第七百四十六夜 上田五千石の「冬の星」の句
一昨日と昨日は、冬の雨がかなり強く降った日であった。今日は午前中には青空が出て、今夜は星が見えるだろうと期待していた。 夜の8時、犬のノエルの散歩に出るや、南西の空を見上げた。三日月とすぐ上の方に1等星が輝いてい...
一昨日と昨日は、冬の雨がかなり強く降った日であった。今日は午前中には青空が出て、今夜は星が見えるだろうと期待していた。 夜の8時、犬のノエルの散歩に出るや、南西の空を見上げた。三日月とすぐ上の方に1等星が輝いてい...
今日、真珠湾攻撃のあった日である。 日本時間1941年12月8日(ハワイ現地時間12月7日の日曜日)に日本海軍がハワイの真珠湾のアメリカ海軍の太平洋艦隊と航空基地に対して行った奇襲攻撃のことを真珠湾攻撃という。翌日、...
1年の最後の月の呼び名には、十二月、極月、師走がある。「極まる」とは、物事がこれが果てという所まで来ることで、1月に始まった12ヶ月の1日1日が過ぎて、いよいよ果てようとしている最後の1と月が極月ということになる。 ...
聖ニコラウスの日 植田重雄 聖ニコラウスの伝説は豊富にあり、ずっと今日にまで語り伝えられて来ている。その主要なものをいくつかあげてみよう。ミュラ(またはミラ)の町のある貧しい家に、父親と三人の娘が暮...
管絃祭 竹西寛子 何年ぶりに見るなつかしい篝火であったろう。二つの篝火は、舳先でものすごい火の粉を夜の海に撒き、いま一つの篝火は、待つもののつつましさに燃えて二つの火を近寄せていた。寄っ...
大正時代の子どもみたい ノンちゃんはよくお家で本を読んでいます。風の子タロくんは一日中外で遊びます。寒さなんかへっちゃら、上着の袖口などは洟(はな)をふくのでてらてらと光っています。 タロくんは、「大正時代...
悟浄出世 中島 敦 次のように言った男もあった。「一つの継続した我とはなんだ? それは記憶の堆積(たいせき)だよ」と。この男はまた悟浄にこう教えてくれた。「記憶の喪失ということが、俺たちの...
『虚子五句集』には、季題「冬日」は27句詠まれていて、『五百五十句』の昭和12年12月22日の〈冬日柔らか冬木柔らか何れぞや〉の句が1番目である。「冬日」の作品が27句詠まれているのは、春の「花」、夏の「涼し」、秋の「...
冬が来た 高村光太郎 きつぱりと冬が来た 八つ手の白い花も消え 公孫樹いてふの木も箒ほうきになった きりきりともみ込むような冬が来た 人にいやがられる冬 草木に背そむかれ、虫類に逃げられる冬が来た 冬よ 僕に来...
「人間」になることのむずかしさ ドブロリューボフ ドストイェフスキー氏の諸作品においてわれわれは、彼の書いているすべてのものに多少とも顕著なひとつの一般的特性を見出す。これは自分は自分ひとりは本当の...
わが街の守谷市のラクウショウの道もここ数年で大きく育ってきて、黄葉もはじまっている。そうだ、つくば植物園に行ってみよう。通称つくば植物園というが、正式名は、国立科学博物館筑波実験植物園で、敷地面積14ヘクタールの、植物...
幼稚園とは楽しいところだ。1年を通して、季節の行事をみな体験させてくれる。 4月は入園式。5月は子供の日と苺摘み、6月は泥んこ遊び、7月は七夕と水遊び、10月は運動会、11月は音楽会と遠足、12月はクリスマスとお餅つ...
枯芒を見て、「あっ、いつも揺れていた芒が、動いていない!」と気づいたのは、それほど昔のことではなく、10年ほど前のことであった。俳句の仕事に携わって50年ほど、俳句を詠みはじめてから30年以上は経っているのに・・、見て...
