との間に起こる放電現象によりひらめく火花のこと。 雷鳴や...
短夜や乳ぜり泣く児の須可捨焉乎 竹下しづの女 『颯』 鑑賞をしてみよう。 蒸し暑い夏の夜明け、児は乳を欲しがって母親の乳房を求めてくる。教師として働いて疲れきっている母親に児は容赦ない。火のついたように泣く児...
八雲わけ大白鳥の行方かな 沢木欣一 『白鳥』 鑑賞してみよう。 この作品は、長い昭和の時代が終わり、平成の世となったときに、新潟県の瓢湖で詠んだもの。第十一句集『白鳥』所収の句。「昭和終え平成となりし日に」とい...
老いながら椿となつて踊りけり 三橋鷹女 『白骨』 三橋鷹女(みつはし・たかじょ)は、明治三十二年(1899)―昭和四十七年(1972)、千葉県成田市生まれ。先祖には歌人が多く、鷹女も女学校卒業後、兄の師事する...
寒月に焚火ひとひらづつのぼる 橋本多佳子 『紅絲』 掲句を鑑賞してみよう。 季語は「寒月」「焚火」と冬だが、「焚火」を詠んだ作品であろう。焚火はよく燃えてくると赤い炎となり、その炎はひとひらづつひとひら...
馬ゆかず雪はおもてをたたくなり 長谷川素逝 『砲兵』 長谷川素逝(はせがわ・そせい)は、明治四十(1907)―昭和二十一(1946)年、大阪府生まれ。「京鹿の子」の鈴鹿野風呂、「ホトトギス」の高浜虚子に師事。...
霜つよし蓮華とひらく八ヶ岳 前田普羅 『定本普羅句集』 この句は、「甲斐の山々」として昭和十一年、東京日日新聞に発表の〈茅枯れてみづがき山は蒼天(そら)に入る〉〈駒ケ岳凍てて巌を落としけり〉〈茅ケ岳霜どけ径を...
白梅や天没地没虚空没 永田耕衣 『自人』 今日は1月17日。25年前の平成7年の早朝を思い出す。 いつものように見ていたテレビは、どす黒い火災の煙が曇天を突き上げている神戸の街をヘリコプターから映していた...
火の奥に牡丹崩るるさまを見つ 『火の記憶』 加藤楸邨(かとう・しゅうそん)は、明治38(1905)年―平成(1993)年、東京生まれ(出生届は山梨県)。昭和6年に村上鬼城に私淑、水原秋桜子に師事し、「馬酔木」...
くろこげの餅見失ふどんどかな 室生犀星 今日は1月15日。「どんど」の句をみてみよう。 「どんど」は「左義長」という行事のことで、新年の飾りを取り払って神社や広場に持ち寄って、焚き上げることである。松納、飾...
噴水の水をちぎつて止まりけり 『空ふたつ』 鑑賞をしてみよう。 公園の噴水であろう。水は勢いよく天に向かって光を放ちながら吹き上げている。その噴水を止める瞬間に偶然にも立ち会うことができた山田弘子は、水の栓...
雪嶺の中まぼろしの一雪嶺 岡田日郎 2019年の俳人協会のカレンダーの、十二月を捲ったとき、岡田日郎の〈雪嶺の中まぼろしの一雪嶺〉の句に出合った。一と月の間、その太々と大らかな文字で書かれた色紙を朝に夕べに眺...
つゝじこなら温石石のみぞれかな 宮沢賢治 「千夜千句」をスタートさせてから、俳句に纏わる書籍は出しておこうと書棚を調べた時に、以前に入手していた石寒太著『宮沢賢治の俳句』と再会したのだった。発表されている俳句...
土間にありて臼は王たり夜半の冬 大正3年 西山泊雲(にしやま・はくうん)は、明治十(1877)年、兵庫県丹波市の生まれ。西山酒造の長男。明治三十六年に弟の野村泊月の紹介で高浜虚子に師事。当時の虚子は小説に打ち...
老犬をまたいで外へお正月 坪内稔典 坪内稔典(つぼうちとしのり)は、昭和十九(1944)年、愛媛県伊万町生まれ。俳号「ネンテン」。高校時代から投句し、伊丹三樹彦の「青玄」に学ぶ。現在は「船団の会」代表。国文学...
