第百七十七夜 星川和子の「花」の句

 守谷市で「円穹(えんきゅう)」俳句会が生まれたのが平成十六年、私の記憶も定かではないが、星川和子さんとの出会いは数カ月後の手賀沼吟行であったと思う。  どこか淋しそうな面立ちであった。夫を亡くし、さらに父を亡くし、仙台...

第百七十六夜 伊藤通明の「桃」の句

 伊藤通明氏は、『蝸牛俳句文庫 久保田万太郎』『秀句三五〇選 鳥』『秀句三五〇選 海』などの著者としてお会いしたが、同じ九州出身ということもあり今も懐かしい方である。  鑑賞を試みてみよう。   夕月や脈うつ桃をてのひら...

第百五十四夜 渡辺水巴の「菫」の句

 渡辺水巴(わたなべ・すいは)は、明治十五年(1882)―昭和二十一年(1946)、東京都台東区生まれ。父は近代画家の渡辺省亭。水巴は明治俳句で身を立てることを志し、明治三十四年、内藤鳴雪の門下生となり、終生俳句以外に職...

第百四十夜 折笠美秋の「雪」の句

 まず、プロフィールから見てゆこう。  折笠美秋(おりがさ・びしゅう)は、昭和九年(1934)―平成二年(1990)、神奈川県横須賀市生まれ。昭和三十三年、早稲田大学在学中から「早稲田俳句会」に参加。卒業後は東京新聞社に...

第百十八夜 友岡子郷の「夢」の句

 蝸牛社の秀句350選シリーズ、22巻『夢』の著者は友岡子郷である。刊行から三十年経って久しぶりに読み直した。解説に、俳句という作品の世界自体が「夢」という基本的性質を持つものであるとして、章を四つに分類していた。  Ⅰ...

第百十四夜 星野立子の「下萌」の句

 今日は、星野立子の「下萌」の句を鑑賞してみよう。  季題「下萌(したもえ)」というのは、「早春の大地のそこここから草の芽がほつほつと萌え出す。確実に春の気配が感じられる」頃のことで、ちょうど今頃である。利根川を越えた茨...

第百十三夜 藤松遊子の「卒業」の句

  卒業のその後の彼を誰(た)も知らず 『人も蟻も』     藤松遊子は虚子晩年の弟子であり、師の深見けん二と今井千鶴子の三人による季刊誌「珊(さん)」のお仲間である。平成三年、深見けん二が「花鳥来」を創刊し、第四句集『...

第百十夜 野澤節子の「蜘蛛」の句

  われ病めり今宵一匹の蜘蛛も宥さず 『未明音』     昭和三十年に刊行した『未明音』は、フェリス和英女学校に入学した翌年に十三歳という若さで肺浸潤と脊椎カリエスにかかり、自宅療養ではあるが長いことギブスの生活を強いら...

第百七夜 皆吉爽雨の「螢火」の句

  舸子の手のぬれて螢火くれにけり 『雪解』  作品をみてみよう。    「舸子(かこ)」は水夫のことで舟を操る人。潮来の螢を見ようと水郷を舟でゆくと、辺りには螢がどんどん飛び交っていて、すぐにでも掴まえることができそう...

第百六夜 桂 信子の「短夜」の句

  短夜の畳に厚きあしのうら 『月光抄』  作品をみてみよう。    「短夜」は夏の季題。昭和十四年、桂信子は前年から日野草城の「旗艦」に投句はしていたが、この日、初めて句会に参加した。しばらくして、黒い背広に、カンカン...

第百五夜 田中裕明の「初雪」の句

  初雪の二十六萬色を知る 『櫻姫譚』平成四年  蝸牛社で、秀句350選シリーズを企画した際に18巻目の『数』の著者として引き受けてくれたのが、田中裕明である。刊行から三十年を経て、どういう経緯であったか定かではないが、...

第百四夜 岸本尚毅の「末枯」の句

  末枯に子供を置けば走りけり 『舜』『夫婦の歳時記』     作品をみてみよう。    「末枯」は、晩秋、野山の草が葉の先の方から枯れはじめることをいう。遊び場の野原に到着すると、父は、腕に抱いている子をそっと枯れ枯れ...

第百二夜 鈴木花蓑の「春日」の句

  大いなる春日の翼垂れてあり  鈴木花蓑 『鈴木花蓑句集』     鑑賞してみよう。    掲句の季題は「春日」。この春日は夕日であろう。主役の春日のやわらかな茜色が、晴れ渡った夕暮の空いっぱいに広がっている。まるで春...

第百夜 高浜虚子の「紅梅」の句

  紅梅の紅の通へる幹ならん  『五百句』     「紅(こう)の通へる幹」とはどのような幹だろうと随分と長いこと気になっていた。わが街の「ふれあい通り」は桜並木が10キロほど続いている。数年前にやっと気づいたのだが、二...