焚火の楽しかった思い出は、小学校時代に通った井草教会の日曜学校での、クリスマスの礼拝が果てた後に、大きな焚火を囲んだことであった。「おおきな栗の木のしたで、あなたとわたし、なかよくあそびましょ、おおきな栗の木のしたで」...
今朝、ふれあい道路を守谷市から東側の取手市に向かってパン屋へ車を走らせた。銀杏並木の街道は、日に日に落葉が増えていたが、今日、銀杏落葉で埋めつくされて、黄色い絨毯の道になっていた。 黄の中を走るのは心がはなやいでくる...
文化勲章拝受祝賀会祝宴 土岐善麿 ざっと数えて、もう五十年前、あるいはそれ以上にもなるわけなのだが、そのころ中学生としてぼくの接した句会席上の虚子先生と、いまこうしてこの「文化勲章拝受祝賀会」の主卓中央...
「老い」と言えば、高浜虚子の6女であり、「春潮」主宰であった夫上野泰氏亡き後、主宰を続けてこられた上野章子氏の『佐介此頃』(角川書店刊)の1文を思い出す。毎月の大阪と神戸の句会が終わり、新幹線に乗車したときのエピソード...
草枕 夏目漱石 山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。 智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情に棹させば流される。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画(え)が出来る。 人の世...
今宵は、「大根」の作品をみてみよう。 ■1句目 流れゆく大根の葉の早さかな 高浜虚子 『五百句』昭和3年11月10日 (ながれゆく だいこんのはの はやさかな) たかはま・きょし 平成7年だったと思うが、「花...
今日の皆既月食のことは、守谷市の「ちいき新聞」11月12日号で見ていて、待ち遠しくて、わくわくしながら夕方を迎えた。さらにスマホでは、ご近所の仲間のご主人が刻々と月の状態を知らせてくれたので、何度も何度も、犬のノエルを...
昨日は、つくば市でアメリカフウの紅葉を見たついでに、洞峰公園にも立ち寄った。犬のノエルも連れていった。小春日の暖かさと、紅葉の中で、かわいい鴨や小鴨たちが水尾を煌めかせながら沼を泳いでゆくのを、しばらく沼辺の芝生から眺...
朝の犬の散歩で、東の空の暁光を眺めながら、今日こそは、つくば山の近くから、国道6号線まで続くつくば市の408号線のモミジバフウ(アメリカフウ)街道の黄落を見てこようと、夫を連れ出した。毎年、1人でも出かけるが、黄落の具...
蝸牛社の企画した出版物の中でも、編集者として私が楽しんだ書籍が、『子ども俳句歳時記』『小学生の俳句歳時記』『名句もかなわない子ども俳句170選』であった。 今回、読み返してみると、1冊目の『子ども俳句歳時記』の作...
「弓町より」 石川啄木 詩はいわゆる詩であってはいけない。人間の感情生活(もっと適当な言葉もあろうと思うが)の変化の厳密なる報告、正直なる日記でなければならぬ。したがって断片的でなければならぬ。―...
今日は11月12日(陰暦10月12日)、俳人松尾芭蕉の忌日である。元禄7年上方の旅の途中、病気になり、大阪の花屋仁左衛門宅の裏座敷で亡くなった。享年51歳であった。芭蕉も愛した時雨の頃の忌日なので、「時雨忌」とも呼ばれ...
石 堀口大學 ――杵淵彦太郎に 君、石を愛し給へば 石は黙つてものを言ふ 直かに心にものを言ふ。 雨には濡れて日に乾き 石は百...
「落葉ごっこ」 あらきみほ 落葉を蹴って、おもいっきり落葉の音をたてながら、子どもたちは駈けてゆきました。落葉のなかにころがって、埋もれてみました。そのうち、女の子は落葉を...