脇僧の風邪気味にておはしけり 西村和子 西村和子(にしむらかずこ)は、昭和二十三(1948)年、横浜市生まれ。慶應義塾大学に入学と同時に「慶大俳句」に入会し、清崎敏郎に師事。翌年清崎主宰の「若葉」に投句を始め...
梟の目玉みにゆく星の中 矢島渚男 『天衣』 鑑賞をしてみよう。 ふくろう科の鳥はみな夜行性。しかし「梟(フクロウ)」は、ミミズクとよく似ているが、フクロウには頭の脇には耳のように直立した耳羽がない。一年...
水鳥の水をつかんで飛び上がり 深見けん二 『日月』 句意は次のようであろうか。 「水鳥が飛び上がりました。見ると全身から水をしたたらせていますが、まるで水をつかんで水を離れていくように見えましたよ。」 ...
羽子板の重きが嬉し突かで立つ 『龍胆』大正三年 鑑賞をしてみよう。 お正月になると、ずしりと重い羽子板を一つ抱えて門の前に立っているかな女。だが、重い羽子板だから羽つき遊びに加わることもなく、人が羽子をつくのを...
さくらんぼルオーの昏きをんなたち 石 寒太 鑑賞してみよう。 「さくらんぼ」は、五月の太陽に実が赤くなるが、梅雨時に出回る果物。作者は、さくらんぼを食べながらルオーの描く若い女の絵画へ思いを飛ばした。暗い色...
湖は光の粒とかいつぶり 小枝恵美子 鑑賞をしてみよう。 晴れた日の湖は、風の漣に、そして潜ったり出たりするときの鳰の水脈に、日差しが当たってキラキラ輝いている。それが「光の粒」である。鳰は「かいつむり」...
駅伝のたすきをつなぐ明の春 梅田美智 sash to runner,,, sash to runner,,, sash to runner,,, new year road race 梅田美智...
屠蘇つげよ菊の御紋のうかむまで 本田あふひ 鑑賞は次のようであろうか。 本田あふひ(ほんだあおい)は、ホトトギスの俳人。明治八(1875)年に、東京の坊城伯爵家に生まれ本田男爵家に嫁いだ生粋の華族である。華...
目出度さもちう位なりおらが春 小林一茶 令和二年の元旦の、「千夜千句」は五十三句目からのスタートだ。 毎日悩んでいることは、千分の一の今日の句として、この作者のこの一句が一番ふさわしいであろうか、ということ...
藪の中冬日見えたり見えなんだり 高浜虚子 昭和三十三年 鑑賞は次のようであろうか。 鬱蒼とした藪に分け入ると、枯蔓に覆われた杉や竹林の葉影から、青空の欠片や冬日の木漏れ日が覗いている。風に藪が揺れると、冬日...
思はずもヒヨコ生まれぬ冬薔薇 河東碧梧桐 明治三十九年 句意は次のようであろう。 「驚いたことに今日、鶏小屋を覗くとヒヨコが生まれていましたよ。庭には冬薔薇が咲いています。」 鑑賞してみよう。 この作...
地の雪と貨車のかづきてきし雪と 木下夕爾 句意は次のようであろうか。 「私の住む地にも雪が積もっている。目の前を貨車が通過する。その屋根には雪が載ったままである。どこで降った雪を被ってきたのだろう。この地の...
ロシア映画みてきて冬のにんじん太し 古澤太穂 鑑賞をしてみよう。 太穂が観たのはどんなロシア映画だったのだろう、たとえば「戦争と平和」でも「アンナ・カレーニナ」でも、ロシア帝国から社会主義国家への転換期...
寒紅や暗き翳あるわが運命 下田実花 掲句の句意は次のようであろう。 「寒紅をつけた芸者の運命がそうであるように、私も、暗い翳のある身の上なのですよ。」 鑑賞をしてみる。 季題「寒紅」は、虚子編『新歳時...
雪国に六の花ふりはじめたり 京極杞陽 昭和三十三年 鑑賞してみよう。 杞陽の住む兵庫県豊岡市は、日本海側の山陰地方なので、冬は雪に長く閉ざされる雪国である。「六の花」は「むつのはな」と読み、「雪」のこと。雪...
