第八百三夜 秋元不死男の「枯木」の句
大学時代の森教授のアドグルの旅行で思い出すことがある。冬と春はいつも蔵王のスキー場に行っていた。リフトは当時はスキー場に2本だったと思う。リフトは1人づつの席でゆっくり昇っていった記憶がある。長い列となってリフトに乗る...
大学時代の森教授のアドグルの旅行で思い出すことがある。冬と春はいつも蔵王のスキー場に行っていた。リフトは当時はスキー場に2本だったと思う。リフトは1人づつの席でゆっくり昇っていった記憶がある。長い列となってリフトに乗る...
深見けん二先生の結社「花鳥来」の例会は吟行句会を旨としていた。自然に触れること、自分の目で見ること、写生の目を鍛え、客観描写の訓練の大切さを教えていただいた。毎回必ず参加できることは叶わなかったが、それでも、東京、埼玉...
長野県の諏訪湖畔にある「北澤美術館」は、青山学院高等部時代のクラスメイトの北澤さんのお父上であるキッツ創業者の北澤利夫氏が、昭和58年に創設した美術館である。開館は大学卒業後であったが、お手紙とともにチケットを何枚も同...
1986年1月28日、初の民間人宇宙飛行士のエリソン・オニヅカが、10回目のミッションの打ち上げ中に爆発したチャレンジャー・スペースシャトル・オービタ機の中で死亡した。搭乗していたクルー7名の飛行士ともども全員が死亡し...
霜柱 野口雨情 ザック ザック 踏んだ 踏んだ 踏んだ ザック 踏んだ ザック 霜柱 霜柱 雀に...
法隆寺 細見綾子 千年の一と時生きて吾余寒 法隆寺に行くと千年という言葉が不思議と実感を持つ。この年の一月に俳句の師であった松瀬青々が亡くなり追悼の集まりがここであった...
自信を持たう 高浜虚子 甲の人は甲の事をいゝと考へる。乙の人は乙の事をいゝと考へる。間に立つてゐる自信のない人は両方の説に迷はされる。あちらこちらとうろうろする。 甲乙各々いいところもあれば悪いところ...
間 高浜虚子 「間」といふ事は音楽で大切な事である。「間のいゝ謡」「間の悪い謡」といふ事は能役者の間で富に言はれてゐる。先年亡くなつた長唄の稀音楽浄観氏も、 「間が一番ですよ、間...
3章 杉田久女の病名を探る 今、私の手元に病跡学の資料がある。精神科医柏瀬宏隆著『鬱力(うつりょく)』(集英社刊)の編集に関わった経緯から、資料とした「日本病跡学雑誌」の論文のコピーの山にあったのは、精神神経科医...
第七百九十四夜 黛まどかの「久女忌」の句 2 2章 久女のホトトギス除名を探る 杉田久女は、昭和11年10月号の「ホトトギス」誌上において、日野草城、吉岡禅寺洞とともに同人を突然に除籍された。 この決定は前もっ...
今日、1月21日は杉田久女の忌日である。深見けん二先生を信奉し富安風生の弟子であった、笹目翠風主宰の「礦(あらがね)」誌での二回目の連載のテーマとして「虚子と散文」の世界を試みた。その第3章に「国子の手紙」を読む、があ...
華岡青洲の妻 有吉佐和子 青洲は枕元にあった薬湯を口に含むと、加恵の唇にそれを当て、口移しに解毒剤を飲ませた。少量の甘草で味つけした黒豆の煮汁を、加恵は夢の中で吸うようにして飲み、幾度も幾度...
双葉山の連勝ストップ 澁澤龍彦 現実の国技館では双葉山が連勝をつづけているが、紙相撲の世界では、必ずしもそうではない。そこがおもしろいので、私たちはいつしか現実と紙相撲のとを混同しはじめるので...
明るい心をもつ 佐伯泉澄 心暗きときは、即ち遇う所悉く禍(か)なり。 眼明(まなこあきら)かなるときは、即ち途に触れて皆宝なり。 (性霊集巻8・72、全集3・49...
「淑気」といえば、俳句をする者にとっては、新年になって初めての、1月の中頃に行われる初句会の雰囲気が浮かんでくる。お正月の気分があるから、皆、少しお洒落して参加している。句会へ参加する人はだれもが「今日こそは!」とわく...
1月15日の今日は、「小正月」又は「女正月」。女正月は(おんなしょうがつ)とも(めしょうがつ)ともいう。 1月1日の正月を大正月といい男正月ともいい、1月15日を小正月、女正月という。 正月を迎える準備を整えることは...