今宵は、「梟」の作品を見てみよう。 ■1句目 ふくろふの森をかへたる気配かな 西山小鼓子 『ホトトギス新歳時記』 (ふくろうの もりをかえたる けはいかな) にしやま・こつづみし 牛久沼の高台に、小川芋銭の屋...
最後の一葉 オー・ヘンリー 「最後の一枚だわ」ジョンシ―は言った。「あたし、夜の間にきっと落ちてしまってると思ったわ。風の音が聞こえてたでしょ。今日は落ちるわ。そしたらそのときあたしも死ぬ...
障子の影 野上豊一郎 私たちの訪問は大正15年11月8日午後3時ごろだつた。 その時、私のあたまの中では秋の日ざしと冬の日ざしと春の日ざしと夏の日ざしのことが比較された。それから午後の太...
第16代大統領 リンカーン 「Aが白でBがということで、問題は色なんだね。薄い色のほうが濃い色のほうを奴隷にする権利があると、こういうことなんだ。気をつけたほうがいい。この原則でいくと、自分より色の白...
宮沢賢治作『注文の多い料理店』の「注文の多い・・料理店ってなんだろう?」と、最初に読んでから何十年と経っているのに、はたと「注文」に拘ってしまった。この料理店の店主の山猫のお客への注文は、ドアの1つ1つに書いてあった。...
今宵は、「秋灯」の句を紹介しよう。 ■ 見舞はれてたゞ勿体なく秋灯下 森下愛子 『虹』(虚子の小説) (みまわれて ただもたいなく しゅうとうか) もりした・あいこ 『虹』は、「虹」「愛居」「音楽は尚ほ続き...
今宵は、「文化の日」「文化祭」「明治節」の作品をみてみよう。 ■1句目 我のみの菊日和とはゆめ思はじ 高浜虚子 『七百五十句』昭和29年 (われのみの きくびよりとは ゆめおもわじ) 昭和29年11月3日の...
俳句らしき格調に誇りを持て 高浜虚子著『虚子俳話』 俳句は極端に文字を省略する。その省略に妙味がある。そのために切字も必要になって来る。俳句らしき調べも自然に極まつてくる。歌に調べがある如く、俳句に...
燕と王子 オスカー・ワイルド そうこうするうちに気候はだんだんと寒くなってきました。青銅の王子の肩ではなかなかしのぎがたいほどになりました。しかし王子は継ぎの日も次の日も今まで長い間見て知っている貧しい正直な人や...
木の葉のあてっこ 幸田 文 父はまた、木の葉のあてっこをさせた。木の葉をとってきて、あてさせるのである。その葉がどの木のものか、はっきりおぼえさせるためだろう。姉はそれが得意だった。枯れ...
そろそろ今年の紅葉狩の計画を立てようと思いはじめている。平成30年の秋に玄関先で転倒して大腿骨骨折で2ヶ月入院した。その後、コロナ禍となった。始終つくば山辺りをドライブしていたが、この3年は思うように動いていなかった。...
酒友酒癖 今 日出海 カラみカラまれるのが文学修行、人生修業と心得たわけではないが、寄ると触るとカラんだものである。これを「揉む」と称して、「あいつを少し揉んでやろうじゃないか」と衆議一決したら、揉まれる奴...
夕鶴 木下順二 つ う あれほど頼んでおいたのに・・あれほど固く約束しておいたのに・・あんたはどうして・・ どうして見てしまったの?・・ 与ひょう 何だ? 何で泣くだ? つ う ...
秋の瞳 八木重吉 序 私は、友が無くては、耐へられぬのです。しかし、私には、ありません。この貧しい詩を、これを、読んでくださる方の胸へ捧げます。そして、私を、あなたの友にしてください。 ...
大切な人の死 萩原葉子 いつか私も年齢を重ねてゆくうちに、大切な人の死に屡々出遭い、その度に谷間に落ち込むような寂しさを味わう。一人の人間が、生きていたということは重大なこと...
