第九百一夜 小宮和子さんの「桑の実」の句
久しぶりに「千夜千句」を4日間、休ませていただいた。4日の休みは案外に短かったなあ・・第九百夜を書き終えて、「千夜」まで百夜あると思ったとき、残りの日々は「毎日+α」にしてみたい・・そうしなくてはという気分もあったが。...
久しぶりに「千夜千句」を4日間、休ませていただいた。4日の休みは案外に短かったなあ・・第九百夜を書き終えて、「千夜」まで百夜あると思ったとき、残りの日々は「毎日+α」にしてみたい・・そうしなくてはという気分もあったが。...
今宵は、「千夜千句」の第九百夜である。「千夜千句」というタイトルは、じつは松岡正剛さんがご自身のブログ『千夜千冊』の中で、あらきみほ編著『子ども俳句歳時記』を取り上げてくださったことがきっかけである。タイトル「千夜千句...
睡蓮があったかしらと確かめたくて、守谷市の四季の里公園に行ってきた。この公園はあやめと花菖蒲が主で、今の時期は花菖蒲が満開であったが、睡蓮は植えられていないことが分かった。 折角なので、池の真ん中まで八ツ橋のよう...
今宵は、武蔵野探勝について書いてみよう。武蔵野探勝会というのは、虚子の「ホトトギス」が始めた最初の吟行句会である。それまでも、各々では、自然に親しみ、旅をしたりして作句をしていたのではあるが、句会としては、運座と呼ばれ...
倉田紘文の世界 倉田紘文は大分県生まれの俳人。18歳より高野素十に師事、昭和47年、32歳で師素十に勧められて俳誌「蕗」を創刊主宰する。大分県別府市からの発行で、師素十亡き後の素十主宰の俳誌「芹」の会員たちも参加して...
第八百九十六夜 横山房子の「迎火」の句 『秀句三五〇選』シリーズでは巻ごとにテーマがある。このシリーズでは詩人であり俳人である大木あまり氏に、序文に代えて、一遍の詩を書いていただいた。紹介しよう。 死 ...
私の住んでいる守谷市守谷駅の、つくばエクスプレスの高架下に曹洞宗長龍寺がある。守谷駅の送迎にいく際に、国道294号線の信号待ちで必ずのように停まるので、すぐ脇にある長龍寺の裏門を眺めている。入口の梅の木は、春には手入れ...
今宵は、茨城県牛久市生まれの、画家であり俳人である、小川芋銭の「五月雨」「五月闇」の作品2句と、22年前に取手に移転した直後の文章「牛久沼と虚子と芋銭」を紹介させていただこう。 1■俳句 1句目 五月雨や月夜に似...
もう70年近く前、小学校の低学年であった私たちは、給食が済むと午前中で授業はおしまいだった。道草をしながらお喋りをしながら、家に戻っても、また飛び出してゆき、同じ友だちと日が暮れるまで遊んでいた。 一軒隣に、男ば...
ブログ「千夜千句」第八百九十七夜では、2度目となる北茨城の五浦海岸の六角堂行の話を書いた。あと一週間余りで九百夜となる。 私の喜寿となる日が11月10日。2年前に、この日を目標にはじめたことが「千夜千句」であった。私...
小学校に入るほんのすこし前、わが家は、葛飾区から杉並区に家を建てて住むようになった。庭が出来、早起きであり土いじりの好きな父は、せっせと花づくりに勤しんでいた。通りがかる人は、躑躅の垣根越しに父の庭を眺め、父がいる時に...
わが家の庭の隅にも十薬の花が咲いていた。これから咲く小菊の枝々の間から白い花がのぞいている。白い色も様々あるが、十薬の白い花はどこか人を寄せつけない白さである。 茨城県常総市に豪農屋敷坂野家住宅がある。入口を下ってゆ...
大腿骨頸部骨折から、もう2年半が過ぎようとしている。犬のノエルを連れて杖をついて、早朝の散歩と夜寝る前の散歩をしていたが、この春からは、それほど遠くではないファミリーマートまで犬を連れて歩いている。ファミリーマートで銀...
「紙魚」とは、シミ目シミ科の昆虫の総称だ、とくに古書の害虫として知られる「やまとしみ」のことを指す。最も原始的な昆虫の一種で、羽根もなく飛ぶこともできないが、逃げ足は早い。 湿度の高い場所にも出現するため「湿虫(...