秋の航一大紺円盤の中 中村草田男 鑑賞してみよう。 秋空の青を映す見渡す限りの海原は、空の青より一段と濃い紺色。海原には草田男の乗った客船だけが航行していて、行けども行けども海原という三百六十度ぐるりの...
かりかりと蟷螂蜂の貌を食む 昭和七年 鑑賞をしてみよう。 一匹の蟷螂が捕まえた蜂を食べている。かりかりという音を立てているかのように、まだ生きている蜂の貌からむしゃむしゃ食べはじめた。目を背けたい光景だが、...
案山子翁あちみこちみや芋嵐 阿波野青畝『萬両』 鑑賞をしてみよう。 里芋の葉が風に大きく茎ごと揺れている様を「芋嵐」と捉えたもので、青畝の造語である。畑の番をしている貧弱な棒きれで作った案山子もまた、強...
啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々 水原秋桜子『葛飾』 この作品には「啄木鳥」(秋)と「落葉」(冬)と二つ季題があるが、「啄木鳥や」とあるからにはこちらが主題であろう。高浜虚子の『新歳時記』には「秋の林を歩いていると、...
ふりむかば何か失ふさくらかな 嶋田麻紀『史前の花』 句意は次のようであろうか。 「もし今、ふりむいてしまったら、きっと何か大切なものを失うことになるに違いない。それにしても桜は美しいことよ。」 鑑賞してみよう。...
月光やマリアカラスのコロラトゥーラ 泉 幸子 句意は次のようであろうか。 「月光が明るく輝き渡っていて、オペラの歌姫マリア・カラスの転がすように歌う見事なコロラトゥーラを聴いているようですよ。」 泉幸子(い...
秋と書きちよつと外見て風と書く 上野章子『日向ぼこ』 句意は次のようであろう。 「一句詠もうとしてまず〈秋〉と書いたところで、外を見ると爽やかな風が吹いていたので〈風〉と書き加えましたよ。」 この句の季題は...
秋の灯にひらがなばかり母の文 倉田紘文『慈父悲母』 句意は次のようであろう。 「病室に届いた母からの手紙を開けてみると、平仮名ばかりで書かれていましたよ。」 この作品は、十九歳で師事した高野素十の俳誌「芹」...
雪片のつれ立ちてくる深空かな 高野素十『雪片』 句意はつぎのようであろう。 「降る雪をじっと眺めていると雪の一粒一粒が空から下りてくるのが一筋となって見えますよ。」 昭和八年の異国ドイツでの雪。素十の目には、そ...
チチポポと鼓打たうよ花月夜 松本たかし『鷹』 句意は次のやうであろう。 「この美しい花月夜の晩こそ、鼓をチチポポと打って楽しもうではないか。」 たかしの妻である俳人つや女は『松本たかし集』(現代俳句文学全集)の...
青邨忌冬の挨拶はじまりぬ 斎藤夏風 鑑賞は次のようであろうか。 「青邨忌」は十二月十五日。中七の「冬の挨拶」は青邨門下であることの誇りの証のようである。十二月になれば必ず思い出し、仲間同士の挨拶では青邨師の...
見てあれば冬木桜の花咲くよ 山口青邨『日は永し』 句意は次のようであろう。 「冬木桜を眺めていると、花が咲くような気がしますよ。」 山口青邨(やまぐちせいそん)九十四歳、最後の第十三句集『日は永し』に掲載...
ながながと川一筋や雪の原 野沢凡兆『猿蓑』 鑑賞をしてみよう。 一面の雪の原を、空の濃紺を映した一筋となって川が流れている。描写された言葉のままの作品で、技巧とか特別な意味を込めた作品ではない。だが、この作...
竹馬やいろはにほへとちりぢりに 久保田万太郎 「竹馬遊びをしていた子どもたちが、夕暮れになって、いろはにほへとの文字がバラバラになってしまったかのように、それぞれの家に戻っていきましたよ。」 句意は、このよ...
酔えば酔語いよいよ尖る冬の月 楠本憲吉 「いよいよ尖る」が興味深く感じられる作品である。 鑑賞をしてみよう。 「酔語」とは酔っているときの戯言のことで造語であろうか。酔えば、ついつい本音でべらんめえ口...
旅人や泣く子に凧を揚げてやる 石島雉子郎 句意はそのままの優しさの作品である。 鑑賞してみよう。 「旅人」は雉子郎である。救世軍兵士として常に、見知らぬ人の心に語りかけ、「耶蘇」と言われ「邪教」と言われて...