2018年の11月の初めのこと。車から降りる夫を支えようとした瞬間、酔っていた夫は転び、私も転がってしまった。酔っていた夫は何事もなくケロッとしていたが、私の方は大腿骨頸部骨折で入院となった。手術した病院に1と月、リハ...
茨城県取手市に住んでいたのは、古いマンションであった。裏は崖になっていて、クヌギやスギやコナラが植えられていた。玄関から3階の通路に出ると、崖の木々には、夏になると幹に空蟬(ウツセミ)が張り付いていたり、冬には「凍蝶」...
今日は1月12日。つくば山を右手に眺めながら車で北上した。よく晴れた空は目に沁みるように青かった。これが冬青空なのだと、一時期「花鳥来」にも在籍していた「夏草」の上野好子さんの「冬青空さえぎるもののなき別れ」の作品を思...
2022年の寒の入りは1月5日で、この日が小寒にあたり、 2022年の寒中は、1月6日~2月3日までとなるという。小寒と大寒をあわせた期間は、「寒」「寒中」「寒の内」などと呼ばれ、小寒の初日は「寒の入り(かんのいり)」と...
成人の日は、1948年公布・施行の祝日法によって制定された。制定から1999年までは毎年1月15日だった。成人の日を1月15日としたのは、この日が小正月であり、かつて元服の儀が小正月に行われていたことによるといわれてい...
4年間住んでいた長崎市から夫とともに東京へ戻って、もう50年は過ぎた。若かった私たちは、赤いホンダのクーペに乗って長崎市から小1時間ほど走って野母崎半島を先端まで南下して、野母崎高校で英語教師をしていた友人の遠山さんを...
今朝は、5時前にはぱっちり目覚めてしまった。カーテンを開けると外はまだ暗い。夜明けは何時頃になるのだろう。ネットで調べてみると、今日の夜明けは6時23分、日の出は6時51分とあった。 そう言えば地平線あたりには仄かに...
昼食を終えて、テレビの前でうとうとしていると、 「おい! 雪が降っているぞ!」と、夫。 30メートル先の雑木林の枝々が雪をかぶっていた。 なんと美しいこと! さっそく飛び出した娘が、 雪景色の写真を撮って見せ...
単純化、具象化 比較的単純化の出来ている句は面白く、単純化の出来てゐない句はつまらなかつた。 又具象化の出来てゐる句は面白く、具象化の出来てゐない句はつまらなかつた。 俳句は簡単なのが武器である。長所である...
元日には、皆様に新年のご挨拶も申し上げずにいきなり「千夜千句」を書き始めてしまった。改めて、 明けましておめでとうございます。 令和4年1月1日、第七百六十五夜からスタートした「千夜千句」は、無事にゆけば目標と...
1月3日。「箱根駅伝」の2日目の今日は、昨日の往路が優勝していたこともあって、8時前からテレビに向かっていた。いつもは時々覗き、結果が決まる頃からテレビの前に座るという視聴者であった。大学時代の友人からの「ぶっちぎりで...
今日は、2022年(令和4)1月2日、「箱根駅伝」1日目である。嬉しいことに、往路優勝は青山学院大であった。令和2年1月2日の「千夜千句」の第五十五夜で、梅田美智さんの「箱根駅伝」の俳句を英語の「haiku」とともに紹...
2022年1月1日、元旦である。昨日の大晦日は、「年守る」の季語を実践しようという決意ほどでもないが、今日の新年の支度をことこと仕上げていた。紅白歌合戦を観ていたのでもなく、例年ように除夜の花火見物に牛久大仏まで出かけ...
梟の大旅行 林芙美子 「おい、梟君、君はいったい、何が愉しみで生きているンだね?」 と、楡(にれ)の木がききました。 梟はきょとんとした表情で、 「わたしかね?」 と首をかしげて、猫の眼のよ...
風立ちぬ 堀 辰雄 私は数年前、屢々、こういう冬の淋しい山岳地方で、可愛らしい娘と二人きりで、世間から全く隔って、お互いがせつなく思うほどに愛し合いながら暮らすことを好んで夢みていた頃のことを思い...
夫との別れ 加藤登紀子 「もう、いいだろう」 すべてが終わった瞬間だった。 数値がドンドンさがる様子は、まるで飛ぶのを止めた鳥のよう。そうだ、もうこれ以上闘う必要なんてあ...
