第百九十三夜 高浜虚子の「木の芽」の句
全ての予感を秘めて鎮もりかえっていた早春が過ぎて、桜の花へ心の高まりを一気に持ってゆき、その慌ただしさも過ぎて、花疲れの中でひと心地をついていると・・・。いつの間にか木々の梢は賑やかになり、いつの間にか少しだけ異なった...
全ての予感を秘めて鎮もりかえっていた早春が過ぎて、桜の花へ心の高まりを一気に持ってゆき、その慌ただしさも過ぎて、花疲れの中でひと心地をついていると・・・。いつの間にか木々の梢は賑やかになり、いつの間にか少しだけ異なった...
八大竜王怒って雹を抛(なげう)ちし 青木月斗 掲句をみてみよう。 「雹」は夏の季題。積乱雲の発達によって、激しい雷雨にともない降る氷塊を「雹」という。初夏の頃、豆粒大から卵、さらには拳大の大きさにな...
この作品は「句日記」から『五百五十句』に入集されてはいない。だが『渡仏日記』には書かれており、フランスに入国した虚子の最初の作品である。 「五百五十句時代」として、特別に、紹介したいと思う。 三月二十七日にマルセイ...
春蟬の声一山をはみ出せる 『日月』 平成十五年五月十八日、けん二先生の句碑が伊香保温泉の「文学の小径」に誕生した。前日に伊香保入りされていたけん二先生ご一家はこの日、私たち「花鳥来」のメンバーを出迎えてくださ...
この春は、不思議な符合がいくつかあった日々であったように思う。 新型コロナウィルスのニュースが出た当初は、インフルエンザの一つかな、くらいに思っていた。中国の武漢の徹底した封鎖のニュースが届き、横浜に停泊中の型客船に...
『渡仏日記』には、三月六日に彼南(ペナン=マレー半島の西海岸)に下りて蛇寺に行き、途中で日本と同じ香の稲田を見たとある。その後、エジプトのスエズに入港する三月二十一日までは、『五百五十句』に作品は入集されていない。 ...
十五 稲妻のするスマトラを左舷に見 三月五日。新嘉坡碇泊。日本人共同墓地に二葉亭四迷の墓を弔ふ。敬二、楠窓同道。章子は途中空葉居に下車。帰途敬二居に立寄り帰船。正午出帆。 ■この句の背景 この日、日...
シンガポールは、赤道に近いため一年中暑い。筆者の私は、八月に訪れたことがあるが、樹木は驚くほどの丈で鬱蒼として、自分の体温より暑さの中で、湿気と熱気をまとい通しだったことを覚えている。 十一 ...
欧州旅行への船旅が、ヨーロッパの入口のフランスのマルセーユ港に着くまでの主な作品を、しばらく「千夜千句」で続けて紹介してみることにする。 十 春潮や窓一杯のローリング 二月二十九日。朝、香港出帆。 ...
今回、欧州旅行の箱根丸が碇泊した最初の外地が中国の上海である。長江の最下流部を揚子江と呼んでいるが、その濁った揚子江から支流の黄浦江を遡ったところに上海の港がある。 九 上海の霙るる波止場後にせり 二...
今日は母の日。戦後の昭和二十年生まれの私が「母の日」を知ったのは電車に乗って中学校に通い始めてからであったと記憶している。アメリカの「母の日」のことが、テレビで話題になっていた。都心の駅前の花屋さんやケーキ屋さんの前を...
五百五十句時代における、虚子自身の一番大きな出来事は、初めての欧州の旅である。 虚子の渡欧は、数年前から勧められていたが、ようやく機が熟した。音楽留学でフランスに十年も滞在中の二男の友次郎を一度は訪ねたかったこと、ド...
元となっている『五百五十句』鑑賞は、俳誌「鋼(あらがね)」に連載していたものだが、廃刊となり、昭和十一年から十五年までの内の十二年までしか鑑賞は仕上がっていない。『五百五十句』の半ばであるが、全句の鑑賞を試みるつもりな...
句集『五百五十句』は、昭和十一年から十五年までの作品が収められ、「ホトトギス」五百五十号を記念して昭和十八年に刊行された第二句集である。また、発行年の昭和十八年二月二十二日に満七十歳を迎えた虚子の古稀記念ともなった句集...