深見けん二先生の第10句集『もみの木』が出来上がり、龍子奥様からご恵贈いただいた。10月16日は、当初「花鳥来」終刊の集いが予定されていたが、急遽、9月15日にお亡くなりになった深見けん二先生を偲ぶ会に変更された。 ...
丸々一週間のお休みをさせて頂いた。その間の嬉しかったことは10月18日の見事な満月に出会えたことで、この日は正しくは「十三夜」の月であった。 当日、あらきみほの詠んだ句。 コスモス高し夕月の隠れがち 金星...
牛久沼から国道6号線を北上して、牛久駅の東側に出ると牛久シャトーの入口は見えるほどの近さにあり、ここへ東京から俳句の仲間を案内して2回ほど訪れたことがあった。牛久シャトーは明治時代に建てられたルネサンス様式で、煉瓦造の...
正岡子規が亡くなったのは、明治35年9月19日の真夜中のことであった。前日の18日、いつも書を書く紙を貼る板に、唐紙を張らせたのをお律さんに持たせて、仰向けのまま何かを書こうとする。 当日の介護の番の碧梧桐が、筆に墨...
木犀の香 薄田泣菫 晦堂は客の言が耳に入らなかつたもののやうに何とも答えなかつた。寺の境内はひつそりとしてゐて、あたりの木立を透してそよそよと吹き入る秋風の動きにつれて、冷々とした物の匂が、あけ放...
今日と明日の2日続けて、正岡子規のことを書いてみようと思う。子規の生誕は、翌年が明治元年となる1867(慶応3)年、時代の変革の真っ只中の、愛媛県松山市に生まれた。本名は常規(つねのり)、幼名は処之助また升(のぼる)で...
昨日からわが家では、大きなガラスの器に杜鵑草(ホトトギス)が活けてある。夫の畑の周りには秋の花として、コスモスや小菊が植えられているが、このホトトギスは自生する花だという。代わる代わる畑仕事の帰りに摘んできてくれる。ど...
森の中に入る 江崎玲於奈 アレキサンダー・グラハム・ベルは有名な電話機の発明者です。この人の名を冠したベル研究所の表玄関に ロビーに胸像があり、そこに次のような彼の言葉が刻まれていました。 「時...
鼻の俳句を考えてみたいと思ったのは、美しい光景ではなく、私を取り巻く俳句環境が変わろうとしていることに加えて、残暑の疲れ、目の疲れなどが押し寄せた中で、じつは、鼻血を出してしまったからである。 鼻血などは何時以来...
今日もまだ目が痛い。これぐらい目を使っていたって何ともなかったのに。どうした、あらきみほよ! ブログ「千夜千句」の、もうじき七百夜目となるのに、その前に魔が出てきて、どうやら私は試されているようだ。 「千日行」は...
茨城県守谷市の守谷駅近くの、国道294沿いの龍泉寺の入口に、2本の大きな金木犀がよい香りを放っている。ちょうど信号待ちでいることが多いので、地に落花した橙色を愉しみ、甘い香を愉しんでいる。 中国原産のモクセイ科の...
ステッキと文士 永井龍男 銀座について、あれこれ考えているうちに、私は妙なものをふと思い出した。 おそらく、遠い戦前に姿を消してしまったであろう、ステッキのことである。 それも明治大正の官...
秋と散歩 萩原朔太郎 前に私は「散歩」という字を使っているが、私の場合のは少しこの言葉に適合しない。いわんや近頃流行のハイキングなんかという、颯爽たる風情の歩き様をするのではない。多くの場合...
10月4日、このところ目の疲れからか、眼球が痛い。足や肩の疲れや痛みをほぐすように目頭を軽く押さえて市販の疲れ目用の目薬を点していた。だが効果はない。痛い所はおでこの真ん中あたりだ。 毎日、痛みをこぼしていたが、夫は...
今日は飯田蛇笏の忌日である。第五夜で〈をりとりてはらりとおもきすすきかな〉の句を紹介している。飯田蛇笏は、早稲田大学在学中の夏休みを高浜虚子の「俳諧散心」句会に最年少で参加。大正2年には、虚子が俳壇に復帰後の「ホトトギ...