来むといふも来ぬあるを 来じといふを 来むとは待たじ 来じといふものを 大伴坂上郎女 四ー五二七 【訳】来るといってもこないときがあるのに、来ないと言っているのに来る...
クリスマス ニューヨーク・サン紙社説 サンタクロースがいない、ですって! サンタクロースが信じられないというのは、妖精が信じられないのとおなじです。 ためしに、クリスマス・イブに、パパにたのん...
シュールカとニュールカ ソログープ シュールカは雪娘に近づくと、その青ざめた美しい唇にまとものキスをしました。 クリスマス尾前日で、聖なる神秘の夜だったからでしょうか、子どもたちが自分たちの...
良い句を書き写す 深見けん二 写生をする時に、ある焦点が定まって心に感動が起きても、それを表現する言葉、その感動を表すのに、最も適した言葉が見つからなければ、俳句にならない。その表現法を身につけるのに、...
今宵は、宮坂静生著『子規秀句考-鑑賞と批評』より「湯婆」「時雨」の作品を見てゆこう。 ■ 碧梧桐のわれをいたはる湯婆かな 正岡子規 (へきごとうのわれをいたわる たんぽかな) 明治28年、正岡子規は、...
しっと 曾宮一念 一瞬にして純情も邪悪に 眼の清澄が消え、皮膚の艶が褪せる 心肝は焦げ脾胃は腐虫の巣となる 静観なく把握なく洞察なく創造なく 犬や猫のそれは可憐なのに ...
雪後 梶井基次郎 「ぼくはおまえを愛している」 ふと少女はそんな囁きを風のなかに聞いた。胸がドキドキした。しかし速力が緩み、風の唸りが消え、なだらかに橇が止まる頃には、それが空耳だった...
切字の切れ味 高浜虚子 「や」「かな」といふのは、例へば「秋風や」とか「紅葉かな」とか、俳句にのみ特別にある切字をいふのである。従つて「や」「かな」と言へば直ぐ俳句を意味する。俳句の切字はたくさ...
能面 野口米次郎 「あなたが橋掛りで慎ましやかな白い拍節(ビーツ)を踏むと、 あなたの体は精細な五官以上の官能で震へると思ふ・・ それは涙と笑の心置きない抱合から滲みでるもの、 祈祷で浄化された現実の一表...
伝統俳句(再び) 高浜虚子 昔、子規の枕頭で俳句の命数といふ事が問題になつた事がある。早晩尽きるといふ事には誰の意見も一致した。十七字と限られた以上、バーミュテーション(順列)とか、コンビネ...
リア王 シェークスピア エドガー (傍白)条理と不条理とが混淆(ごっちゃ)になってゐる! 狂気の中にも理性が働く。(狂人語(きちがいことば)の中にも道理がある。 エドガーもグロースターも...
今日は、旧暦元禄15年12月14日夜に起こった旧赤穂藩士の吉良邸討入のあった日。前年3月、江戸城内の松の廊下で浅野内匠頭長矩が吉良義央に切りつけた刃傷沙汰の際、浅野は切腹、吉良はお咎めなしに対する不満から、赤穂浪士四十...
闇鍋 内藤鳴雪 或日の事子規氏が来た、闇汁会を開くからといって来たので、私も行ったが、闇汁とは、出席者が各々或る食物を買って来て、互いに知らさずと厨の大鍋に投げ込む、それが煮え立った頃席上へ持...
もみの木 アンデルセン 「ああ、どうかして、そんなはなばなしい運がめぐってこないかなあ。」と、もみの木は、とんきょうな声をあげました。「はやく、クリスマスがくればいいなあ。わたしはもう、去年、つ...
ノーベルの遺言 石田寅夫 ノーベル賞は、ダイナマイトを発明して巨万の富を築いたスウェーデンのアフルレッド・バルンハート・ノーベルが、妻子なく、親兄弟とも死別し、一人さみしく六十三年の生涯を閉じる際に...
一昨日と昨日は、冬の雨がかなり強く降った日であった。今日は午前中には青空が出て、今夜は星が見えるだろうと期待していた。 夜の8時、犬のノエルの散歩に出るや、南西の空を見上げた。三日月とすぐ上の方に1等星が輝いてい...
今日、真珠湾攻撃のあった日である。 日本時間1941年12月8日(ハワイ現地時間12月7日の日曜日)に日本海軍がハワイの真珠湾のアメリカ海軍の太平洋艦隊と航空基地に対して行った奇襲攻撃のことを真珠湾攻撃という。翌日、...