高柳重信を師と仰いでいる夏石番矢氏の編著『蝸牛俳句文庫13 高柳重信』を、本書の編集で300句の作品に感動しながら読んだ日々を思い出しながら、今、再び手にしている。このブログ「千夜千句」は短いので、重信ならではの多行形...
富澤赤黄男の作品は、句の意味を探ろうとすると手強く、難解だと思うと罠に落ちそうになる。四ツ谷龍氏の編著『蝸牛俳句文庫16 富澤赤黄男』の初稿を、編集で拝見したときのドキドキした気持ちを思い出しながら、素直に鑑賞してゆけ...
守谷市で「円穹(えんきゅう)」俳句会が生まれたのが平成十六年、私の記憶も定かではないが、星川和子さんとの出会いは数カ月後の手賀沼吟行であったと思う。 どこか淋しそうな面立ちであった。夫を亡くし、さらに父を亡くし、仙台...
伊藤通明氏は、『蝸牛俳句文庫 久保田万太郎』『秀句三五〇選 鳥』『秀句三五〇選 海』などの著者としてお会いしたが、同じ九州出身ということもあり今も懐かしい方である。 鑑賞を試みてみよう。 夕月や脈うつ桃をてのひら...
俳句入門は、鹿児島県有数の進学校ラ・サール高校二年のとき、短歌俳句部に入部したことに始まる。馬酔木系の俳人が鹿児島大学から来講し、そこに国語の先生方も加わって、みな平等に名を名乗らずに句会をしたという。さぞ楽しかったこ...
宇多喜代子氏の略歴から、俳句のきっかけが正岡子規門の石井露月の師系であったことを知った。何だかうれしくなって、書棚にあった宇多喜代子著『わたしの名句ノート』を開いた。そこには、冒頭から高浜虚子、正岡子規、石井露月の句が...
飯島晴子氏の作品は「先ず写生がある」と言われているが、言葉にして鑑賞しようとすると、どれもむつかしい。 考えてみようと思う。 うしろからいぼたのむしと教へらる 『春の蔵』 吟行での作品のように見える。「いぼ...
本阿弥書店刊『新・俳句の杜3 俳句アンソロジー』を拝見した。小澤克己氏は、俳句をはじめて三十年、句作の上で意識してきたテーマは詩性(ポエジー)であり、その中でも「星空とメルヘン」は大きな要素を占めていたという。 そし...
犬の夜の散歩の帰り道は西空を眺めながらとなる。四月の初め頃、西空に大きく瞬いている光に気づいた。飛行機だったら動くし、大きな星なら金星だと思うけれど、驚くほどの大きさであった。戻ってからネットで調べると、「金星は、令和...
あひ年の先生もちて老の春 『水竹居句集』 作品をみてみよう。 大正十一年、東京駅前に丸ビルが落成した時にイの一番に申し込んできた店子の中に俳人虚子がいた。当時の三菱地所部長であった赤星水竹居は驚いた。そ...
仰向きに椿の下を通りけり 『たけし句集』 鑑賞をしてみよう。 「椿」は、咲きながら枝葉の間から押し出されるかのように落花する。一花は、花びら一枚一枚と雄蕊が全てつながった構造なので、枝にある時の形のままに落ち、上...
『花神現代俳句20 林 徹』中の第三句集『群青』から、作品を紹介させていただく。 鑑賞をしてみよう。 炎天や生き物に眼が二つづつ 『群青』 林徹の代表句のひとつである。「生き物に眼が二つづつ」は、そのまんまとも...
夜光虫身に鏤めて泳ぎたし 『一芸』 夏に発生する「夜光虫」は、海洋性のプランクトン。大発生すると夜に光り輝いて見えることからこの名が付いたが、昼には赤潮として姿を見せる。赤潮は災厄だが、夜の海を青くみせる夜光虫の燐...
今宵は、『蝸牛俳句文庫10 松瀬青々』茨木和生編著から、松瀬青々の作品を紹介させていただくことにしよう。 私の知る松瀬青々は、正岡子規存命中に「ホトトギス」の編集をしていたこと、細見綾子が最初に師事したのが「倦鳥」主...