わが家の玄関の大きな鉢に、ガーベラが咲きはじめた。花ひとつもよし、鉢いつぱいに咲くもよし。細い茎がすうっと伸び、ガーベラの花びらの一つ一つもほっそりとしている。花の色は真紅であるのに爽やかさを思うのは、花や茎のそうした...
「蝸牛」「カタツムリ」は、子どもの頃から、雨の日や雨の後などに見かけて、その愛らしい形から捕まえてきて飼ったこともあるが、子どもは飽きっぽい、同じように飽きっぽかった子どもの私も、きっと野原に放したのだろう、長く飼ったと...
わが家から少し坂を下ると、関東地方の茨城県を中心に展開している、大きなスーパーのジョイフル本田がある。以前は、近いのに車で行っていたが、大腿骨頸部骨折で手術をして、現在は杖をついている身となった。だからこそ運動をしなさ...
中尊寺に向かう7月、夜明け前に練馬の家を出発してハイウェイの東北道を走っていたときのことだ、霧のなかに女の人が佇っているような錯覚を覚えたのがヤマユリであった。百合の中でも花径の大きさが最大級のヤマユリは、本当に人の頭...
5月14日、北茨城の五浦の六角堂を見に、ドライブに連れていって頂いた。これまでは絶対に私が一人で運転していたほどであったのに、娘から運転の禁止を言い渡された。だがそのおかげで、窓からの景を楽しむことができた。道中の常磐...
「もののあはれ」といふ言葉は人の生老病苦に基づくものであらうけれども、又、四季の変化、従つて天運地動、動植物の消滅、等から来るものである事も忘れることは出来ぬ。否、人間の老病死苦の問題はあまりに現実的である。これを天然...
わが家を出るとすぐの曲がり角に大きなレストランの駐車場がある。夜の犬の散歩の時間には街燈は煌々としている。今、街燈のすぐ横には大きな蜘蛛の巣ができている。この街燈の周りを虫たちが盛んに飛び交っていて、すでに蜘蛛の巣に掛...
卯の花は、ユキノシタ科の落葉低木。5枚の花弁をもった小さな卯の花が雪のようにたくさんかたまって咲くさまは、清楚な感じである。野菜づくりがしたくて、夫の借りている畑の近くにも卯の花が一本植えられているが、花の盛りの頃はど...
昨日の土曜日、もう一度見ておきたいと願っていた五浦(いずら)の六角堂に行ってきた。 きっかけは、夫の荒木が最初に赴任した長崎県立東高等学校で、倫理社会を教え、部活では軟式テニスの顧問をしていた。初めての生徒の一人の佐...
戦争の真のおそろしさ 長島伸一 クリミアの悲劇とは、それは、イギリス陸軍に内在する組織的欠陥であり、かずかずの不合理な規則であり、それにがんじがらめにしばられた将校たちの無責任な体制だったのです。もはや、看護...
東京から茨城県へ移転してきてから、県内の桜、牡丹、楓の紅葉と散策をつづけた。つくば牡丹苑は母も一緒に歩いたこと、入口で先代の黒ラブ・オペラをどうしても牡丹苑に入場させてくれなかったこと、その代わり、駐車場の係のおじさん...
別の地平線 萩原朔太郎 坂のある風景は、ふしぎに浪漫的で、のすたるじやの感じをあたへるものだ。坂を見てゐると、その風景の向うに、別の遥かな地平があるやうに思はれる。特に遠方から、透視的に見る場合がそうである...
毎年5月10日~16日は愛鳥週間である。野鳥愛護のために設けられた一週間(5月10日~5月16日まで)で、バード・ウィークとも言う。その最初の5月10日を愛鳥の日という。鳥の観察や巣箱を設けての保護、禁猟期間の徹底など...
平成17年8月20日、母が亡くなって17年目、父が亡くなって21年目になる。父はどこの結社に属するでもなく、永いこと気ままに志解井司の俳号で俳句を詠んでいた。母を詠んだ句に〈苧環(おだまき)や四つ違ひは死ぬるまで〉があ...
守谷市のわが家の住むあたりも畑が広がっているが、麦畑が広がっているのは、川沿いの街道をつくば市へ向かって北上した辺りに多い。 今宵は、「麦」の作品をみてみよう。 ■ 子は母と麦の月夜のねむい径 長谷川素逝 『...