1年の最後の月の呼び名には、十二月、極月、師走がある。「極まる」とは、物事がこれが果てという所まで来ることで、1月に始まった12ヶ月の1日1日が過ぎて、いよいよ果てようとしている最後の1と月が極月ということになる。 ...
聖ニコラウスの日 植田重雄 聖ニコラウスの伝説は豊富にあり、ずっと今日にまで語り伝えられて来ている。その主要なものをいくつかあげてみよう。ミュラ(またはミラ)の町のある貧しい家に、父親と三人の娘が暮...
管絃祭 竹西寛子 何年ぶりに見るなつかしい篝火であったろう。二つの篝火は、舳先でものすごい火の粉を夜の海に撒き、いま一つの篝火は、待つもののつつましさに燃えて二つの火を近寄せていた。寄っ...
大正時代の子どもみたい ノンちゃんはよくお家で本を読んでいます。風の子タロくんは一日中外で遊びます。寒さなんかへっちゃら、上着の袖口などは洟(はな)をふくのでてらてらと光っています。 タロくんは、「大正時代...
悟浄出世 中島 敦 次のように言った男もあった。「一つの継続した我とはなんだ? それは記憶の堆積(たいせき)だよ」と。この男はまた悟浄にこう教えてくれた。「記憶の喪失ということが、俺たちの...
『虚子五句集』には、季題「冬日」は27句詠まれていて、『五百五十句』の昭和12年12月22日の〈冬日柔らか冬木柔らか何れぞや〉の句が1番目である。「冬日」の作品が27句詠まれているのは、春の「花」、夏の「涼し」、秋の「...
冬が来た 高村光太郎 きつぱりと冬が来た 八つ手の白い花も消え 公孫樹いてふの木も箒ほうきになった きりきりともみ込むような冬が来た 人にいやがられる冬 草木に背そむかれ、虫類に逃げられる冬が来た 冬よ 僕に来...
「人間」になることのむずかしさ ドブロリューボフ ドストイェフスキー氏の諸作品においてわれわれは、彼の書いているすべてのものに多少とも顕著なひとつの一般的特性を見出す。これは自分は自分ひとりは本当の...
わが街の守谷市のラクウショウの道もここ数年で大きく育ってきて、黄葉もはじまっている。そうだ、つくば植物園に行ってみよう。通称つくば植物園というが、正式名は、国立科学博物館筑波実験植物園で、敷地面積14ヘクタールの、植物...
幼稚園とは楽しいところだ。1年を通して、季節の行事をみな体験させてくれる。 4月は入園式。5月は子供の日と苺摘み、6月は泥んこ遊び、7月は七夕と水遊び、10月は運動会、11月は音楽会と遠足、12月はクリスマスとお餅つ...
枯芒を見て、「あっ、いつも揺れていた芒が、動いていない!」と気づいたのは、それほど昔のことではなく、10年ほど前のことであった。俳句の仕事に携わって50年ほど、俳句を詠みはじめてから30年以上は経っているのに・・、見て...
焚火の楽しかった思い出は、小学校時代に通った井草教会の日曜学校での、クリスマスの礼拝が果てた後に、大きな焚火を囲んだことであった。「おおきな栗の木のしたで、あなたとわたし、なかよくあそびましょ、おおきな栗の木のしたで」...
今朝、ふれあい道路を守谷市から東側の取手市に向かってパン屋へ車を走らせた。銀杏並木の街道は、日に日に落葉が増えていたが、今日、銀杏落葉で埋めつくされて、黄色い絨毯の道になっていた。 黄の中を走るのは心がはなやいでくる...
文化勲章拝受祝賀会祝宴 土岐善麿 ざっと数えて、もう五十年前、あるいはそれ以上にもなるわけなのだが、そのころ中学生としてぼくの接した句会席上の虚子先生と、いまこうしてこの「文化勲章拝受祝賀会」の主卓中央...
「老い」と言えば、高浜虚子の6女であり、「春潮」主宰であった夫上野泰氏亡き後、主宰を続けてこられた上野章子氏の『佐介此頃』(角川書店刊)の1文を思い出す。毎月の大阪と神戸の句会が終わり、新幹線に乗車したときのエピソード...
草枕 夏目漱石 山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。 智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情に棹させば流される。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画(え)が出来る。 人の世...
今宵は、「大根」の作品をみてみよう。 ■1句目 流れゆく大根の葉の早さかな 高浜虚子 『五百句』昭和3年11月10日 (ながれゆく だいこんのはの はやさかな) たかはま・きょし 平成7年だったと思うが、「花...