ジョッキ宙に合する音を一にせり 『往来以後』 (じよつきちゆうにがつするおとをいつにせり) 掲句をみてみよう。 「ジョッキ」が「「ビール」の副題として認められて間もない頃に詠まれたのだと思う。岸風三樓の師で...
春行くや手話もゆるやか島のバス 『円穹』 掲句は、「天為」の有馬朗人主宰も参加しての上五島吟行で作である。観光客を乗せた島のガイドさんは言葉も動作もゆったりしている。手話も、どことなくゆるやかだ。 同時作の...
「鶴」同人である従姉妹から頂いた、俳人協会の自註現代俳句シリーズ『大石悦子集』を魅了されながら読んだ日のことを思い出した。自註に救われたが、目を瞠るほどの中国から日本の古典の知識の広さ深さがある。 そして驚くのは、十...
じゃんけんで負けて螢に生まれたの 『空の庭』 この作品を鑑賞してみよう。 争いが苦手だから、私は、競争の一つでもある「じゃんけん」が弱かった。 だが掲句の「負けて」「螢に生まれたの」と続く言葉からは、...
角川源義と言えば、角川書店の設立者であり、俳句だけでなく文壇、歌壇など文芸界全般をリードした一人である。 俳句は中学時代から興味を持ってをり、昭和二十二年、金尾梅の門の「古志」が創刊されると幹部同人として参加する。第...
タイトルには季語を入れることが多いが、今回は「兄いもと」とした。 兄と妹、姉と弟という二人はじつに仲良しだ。兄と姉は年下の「いもうと」や「おとうと」に絶対的な権力をもっている。わが家の、年子の姉と弟の場合もそうだった...
酔ひ諍ひ森閑戻る天の川 『石塚友二句集』 掲句の背景を見てみる。 石塚友二の、生活にのたうち酒なしではいられない若き日の作品は、他人事とは思えない辛さを感じる。書店に勤め、小説家志望で横光利一に師事し、沙羅書...
無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ 『無礼なる妻』 「妻」を考えてみよう。 私は長いこと、橋本夢道の〈無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ〉と、秋元不死男の〈火だるまの秋刀魚を妻が食はせけり〉の句が渾然とな...
知恵伊豆の墓はこちらと囀れる 『三角屋根』 知恵伊豆の墓とは松平伊豆守信綱のことで、埼玉県新座市の平林寺にある大きな墓所である。江戸時代前期の大名で川越藩藩主。老中。官職の伊豆守から「知恵伊豆」(知恵出づとか...
夢に見れば死もなつかしや冬木風 『富田木歩句集』 作品を鑑賞してみよう。 掲句は、「夢に見れば死もなつかしや」をどう読むかであろう。 木歩は父や母や弟や妹たちの死を間近に見ていた。木歩自身も、蹇(あしなえ)だけ...
初桜男同志も恋に似て 『新歳時記』平井照敏編 今年の桜の時期は、新型コロナウィルスが世界中に蔓延して、日本も、最初はなるべく外出は控えるように国から言われ、娘の会社はテレワークになり、その次には、東京を初めとして七...
渡辺水巴(わたなべ・すいは)は、明治十五年(1882)―昭和二十一年(1946)、東京都台東区生まれ。父は近代画家の渡辺省亭。水巴は明治俳句で身を立てることを志し、明治三十四年、内藤鳴雪の門下生となり、終生俳句以外に職...
原石鼎(はら・せきてい)は、明治十九年(1886)―昭和二十六年(1951)、島根県出雲市生まれ。中学時代より俳句に親しみ、明治四十五年、「ホトトギス」に投句。医業を継ぐはずであったが、文学への思い絶ちがたく、放浪のの...
与謝蕪村(よさ・ぶそん)は、享保元年(1716)―天明三年(1783)、大阪市都島区毛馬村生まれ。俳諧師、画家。俳諧は早野巴人に学び、絵画は狩野派の手ほどきを受け、文人画を大成。俳画作品の「おくのほそ道」「野ざらし紀行...