レモンの冷たさ 梶井基次郎 いったい私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった紡錘形の恰好も。――結局私はそれを一つだけ買う...
深見けん二先生が令和3年9月15日の夜の10時50分に亡くなられた。33年間のご師事であった。当時蝸牛社という出版社をしていたことから、俳書の編集を多く手掛けていたこともあって、平成8年には深見けん二著『虚子の天地』を...
茨城県に住みはじめたのが23年前であろうか。1番に思ったことが、利根川を越えるとこんなにも薄(すすき)が生い茂っているということであった。薄は、なぜか好きで、突然薄が見たくなると車に飛び乗って、富士山麓まで走った。子ど...
牛久沼の高台にある小川芋銭の雲魚亭に行ったのはコロナ禍の始まる前であったので、もう2年はとうに過ぎている。この時期に行きたかったのは芋銭居の入口にある竹林と沼の崖を覆っている竹林の、「竹の春」を見たかったからである。 ...
まっすぐに行く 種田山頭火 「あなたは禅宗のお坊さんですか。・・私の道はどこにありましょうか」 「道は前にあります。まっすぐにお行きなさい」 私は或は路上問答を試みられたのかもしれな...
水戸の偕楽園の萩まつりは、今年も昨年につづいて中止されるという。守谷に古い友人が集って始まった「円穹俳句会」は殆ど茨城県探訪をして8年間が過ぎた。その1つが偕楽園の萩まつりであった。20人ほどのメンバーは5台の車に分乗...
2021年9月26日、台風16号は現在強い勢力で関東沖にあって、明日27日の朝には北上を続け、30日(木)頃からは進路をやや東よりに変えて、10月1日(金)にかけて伊豆諸島近海を通過する予想であるという。東京に隣接する...
捕まえられそうだった夢 フィッツジェラルド その昔の未知の世界のことを考え込んでいた時に、ふとわたしは、デイジーも家の桟橋の先端の緑色の燈火を初めて見つけ出した時の、ギャッツビーの驚嘆ぶりを想い...
私の住む守谷市と取手市の境にある利根川の橋を越えると千葉県に入る。しばらく走るとあけぼの山農業公園があり、春はチューリップ畑、秋はコスモス畑となって一面に広がっている。 今年は10月2日から11月3日までコスモスウィ...
今日は秋の彼岸の中日の秋分の日。昼夜が等分となる日で、これから次第に夜が長くなって冬至となる。 石を積む 別所梅之助 私どもが山へゆけば、案内者は道の心おぼえに、大きい石の上に小石...
9月20日の敬老の日、つくば植物園に出かけた。現在、杖をついている私は、広大な園内の3分の1ほどしか見ることはできなかったが、これまでも、年に数回は行っている場所なので、今日のテーマである「水澄む」池や小流れの紹介はで...
今日も秋晴の美しい1日となり、楽しみにしていた今宵は、茨城県常総市へ北上しながら、東側となる筑波山の方角に出る満月であった。18時04分、この瞬間をドライブしながら満月を見ることができた。晴天そのままの夜空には雲ひとつ...
見事に晴れ渡った1日であった。敬老の日の今日は、つくば植物園をぶらり散歩して、つくば市の洞峰公園脇のケーキ屋さんで久しぶりにのんびりした。美しい晴天のままに夜となり、今、東の窓から皓々としたまあるい月が上がっている。 ...
今日は、別のテーブルの上いっぱいに「千夜千句」に紹介したい句集を積んでおいた中の、小野靖彦さんの句集『霜の声』が目に飛び込んできた。 この句集は、残念ながら生前に出版することはできず、没後、奥様の小野チズ子さんが夫靖...
大石雄鬼(おおいし・ゆうき)さんにお会いしたのは、NHK松山のBS俳句王国に出演したときであった。主宰は倉田紘文先生で、私は2回目の出演であったので、1回目よりは緊張はなかった。無事に収録を終えて、羽田行の飛行機の出発...