「杜若」も「燕子花」も、かきつばた、と読む。毎年のように夫は畑から刈ってくるのに、「かきつばた」だろうか「あやめ」だろうかと、今年も確認をしてしまった。だが、じつに姿かたちの美しい花である。 第五百四十三夜で、鈴...
初夏と言えば、鰹のたたきが食べたくなる。長崎県島原半島に生まれた夫は、殊の外魚好きで、肉料理はなくてもよいほどである。 今宵は「初鰹」の作品を紹介するつもりなので、守谷市に新しくできたショッピングモールで、仕入れてく...
火を盗め なだいなだ パパはお前たちに「盗め」という。しかしこれは至極まじめな話なのである。死んだ人間からであろうと、生きた人間からであろうと、その胸から火を盗め。人間は、他の人間の胸の中に燃えている鬼火の...
現在の家に越してきたとき、玄関わきのスペースに、リラの花を植えようと考えた。ライラックともいう。私は花瓶に活けるのは好きだけど育てるのは苦手・・夫の方は、畑を借りても自分の手で育てるのが得意なので、夫に任せることにした...
わが家の裏には、取手駅から常総市への入口の国道246号線まで、ふれあい道路がとおっている。半分ほど桜並木、半分ほど銀杏並木である。家の裏手は、銀杏並木で、年末にばっさりと枝を伐採していたが、春になり、わさわさと小枝も増...
「クローバー」をよくよく眺めたのは、茨城県取手市に転居してからだと思う。まず、休日になると朝から晩まで、天の広さと大地の広さの中を心ゆくまで、車で動き回っていた。東京都との堺には日本の三代河川の利根川が流れているだけと...
今日から5月。4月よりもわくわくするのは、新緑から万緑へだんだんと、否、ずんずんと日々の変化を感じることができるからであろうか。犬は地面を這うように嗅ぎ回るのが散歩だと思っているようだけど、なんともったいない散歩なのだ...
昨日は、久しぶりの雨風の強い夜となった。ノエルの、一日の最後の散歩であり、翌朝の散歩まではいつもオシッコやウンチを我慢できている犬なので、寝る前の散歩はなんとしても済ませたい。杖をつくお母さんになって2年目となるが、不...
誰彼時 晩春の今頃は暑くもなく、寒くもなくちょうどよい気候で、勤め帰りもそこはかとなく明るい。このような夕暮時を「たそがれ時」というが、これは「あそこを行くのは誰だろう」と見えるか見えないくらいの明るさを言い...
昨日の朝はよく晴れていた。明日は「春暁」の俳句を紹介しようと、わくわくしていた。 中国唐代(689年-740年)に孟浩然(もう こうねん/もう こうぜん)という詩人がいた。高校時代の国語の授業で、孟浩然の五言絶句 「...
早起きをした今朝の散歩は、50メートルほどの雑木林はうっすらと霞がかかり、しばらく先に広がる畑は大地からは霞が立ちのぼっているではないか。畑道も野原でも、雑草には露が降りていて朝日に輝いていた。しかも人っ子一人いない、...
牛久沼の丘の上に、画家の小川芋銭が建てたアトリエ「雲魚亭」がある。もう20数年前になるが、東京から茨城県取手市に転居したときから、暇さえあれば茨城県南を車で走り回っていたが、一番多く通ったのが牛久沼の丘の上の小川芋銭居...
今宵は、もう一句「春愁」と「春陰」の作品をみてみよう。この2つの季語に、違いがあるのか、あるならば、どのような違いがあるのか考えてみよう。 ■春陰 春陰の国旗の中を妻帰る 中村草田男 『中村草田男集』 (しゅん...
花が咲き、鳥が鳴き、風が光る。暖かくのどかでさわやかな春は、身も心も明るくのびやかになる。気力が満ちる。だが反対に、何か憂鬱で気分が沈み込むこともある。そんな心の移ろいを、「春愁」とか「春温を病む」などという。 「春...
外人に話した 四季の風物を讃美する、といふ心持ちは、多少づゝ誰もが持つてゐる。併し乍ら、専ら四季の風物を讃美する人の集団といふものは余りない。 四季の風物を讃美するといふことは、文学の中に多少はある。併し乍...
わが家から車で30分ほど西へゆくと菅生沼の南端が見える。長い沼で、私たちは「延命院」の小さな立札を見逃さないように走り、左折する。毎年、菅生沼の白鳥に会いにゆくが、この小ドライブの目的は1つ増えて、必ず、延命院の榧(カ...