生涯の口伝の一語高虚子忌 「珊」第125号・2020・春 今日は「虚子忌」。昭和三十四年四月八日に亡くなられた高浜虚子は、今年、没後六十一年目となり、最晩年の弟子の深見けん二は六十一回目の虚子忌を迎えることとなっ...
村越化石(むらこし・かせき)は、大正十一年(1922)―平成二十六年(2014)、静岡県藤枝市生まれ。昭和十六年、妻とともに群馬県草津村のハンセン病国立療養所栗生楽泉園に入園。俳句は園内の「栗の花句会」に始まる。昭和二...
四月六日、例年であれば小学校と中学校では入学式が行われる日である。桜が満開であった一週間ほど前、守谷駅から近い古刹・西林寺の枝垂桜を見に行った。江戸時代には既に大樹であったという桜は、今年は樹木医の手が入って幹の一部が...
朧夜の水より覚めて来たる町 『汀子第三句集』 鑑賞をしてみよう。 「朧夜(おぼろよ)」は、朧月夜のこと。季題「朧」は、春の夜の、ものみな朦朧とした感じである。物の形や春の茫とした感じに用いる。 この作品は、稲畑...
狡る休みせし吾をげんげ田に許す 『礼拝』 津田清子氏の作品を最初に惹かれたのは、歳時記で見た〈虹二重神も恋愛したまへり〉〈千里飛び来て白鳥の争へる〉と、この〈狡る休みせし吾をげんげ田に許す〉であった。 掲句を見て...
ちるさくら海あをければ海へちる 『白い夏野』 作品をみてみよう。 窓秋の目には、桜の花びらは自分の意志で散っているように見える。花の散る方向は風の方向で決まるのに、「海があをいから」海の方へ桜が散って...
気の遠くなるまで生きて耕して 『カラー図説 日本大歳時記』講談社 作品の背景をみてみよう。 春の季語「耕(たがやし)」は、「たがえし」とも言う。種を蒔いたり、苗を植えるのに適するように土を鋤き返しやわらか...
令和二年の今日、四月一日は西洋では万愚節(オール・フールズ・デー)と呼ばれる日。この日ばかりは罪のない嘘で人をかついでも許されるという風習があり、この日に騙された人のことを「四月馬鹿」「エイプリルフール」という。 季...
子を殴(う)ちしながき一瞬天の蟬 『街』 男の子を叱るとき、父親が身をもって殴たねばならない時がある。ここぞという時の一打でなければ教育的な効き目はないのだが、父が幼い子の、触れてみれば柔らかな頬を、叩くのはさぞ哀...
初夢や四割る二が割り切れず 『円穹』 作品をみてみよう。 「四割る二」がどうしても割り切れないというのだ。理数系も得意な和子さんなら簡単に解けそうだけど、夢の中では、解けそうなのに数字がどうしても浮かんでこないこ...
しんしんと肺蒼きまで海のたび 「海の旅」『篠原鳳作全句文集』 作品をみてみよう。 海の青さを「肺蒼きまで」と、全身で感じるのは、陸地から遠く離れた外洋でしか感じられないのかもしれない。この作品は無季の句...
まず、プロフィールから見てゆこう。 折笠美秋(おりがさ・びしゅう)は、昭和九年(1934)―平成二年(1990)、神奈川県横須賀市生まれ。昭和三十三年、早稲田大学在学中から「早稲田俳句会」に参加。卒業後は東京新聞社に...
行春や鳥啼魚の目は泪 『奥の細道』 ゆくはるや とりなきうおの めはなみだ 芭蕉の句は「千夜千句」の二度目であるが、本日、三月二十七日は、芭蕉が『奥の細道』の旅立ちの日である。旧暦なので実際はもう少...
春雷は空にあそびて地に降りず 『盆地の灯』 作品をみてみよう。 「雷」は夏に多く、激しい音や雷光や落雷もあるが、「春雷」は、一つ二つと鳴ってそれきり止むこともある。 句意は、「春の雷というのは、お空の...
満月に正面したる志 『深川正一郎句集』 まんげつに しょうめんしたる こころざし 作品をみてみよう。 茨城県南に住む私は、関東平野の真ん中なので、空は360度ぐるりと見渡すことができる。月見の好きなポイン...