今日の皆既月食のことは、守谷市の「ちいき新聞」11月12日号で見ていて、待ち遠しくて、わくわくしながら夕方を迎えた。さらにスマホでは、ご近所の仲間のご主人が刻々と月の状態を知らせてくれたので、何度も何度も、犬のノエルを...
昨日は、つくば市でアメリカフウの紅葉を見たついでに、洞峰公園にも立ち寄った。犬のノエルも連れていった。小春日の暖かさと、紅葉の中で、かわいい鴨や小鴨たちが水尾を煌めかせながら沼を泳いでゆくのを、しばらく沼辺の芝生から眺...
朝の犬の散歩で、東の空の暁光を眺めながら、今日こそは、つくば山の近くから、国道6号線まで続くつくば市の408号線のモミジバフウ(アメリカフウ)街道の黄落を見てこようと、夫を連れ出した。毎年、1人でも出かけるが、黄落の具...
蝸牛社の企画した出版物の中でも、編集者として私が楽しんだ書籍が、『子ども俳句歳時記』『小学生の俳句歳時記』『名句もかなわない子ども俳句170選』であった。 今回、読み返してみると、1冊目の『子ども俳句歳時記』の作...
「弓町より」 石川啄木 詩はいわゆる詩であってはいけない。人間の感情生活(もっと適当な言葉もあろうと思うが)の変化の厳密なる報告、正直なる日記でなければならぬ。したがって断片的でなければならぬ。―...
今日は11月12日(陰暦10月12日)、俳人松尾芭蕉の忌日である。元禄7年上方の旅の途中、病気になり、大阪の花屋仁左衛門宅の裏座敷で亡くなった。享年51歳であった。芭蕉も愛した時雨の頃の忌日なので、「時雨忌」とも呼ばれ...
石 堀口大學 ――杵淵彦太郎に 君、石を愛し給へば 石は黙つてものを言ふ 直かに心にものを言ふ。 雨には濡れて日に乾き 石は百...
「落葉ごっこ」 あらきみほ 落葉を蹴って、おもいっきり落葉の音をたてながら、子どもたちは駈けてゆきました。落葉のなかにころがって、埋もれてみました。そのうち、女の子は落葉を...
今宵は、「梟」の作品を見てみよう。 ■1句目 ふくろふの森をかへたる気配かな 西山小鼓子 『ホトトギス新歳時記』 (ふくろうの もりをかえたる けはいかな) にしやま・こつづみし 牛久沼の高台に、小川芋銭の屋...
最後の一葉 オー・ヘンリー 「最後の一枚だわ」ジョンシ―は言った。「あたし、夜の間にきっと落ちてしまってると思ったわ。風の音が聞こえてたでしょ。今日は落ちるわ。そしたらそのときあたしも死ぬ...
障子の影 野上豊一郎 私たちの訪問は大正15年11月8日午後3時ごろだつた。 その時、私のあたまの中では秋の日ざしと冬の日ざしと春の日ざしと夏の日ざしのことが比較された。それから午後の太...
第16代大統領 リンカーン 「Aが白でBがということで、問題は色なんだね。薄い色のほうが濃い色のほうを奴隷にする権利があると、こういうことなんだ。気をつけたほうがいい。この原則でいくと、自分より色の白...
宮沢賢治作『注文の多い料理店』の「注文の多い・・料理店ってなんだろう?」と、最初に読んでから何十年と経っているのに、はたと「注文」に拘ってしまった。この料理店の店主の山猫のお客への注文は、ドアの1つ1つに書いてあった。...
今宵は、「秋灯」の句を紹介しよう。 ■ 見舞はれてたゞ勿体なく秋灯下 森下愛子 『虹』(虚子の小説) (みまわれて ただもたいなく しゅうとうか) もりした・あいこ 『虹』は、「虹」「愛居」「音楽は尚ほ続き...
今宵は、「文化の日」「文化祭」「明治節」の作品をみてみよう。 ■1句目 我のみの菊日和とはゆめ思はじ 高浜虚子 『七百五十句』昭和29年 (われのみの きくびよりとは ゆめおもわじ) 昭和29年11月3日の...
俳句らしき格調に誇りを持て 高浜虚子著『虚子俳話』 俳句は極端に文字を省略する。その省略に妙味がある。そのために切字も必要になって来る。俳句らしき調べも自然に極まつてくる。歌に調べがある如く、俳句に...