寒卵二つ置きたり相寄らず 細見綾子『冬薔薇』 掲句の鑑賞を試みてみよう。 綾子はある朝、鶏小屋から持ってきた産みたての寒卵を二つテーブルの上に置いた。並べて置いてみた・・もう少し離してみようか。今度は二つを...
The friendly snowman Enjoying the sun`s heat Feeling the mistake Susanne Hyun, Grade 6, Canada 人のいい雪ダルマが ...
いちょうが黄色いかおしてあはははは 種子島七海 小3 秋の季語「銀杏黄葉」なのか、それとも、冬の季語「銀杏散る」だろうか。 どちらとも言えそうだが、考えてみよう。 「いちょうが黄色いかおして」は、まず...
音なく白く重く冷たく雪降る闇 中村苑子『花隠れ』 最後の句集である平成八(1996)年刊『花隠れ』の最後に置かれた掲句は、苑子俳句には珍しく平明で、句意はそのままのように思う。 何と直叙的であろうか。雪とい...
しつかりと見ておけと滝凍りけり 今瀬剛一 句意は次のようであろう。 「凍滝を見ていたら、私の姿をしっかりと眼に留めておきなさい、と凍滝の方から言われたように感じましたよ。」 今瀬剛一は昭和十一年生まれ。水戸...
死ねといふ風のぺんぺん草がいふ 石田勝彦『秋興』 句意は次のように単純明快であろう。 「散歩しているときだ。風が吹いてぺんぺん草がサラサラと音を立てた。その音がまるで、死んじまえ、という声に聞こえたのは。」 ...
子の両手よりの無限の毛糸まく 山崎ひさを『歳華』 句意は次のようであろうか。 子が両手を拡げて毛糸の束を持ち、母がくるくると巻き取ってゆく。「無限」の措辞は、果てもなく巻かれてゆく毛糸玉であり、母と子の無限の愛...
屏風絵の鷹が余白を窺へり 『蕩児』 句意は次のようであろうか。 「屏風には一羽の鷹が描かれている。金屏風であっても銀屏風であってもよいが、鷹の目は、何も描かれていない屏風の一部に視線を向けている。まるでその先に獲...
ところてん煙の如く沈み居り 日野草城 句意は次のようであろうか。 「木製の心太突きで押し出されて清水桶にとぐろを巻いて収まっているところてん。曇りガラスのような色の物体は、もやもやしていて、まるで煙のようですよ。...
もがり笛風の又三郎やあーい 上田五千石 次のような句意であろうか。 「冬の強い風に立つ笛のような音を聴いていると、今にも、風の又三郎が現れてきそうですよ。」 「虎落笛(もがり笛)」は冬の季題で、冬の烈風が竹垣や...
見うしなふ落葉の中の紅葉かな 武原はん 昭和十四年 武原はんは、明治三十六(一九〇三)年徳島市の生まれ。十二歳で大阪の大和屋芸妓学校に入学、芸者時代を経て、おはんは東京で更なる舞の精進をして舞踊家となる。はんは、...
枯芝の人影が去り夕日去り 『安房上総』昭和二十四年 句意は次のようであろうか。 「枯芝に座っていた人は日が暮れると立ち上がって去っていった。やがて一時の黄昏の耀きを終えた夕日も沈んでしまいましたよ。」 枯芝...
うつくしきあぎととあへり能登時雨 飴山 實 大学時代、教授を軸にしたグループの旅行で、石川県の東尋坊へ出かけたことがあった。卒業後、再びそのメンバーが集まって金沢、東尋坊、三国の旅に行った。残念なことに能登半...
寒鴉己が影の上におりたちぬ 芝 不器男 この句に出会った最初は、まず中七の「己(し)が影の上(え)に」が読めなかったこと、「己」を「し」と読むのは万葉集など古語にあると漸く知ったこと、「己」と言えば作者自身だと思...
風邪の子の電気暗いの明るいの 上野 泰 上野泰は大正七年横浜の生まれ。家業は上野運輸商会という輸送業である。その関係であろう、大学を卒業した泰は軍隊の輸送を担う近衛輜重兵連隊に入隊。高浜虚子の六女の章子とはテ...