くちづけの動かぬ男女おぼろ月 『池内友次郎全句集』 池内友次郎(いけのうち・ともじろう)は、明治三十九年(1906)―平成三年(1991)、東京麹町の生まれ。「ホトトギス」主宰の高浜虚子の次男で、父方の姓である池内...
咲き満ちてこぼるゝ花もなかりけり 『虚子秀句』 もう二十年以上になる。私は、虚子の句のこの景の瞬間に出合いたいとずっと願っていた。 家から車で五分ほどの、東京練馬にあるグランドハイツ跡地の光が丘公園に通い詰めてみ...
春を病み松の根つ子も見あきたり 『西東三鬼全句集』 作品をみてみよう。 三鬼は、三十一を過ぎたばかりの頃に俳句を始め、六十二歳までの人生の半分を誰よりも様々に挑戦し続けた俳句人生であった。昭和三十七年四月一日...
傷舐めて母は全能桃の花 『木の國』 鑑賞をしてみよう。 幼い子には、親の予測のつかないことが起こることがある。和生氏の場合は、いきなりの高熱であった。母は氷嚢で冷やすが、風邪でもなく腹痛でもなさそうだ。母に「何か...
『秀句三五〇選 風』を蝸牛社から刊行した頃、氏の第三句集『百鳥(ももどり)』が上梓された。その後、結社誌「百鳥」を創刊し主宰されている。懐かしい句集『百鳥』に絞って作品を紹介してみようと思う。 老木のふっと木の葉を...
「千夜千句」のブログを更新中のあらきみほ本人が、俳句作者としての顔を出したくはなかったのだが。 今年も、守谷市にある西林寺の枝垂桜を尋ねてゆくと、高さもあり見事に均衡のとれた美しさで大地に触れんばかりの枝垂桜の大枝が...
たんぽゝや長江濁るとこしなへ 『雪国』 作品をみてみよう。 長江は、チベット高原を水源地域とし中国大陸の華中地域を流れ東シナ海へと注ぐ河川。長江の最下流部を揚子江と呼んでいるが、揚子江から支流の黄浦江を遡ったとこ...
明日は、令和二年「彼岸の入」の日。今年は温かい冬が続きいよいよ春到来と思われた頃から、世界中でコロナウィルスの大流行となり、何だか落ち着かないまま、子規の母の呟いた「毎年よ彼岸の入りに寒いのは」の通りの彼岸の入となった...
われ蜂となり向日葵の中にゐる 『天馬』 「向日葵(ひまわり)」の季題は、戦後間もない頃に詠む題材としては新鮮であったという。私は、映画の「ひまわり」を思い出す。主役はマルチェロ・マストロヤンニとソフィア・...
荻原井泉水は、河東碧梧桐が子規の没後に起こした新傾向運動に参加し、季刊誌「層雲」を共に創刊した。暫くすると井泉水は、碧梧桐派の現代の新傾向に欠けているのは「句の魂」と「光」と「力」であるとして、自らの印象主義的象徴主義...
今日は、みぞれ混じりの寒い日であったが、気象庁は東京・靖国神社にある桜(ソメイヨシノ)が開花したと発表した。昨年より七日も早い開花である。師深見けん二の代表句の中の、「初花」「薄氷」「下萌」「蝶」の四句がどのように生ま...
蟻の列しづかに蝶をうかべたる 『雨』 掲句をみてみよう。 アリたちは今日の収穫の蝶を、巣穴であるコロニーの女王アリの元へ運んでゆく。美しいまま地に落ちていた蝶を、運んでいるのであろう。梵には〈閉じし翅しづかに...
初蝶やちちんぷいぷいのよく効く子 『鷹日和』 掲句をみてみよう。 この作品を初めて見たのは、蝸牛社の秀句三五〇選シリーズ・21巻『虫』の編集作業の中であった。なんて愛らしい、と思った。子どもの小さい頃、転んだ...
三月やあの日そののち震災忌 「花鳥来」、百句集「花屑」 浦部熾(うらべ・おき)さんは、深見けん二主宰の「花鳥来」でご一緒するようになった同い年の仲間。埼玉県人として六十余年を過ごした熾さんが、お姉さんの住む盛岡に転...