「花鳥来」主宰の深見けん二先生が、9月15日午後11時にご逝去されたというお知らせをいただいた。平成元年、私はNHKカルチャーセンターで先生に師事したことが俳句の初めで、「F氏の会」を経て「花鳥来」の会員となった。今年...
高田風人子(たかだ・ふうじんし)さんは、大正15年、神奈川県生まれ。昭和19年より「ホトトギス」に入会、34年に同人。昭和63年「惜春」を創刊、主宰。 高田風人子を知ったのは、私が深見けん二先生の「花鳥来」で学ん...
昨日、道端で曼珠沙華を見かけていた。今朝の天候を確認し、夫が犬のノエルを連れて畑に行くや、お使いに行ってきまーす、とメモを残して出かけた。 茨城県守谷住まいは、東京と違って、道路が空いているから1人吟行は2時間もかけ...
漫画家赤塚不二夫の「ボクの居候文化論」の1部を紹介してみよう。 「ボクは”居候文化”というものがあり、そしてあり続けるべきだという信条をもっている。売れないヤツが売れているヤツのところに居候して、その間に学び、鍛...
夫の趣味から始まった畑では、今、秋茄子のピークである。スーパーで買うのとは違って、野菜が育ったら、育っただけどーんと畑から提げて帰るのがここ守谷に住んでからのわが家である。最初は、順番に少しずつ採ってきてねとお願いし、...
今日は、青森県出身の板画家。版画でなく「板画」である。「わだば、ゴッホになる」と目指した棟方志功の忌日である。 棟方志功の『板画華』より、「ないものを見る」の一文を紹介してみよう。 頭が3つもあったり、多いのは...
蓑虫(ミノムシ)は、チョウ目・ミノガ科のガの幼虫。幼虫が作る巣が、藁(わら)で作った雨具「蓑(みの)」に形が似ているため、日本では「ミノムシ」と呼ばれるようになった。木の細枝や葉を綴り合せて灰褐色の巣を作る。枝からぶら...
虫しぐれ 清少納言 【43】 蟲は すずむし。ひぐらし。てふ。松蟲。きりぎりす。はたおり。われから。ひをむし。螢。 みのむし、いとあはれなり。鬼の生みたりければ、親に似てこれらおそろしき心あら...
今日は、陰暦9月9日の重陽の節句である。「重陽の節句」は平安時代の初めに中国より伝わったもので、古来中国では、奇数は縁起が良い「陽数」、偶数は縁起の悪い「陰数」と考えられ、陽数の最大値である「9」が重なる9月9日を「重...
今年は、お盆の頃の猛暑が過ぎるや、雨の日がつづき、気温は下がり、このまま秋本番の涼しさとなりそうな気配である。 秋を色で表現すると、昔から白で白秋としてきた。芭蕉も〈石山のいしより白し秋のかぜ〉と、秋を白と詠んでいる...
俳句を楽しんでいた父が生きていて、よく早朝一緒に吟行に行っていた頃のことである。その年は、曼珠沙華が見たくて、埼玉県高麗の巾着田に出かけた。1度目は、少し早すぎて3割くらいの花であった。どうしても巾着田が真っ赤に埋まる...
今日は、国民栄誉賞の日。日本の内閣総理大臣表彰のひとつ。賞の運用は1977年(昭和52年)8月に定められた国民栄誉賞表彰規程に従って行われ、当時の首相・福田赳夫により創設され、「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与...
小石川植物園で石榴の可憐な花を見かけたのが最初で、次に見たのが、ぱっくり割れた石榴から真っ赤な粒粒の零れんばかりの実だった。花と実の2つの落差は大きかった。 守谷でも見かけた。肥育から加工、販売に至る「一貫システム」...