燕と王子 オスカー・ワイルド そうこうするうちに気候はだんだんと寒くなってきました。青銅の王子の肩ではなかなかしのぎがたいほどになりました。しかし王子は継ぎの日も次の日も今まで長い間見て知っている貧しい正直な人や...
木の葉のあてっこ 幸田 文 父はまた、木の葉のあてっこをさせた。木の葉をとってきて、あてさせるのである。その葉がどの木のものか、はっきりおぼえさせるためだろう。姉はそれが得意だった。枯れ...
そろそろ今年の紅葉狩の計画を立てようと思いはじめている。平成30年の秋に玄関先で転倒して大腿骨骨折で2ヶ月入院した。その後、コロナ禍となった。始終つくば山辺りをドライブしていたが、この3年は思うように動いていなかった。...
酒友酒癖 今 日出海 カラみカラまれるのが文学修行、人生修業と心得たわけではないが、寄ると触るとカラんだものである。これを「揉む」と称して、「あいつを少し揉んでやろうじゃないか」と衆議一決したら、揉まれる奴...
夕鶴 木下順二 つ う あれほど頼んでおいたのに・・あれほど固く約束しておいたのに・・あんたはどうして・・ どうして見てしまったの?・・ 与ひょう 何だ? 何で泣くだ? つ う ...
秋の瞳 八木重吉 序 私は、友が無くては、耐へられぬのです。しかし、私には、ありません。この貧しい詩を、これを、読んでくださる方の胸へ捧げます。そして、私を、あなたの友にしてください。 ...
大切な人の死 萩原葉子 いつか私も年齢を重ねてゆくうちに、大切な人の死に屡々出遭い、その度に谷間に落ち込むような寂しさを味わう。一人の人間が、生きていたということは重大なこと...
深見けん二先生の第10句集『もみの木』が出来上がり、龍子奥様からご恵贈いただいた。10月16日は、当初「花鳥来」終刊の集いが予定されていたが、急遽、9月15日にお亡くなりになった深見けん二先生を偲ぶ会に変更された。 ...
丸々一週間のお休みをさせて頂いた。その間の嬉しかったことは10月18日の見事な満月に出会えたことで、この日は正しくは「十三夜」の月であった。 当日、あらきみほの詠んだ句。 コスモス高し夕月の隠れがち 金星...
牛久沼から国道6号線を北上して、牛久駅の東側に出ると牛久シャトーの入口は見えるほどの近さにあり、ここへ東京から俳句の仲間を案内して2回ほど訪れたことがあった。牛久シャトーは明治時代に建てられたルネサンス様式で、煉瓦造の...
正岡子規が亡くなったのは、明治35年9月19日の真夜中のことであった。前日の18日、いつも書を書く紙を貼る板に、唐紙を張らせたのをお律さんに持たせて、仰向けのまま何かを書こうとする。 当日の介護の番の碧梧桐が、筆に墨...
木犀の香 薄田泣菫 晦堂は客の言が耳に入らなかつたもののやうに何とも答えなかつた。寺の境内はひつそりとしてゐて、あたりの木立を透してそよそよと吹き入る秋風の動きにつれて、冷々とした物の匂が、あけ放...
今日と明日の2日続けて、正岡子規のことを書いてみようと思う。子規の生誕は、翌年が明治元年となる1867(慶応3)年、時代の変革の真っ只中の、愛媛県松山市に生まれた。本名は常規(つねのり)、幼名は処之助また升(のぼる)で...
昨日からわが家では、大きなガラスの器に杜鵑草(ホトトギス)が活けてある。夫の畑の周りには秋の花として、コスモスや小菊が植えられているが、このホトトギスは自生する花だという。代わる代わる畑仕事の帰りに摘んできてくれる。ど...
森の中に入る 江崎玲於奈 アレキサンダー・グラハム・ベルは有名な電話機の発明者です。この人の名を冠したベル研究所の表玄関に ロビーに胸像があり、そこに次のような彼の言葉が刻まれていました。 「時...
鼻の俳句を考えてみたいと思ったのは、美しい光景ではなく、私を取り巻く俳句環境が変わろうとしていることに加えて、残暑の疲れ、目の疲れなどが押し寄せた中で、じつは、鼻血を出してしまったからである。 鼻血などは何時以来...
今日もまだ目が痛い。これぐらい目を使っていたって何ともなかったのに。どうした、あらきみほよ! ブログ「千夜千句」の、もうじき七百夜目となるのに、その前に魔が出てきて、どうやら私は試されているようだ。 「千日行」は...