鑑賞をしてみよう。 一日物云はず蝶の影さす 酒が好きで、酒の数々の失敗で会社を追われ、妻に去られ、寺院の寺男として行事のあるとき以外は誰とも話すことのない生活であった。この句の「蝶の影さす」から、放哉の様子を...
茂吉忌のオランダ坂に蝶生る 『西陲集』 長崎市は、結婚し、高校の新米教師として三年間を過ごした懐かしい街である。大学卒業後に親元を離れた私は、まさに初蝶のごとく知らない街を探訪した。山があり海があり、異国情緒...
うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする 『山頭火全集』 句意は次のようであろう。 お母さんが亡くなって、もう四十七回忌となりました。わたしも五十七歳になりましたよ。流転の旅にいつもついてきてくれてありが...
黒猫の子のぞろぞろと月夜かな 『山の木』 好きな光景の作品である。 猫は春の季語「猫の恋」があるように、春に子猫が生まれることが多い。猫は交尾によって排卵、受精が起こるので、タイミングがあえば直ぐ妊娠す...
蝸牛社の秀句350選シリーズ、22巻『夢』の著者は友岡子郷である。刊行から三十年経って久しぶりに読み直した。解説に、俳句という作品の世界自体が「夢」という基本的性質を持つものであるとして、章を四つに分類していた。 Ⅰ...
蟻かなし穴出づる日も土を咥(くわ)へ 『上村占魚全句集』 掲句をみてみよう。 『現代俳句案内』(立風書房、1985年)は、当時の俳句隆盛を導いた俳人たちが自作について語っている。この作品は多くの歳時記に例...
陰に生る麦尊けれ青山河 『地楡』 (ほとになる むぎとうとけれ あおさんが) 鑑賞してみよう。 いきなり陰(ほと=女陰)が出てくるので驚かされたが、十七文字から感じられるのは、北国の山河を背景に広々...
春雨の衣桁に重し恋衣 高浜虚子『五百句』 鑑賞をしてみよう。 衣桁(いこう)とは着物を掛けておく家具で細い木を鳥居形に組んだもので、両袖を拡げて掛けられているのは、恋する人の着物だから華やいだもので...
今日は、星野立子の「下萌」の句を鑑賞してみよう。 季題「下萌(したもえ)」というのは、「早春の大地のそこここから草の芽がほつほつと萌え出す。確実に春の気配が感じられる」頃のことで、ちょうど今頃である。利根川を越えた茨...
卒業のその後の彼を誰(た)も知らず 『人も蟻も』 藤松遊子は虚子晩年の弟子であり、師の深見けん二と今井千鶴子の三人による季刊誌「珊(さん)」のお仲間である。平成三年、深見けん二が「花鳥来」を創刊し、第四句集『...
天上も淋しからんに燕子花 『国境』 掲句をみてみよう。 昭和五十二年刊行の『国境』集中の作品。六林男は新興俳句の無季派だと自認している俳人である。「燕子花(カキツバタ)」は、有季派(俳句には季語を必ず入れる)...
俳諧に命あづけて菊枕 昭和二十二年 伊藤柏翠というと、すぐに高浜虚子の『虹』を思う。『虹』は、「虹」「愛居」「音楽は尚ほ続きをり」「小説は尚ほ続きをり」から成る四部作で、主役の愛子や柏翠や福井県の三国のことを、二...
われ病めり今宵一匹の蜘蛛も宥さず 『未明音』 昭和三十年に刊行した『未明音』は、フェリス和英女学校に入学した翌年に十三歳という若さで肺浸潤と脊椎カリエスにかかり、自宅療養ではあるが長いことギブスの生活を強いら...
何か負ふやふに身を伏せ夫昼寝 『朱鷺』 加藤知世子が加藤楸邨の妻であり俳人であることも知ってはいたし、楸邨は大好きな作家の一人であるが、じつは、知世子の作品は『現代女流俳句全集』を読んで初めて知ったという次第であ...
春の星ひとつ潤めばみなうるむ 『月の笛』 鑑賞してみよう。 「ひとつ潤めばみなうるむ」と、断定した表現で詠まれている。夜空を見上げた白葉女は、大きな星をひとつ見つけた。どこか潤んでいるような瞬きである。鋭くき...