川底に蝌蚪の大国ありにけり 村上鬼城 十一月の初め、久しぶりに牛久沼に出かけた。沼の端はあやめ園があるが、この時期には沈殿した泥の表面の水は澄んでいて日の光を弾いていた。 私は、ここに大きな蝌蚪の紐があったこと...
死にて生きてかなぶんぶんが高く去る 平畑静塔 季題は「かなぶん=金亀子(こがねむし)」で夏。 句意は次のようであろうか。 「夏の夜、うなりながら灯に飛んできて、ポタッと落ちて、死んだまねをするかなぶん。あら...
小石川後楽園の入口近くに冬桜があった。十二月は忘年会も兼ねるので吟行句会はこの庭園と決まっていた。訪れる度に眺めていた冬桜は、老木だったのであろう年々に花の数が少なくなり、ついに庭園から冬桜の姿はなくなった。私が冬桜を...
大いなる沼見せにゆく子づれ鳰 石井とし夫 石井とし夫は、二十歳から「ホトトギス」で高浜虚子、高浜年尾、稲畑汀子と、代々の主宰の選を受けてきたホトトギスの俳人である。「沼」というテーマをもって五十年に亘る作品の中の...
青りんご大人になるにはおこらなきゃ 小6 染谷まや 小学生の子ども俳句の中で、まやさんの句にはびっくりした。「大人になるにはおこらなきゃ」に驚いたのである。理屈で考えると、「青りんご」が子どもで、「紅く熟れた...
芋の露ころげるときを待ちてをり 辻 桃子 ある年の辻桃子主宰の「童子」の祝賀会で皆が戴いた扇子には掲句が書かれていた。大ぶりの扇はよい風がくる。この扇で夏を過ごしているからでもあるが、大好きな句の一つである。...
足袋つぐやノラともならず教師妻 杉田久女 杉田久女の俳句との出会いは、高校時代の授業で習った「足袋つぐやノラともならず教師妻」が最初で、中七の「ノラともならず」がとても新鮮に響いたことを思い出す。大正十一年作のこの...
赤き独楽まはり澄みたる落葉かな 星野立子 そろそろ落葉の時期でもあるので、昭和六年十一月二十七日の戸塚の親縁寺での句を紹介してみよう。星野立子著『玉藻俳話』には、立子俳句が詠まれた時の前後の模様が書かれている。 ...
むらぎもの色に燃えけり古暦 高橋睦郎 季題「古暦」は虚子編『新歳時記』に「新しい暦が配られると、それまでの暦は古暦となるのである。年の暮れるまでは未だ古暦にも用がある。四・五枚になったカレンダーも亦古暦である。」...
霧黄なる市に動くや影法師 夏目漱石 明治三十五年九月十九日に子規が亡くなった。英国ロンドンへ留学中の漱石は、虚子からの電報を受け取ったが親友の子規の葬儀に日本へ戻ることも叶わないので、「倫敦にて子規の訃を聞きて...
をりとりてはらりとおもきすすゝきかな 飯田蛇笏 歳時記によって「折りとりて」と一字だけ漢字である場合もあるし、「をりとりて」と全部平仮名である場合があるが、蛇笏自身も少しづつ変化していたのかもしれない。私は、...
よろこべばしきりに落つる木の実かな 富安風生 風生俳句の中で私が一番先に惹かれた作品である。最初、「よろこべば」がどういうことなのか掴めなかったが、一本の老木の下で、子ども達が木の実を拾っている。その楽しそうな姿...
ラガー等のそのかちうたのみじかけれ 横山白虹 四年に一回のラグビーワールドカップが、今年(二〇一九年)の九月二十から十一月二日まで日本で開催された。スポーツ番組を夢中になってテレビに齧りつくこともなかった私も、日...
11/11 ふれ合はずして敗荷の音を立て 「敗荷」は秋。平成三年に上梓された第四句集『花鳥来』の掉尾を飾った作品である。当時俳句を始めたばかりの私には景がうまく掴めなかった句であった。 平成十一年に茨城県南に住む...
句日記があり作品には日付が付してある高浜虚子の句から、私の誕生日の十一月十日の作品を選んだ。虚子の『五句集』(岩波書店刊)の中の二冊目の句集『五百五十句』にこの日付があり、次の二句が並んでいる。 そして今日、十月...