私は、東京オリンピックを2回観ている。1回目は1964年大学1年生の時、2回目は今回2021年の「東京オリンピック2020」だ。コロナの影響で1年遅れになっているが「2020」のままの命名である。 パラリンピックをこ...
わが守谷市から、東へ東へ車を走らせて龍ヶ崎市を越え、競馬の美浦トレーニングセンターを越えた辺りに、霞ヶ浦が見渡せる原っぱが広がっている。原っぱは稲刈りの済んだ田んぼであった。広い水路があり、うつくしい流れであった。田ん...
昨夜の第六百五十七夜に続いて、今宵は、高浜虚子の新作能「奥の細道」の中入と後場を紹介してみよう。 ■中入・夕顔という遊女 中入(なかいり)とは、能の間狂言のことで、シテ方が舞台を去った後に狂言方があらすじを...
第六百五十七夜 松尾芭蕉の「萩と月」の句 ★スミ 能「奥の細道」を読む 1・芭蕉と虚子 新作能「奥の細道」は、昭和18年の芭蕉二百五十年忌記念作品として、日本放送協会と日本文学報国会依嘱により書いたもので、虚子は他に、...
東京練馬区に住んでいる頃のことだ。車で10分ほどのところに光が丘公園がある。 光が丘公園は、第二次世界大戦中は特攻隊の出撃基地ともなった成増飛行場があり、戦後は米軍基地となり、米軍の家族住居・グランドハイツがあった。...
1862年8月29日の今日は、メーテルリンクの誕生日。久しぶりに、岩波少年文庫の『青い鳥』を出して読んだ。大人の小説も、少年少女小説も絵本も同じように、深さがあり、考えさせられることの多さを思った。 「思い出の国」か...
1963年8月28日は、リンカーン記念堂の前でマーティン・ルーサー・キング・ジュニア(キング牧師)が演説を行った日である。 アメリカ合衆国のプロテスタントバプテスト派の牧師で、キング牧師(キングぼくし)の名で知られ...
深見けん二先生の「花鳥来」で、初めて伊藤翠柳さんにお会いしたのは平成元年であったと思う。昭和4年生まれの翠柳さんは、当時60歳で昭和20年の私は43歳。「花鳥来」第1回目の稽古会は平成3年の秩父吟行であった。翠柳さんは...
釣舟草の群生に出合ったのは、山形県上ノ山市蔵王に住む陶芸家岡崎隆雄の「不忘窯」に行った時である。大学時代からの友人のムチョこと相澤紘子さんは山形県の生まれ。小学生の頃まで住んだ山形県は、戦後の疎開のためであった。岡崎隆...
1844年8月25日は、ニーチェが56歳で死んだ日である。フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェとは、ドイツ・プロイセン王国出身の哲学者、古典文献学者。 『毎日楽しむ 名文365』を編集したあらきみほは、この中に、ニー...
平成11年の2月11日、牡丹雪の霏々と降りしきる早春の夕方、ペットショップから段ボール箱に入れられて黒いラブラドール・リトリバーの仔犬がわが家にやってきた。お姉さんがペットショップを探し回り、下調べをし、この黒ラブに出...
小学生の夏休みは、午前中に夏の課題の宿題を終えてしまうと、お昼からは、毎日のように女の子の私でも鉄砲玉のように家を出たら夕方まで、友だちの家で過ごしていた。もちろん、わが家が遊び場となる日もあったが、ずうっと居ても過ご...
茨城県守谷に転居して、平成15年に生まれたのが「円穹俳句会」であった。東京時代の私の旧友の片山和子さんご夫妻が声をかけてくださり、守谷市中央公民館、中央図書館が主な句会場となって14名から最終的には20名の句会を行うこ...
露草(ツユクサ)は、よく見ると不思議な形の花である。2枚の緑色の苞葉(ほうば)にはさまれるようにして目の覚めるような青色で、小さなシジミチョウのような形をしている。花の命は半日ほどで、お昼過ぎにはもうこの花の形は消えて...