舸子の手のぬれて螢火くれにけり 『雪解』 作品をみてみよう。 「舸子(かこ)」は水夫のことで舟を操る人。潮来の螢を見ようと水郷を舟でゆくと、辺りには螢がどんどん飛び交っていて、すぐにでも掴まえることができそう...
短夜の畳に厚きあしのうら 『月光抄』 作品をみてみよう。 「短夜」は夏の季題。昭和十四年、桂信子は前年から日野草城の「旗艦」に投句はしていたが、この日、初めて句会に参加した。しばらくして、黒い背広に、カンカン...
初雪の二十六萬色を知る 『櫻姫譚』平成四年 蝸牛社で、秀句350選シリーズを企画した際に18巻目の『数』の著者として引き受けてくれたのが、田中裕明である。刊行から三十年を経て、どういう経緯であったか定かではないが、...
末枯に子供を置けば走りけり 『舜』『夫婦の歳時記』 作品をみてみよう。 「末枯」は、晩秋、野山の草が葉の先の方から枯れはじめることをいう。遊び場の野原に到着すると、父は、腕に抱いている子をそっと枯れ枯れ...
落し文村のポストへ入れて来し 平成七年 鑑賞をしてみよう。 「落し文」は、オトシブミ科の昆虫。初夏に広葉樹の葉を筒状に巻いて巣を作り産卵して地上に落す。この筒状の葉を落し文に見立てたもの。 白夜は、昭...
大いなる春日の翼垂れてあり 鈴木花蓑 『鈴木花蓑句集』 鑑賞してみよう。 掲句の季題は「春日」。この春日は夕日であろう。主役の春日のやわらかな茜色が、晴れ渡った夕暮の空いっぱいに広がっている。まるで春...
不器用に生きてほゝづき鳴らしけり 上田祥子 ホオズキ(鬼灯、酸漿)は、旧かな遣いでは「ほほづき」。ナス科で六月頃に淡い黄色い花が下向きに咲き、花の後に、六角状の萼が伸びて果実を包み袋状になる。秋には赤いホオズキと...
紅梅の紅の通へる幹ならん 『五百句』 「紅(こう)の通へる幹」とはどのような幹だろうと随分と長いこと気になっていた。わが街の「ふれあい通り」は桜並木が10キロほど続いている。数年前にやっと気づいたのだが、二...
浮いているお手玉ふたつ春の暮 小宅容義 平成二年 鑑賞をしてみよう。 お手玉がふたつ宙に浮いている。お手玉は、小さな布袋に小豆やジュズダマの実などを入れて縫い合わせた玩具で、一個からお手玉遊びはできるが、上手に...
あめんぼと雨とあめんぼと雨と 藤田湘子 『神楽』 鑑賞をしてみよう。 池か沼か小川か田んぼの用水路など、あまり流れのない水面にアメンボがいる。「あめんぼ」は水馬(あめんぼう)のことで、細く長い六本足を...
木の実のごとき臍もちき死なしめき 森 澄雄 『白小』 鑑賞をしてみよう。 森澄雄の、長年連れ添った妻のあき子が急逝した折の作品である。外出先から戻ると、いつもは「お帰りなさい」と出迎えてくれる妻が、声...
沙羅の花捨身の落花惜しみなし 石田波郷 『酒中花以後』 「沙羅の花(しゃらのはな)」は別名「夏椿(ナツツバキ)」。釈迦入滅のとき四方を囲んでいた沙羅双樹の花が枯れたという逸話があるが、ナツツバキはインドの沙...
雷や四方の樹海の子雷 佐藤念腹 鑑賞をしてみよう。 最初は、「子雷」って何だろう、どんな雷だろうと思った。私の机には、稲畑汀子汀子監修『ホトトギス 巻頭句集』と『ホトトギス 雑詠句評会抄』が並んでいる。読み...
湖といふ大きな耳に閑古鳥 『六花』 鑑賞をしてみよう。 芦ノ湖を箱根山中から眺めた作品だという。辺りには閑古鳥(=カッコウ)が美しい声で鳴いているばかりである。聞いているのは自分ばかりのようだが、ケーブ...