一番最初に薪能を観たのは、平成6年、靖国神社能楽堂での奉納靖国神社夜桜能であった。それまで興味を持ったことのない「お能」を何故観ようとしたのかと言えば、高浜虚子の晩年の弟子の深見けん二先生の元で俳句を学び、結社「花鳥来...
紫荊、花蘇芳という漢字の「はなずおう」と呼ぶ花に出合ったのは、東京板橋区の赤塚植物園であった。今でもくっきり思い出すことができるのは、紫荊の花の独特の咲き方であった。 ちょうど今頃に咲く花で、最近のNHKのトーク...
4月17日の未明は、春満月であった。いつものように毎夜の犬の散歩にゆく私は、家から一歩出るや空を見上げた。一か所が眩しく縁取りされている雲があった。そこだけ異様なほどの輝きであったので、しばらく眺めていた。すると、雲の...
春になり春の気配を感じた動物たちは、今まで冬眠していた穴から外をうかがいながら、もっそりと穴から出てくる。土の匂いも草の匂いも大空の匂いも、「おーい! 春になったよー!」と、呼んでいるみたいだ。 「(○○)穴を出づ」...
あらきみほの第2句集をどの時期で出そうか、第2句集は第1句集より、1つでも内容なり技巧なりが勝ったと思えた時が訪れたら、俳句の世界に問うことのできる何かを感じることができたら、その時にしようと思っているが、むつかしい決...
朝方は小雨が降っていたが、犬のノエルの散歩を中止するほどではなく、いつもの半分の距離で「もう帰ろうか?」と言うと、すぐに回れ右をしてくれる。昼前には雨は止み、雨催(あまもよい)の雲の垂れ込めた一日となった。 今が...
春は水蒸気が多いので、朧で春の月もぼんやりとかすんで見える。南方からあたたかい湿気の多い空気がやってきて、夜、地面付近の空気が冷え、上空がそれより高い温度だと、気温の逆転層が出来て、その下に霧があらわれ、月がおぼろにか...
平成11年12月、わが家は東京と練馬区から茨城県取手市のマンションに引っ越した。なぜ茨城県だったかというと、不動産業を手広くやっていた夫の知人の建てたマンションの空きがあったからであった。 次に越したのが、現在の守谷...
三番目のヒヤリは、どれにしようか? 小さな出版社の経営は、毎月毎月を越えることが大変だった。よくぞ何十年もの間、ドキドキしながら越えてきたものだと、夫にではなく、神様に御礼が言いたい・・! たまらなく辛い時、編集、経...
子どもが小さい頃、子ども連れで友人宅を互いに行き来しては、お喋りを楽しんでいた。都心の銀座とか大学時代に遊んだ渋谷や青山に小さな子どもを連れて行くことはできないからだ。子ども同士も仲良く遊んでくれる。 まだ幼い年...
大学卒業後、東京で出合った現在の夫の郷里の長崎県へ行った私は、長崎市の活水高等学校の英語教師になった。4年間を過ごした長崎の、歴史ある街をとても気に入っていた。 だが3年目、車を買ったことから、心も身体も疼きだした。...
早春のまだ寒い頃の雑木林や山道や畦道の片隅に、よく見かけるのが立壺菫(タチツボスミレ)。高さ10~20センチの花茎に濃青色の五弁の花がひっそりと可憐な風情で咲いている。 茨城県南に越してからは、利根川の土手や河川...
70年も昔の小学校時代の春休のことといえば、真っ先に、青っぱなを垂らしていた、同級生の炭屋の息子を思い出す。亡くなって小学校の同窓会に出席しなくなってからも、すでに20年は経っている。 彼のことで思い出すことの、...
東京から年末の12月に転居したわが家は、先ず花見の場所を調べた。見つけたのは小貝川には流れを調節するための福岡堰である。土手の道は、春には桜の並木道になることを知った。一番に惹かれたのは、その桜並木の1.8キロという距...
昨日、第八百四十一夜を終えました。ここで、5日間ほど、春休みにさせて頂きたいと思います。 毎夜お読みくださっている皆様、また時折に「千夜千句」にお立ち寄りくださいました皆様、本当に有難うございます。 この間に、...
眠りの誘ひ 立原道造 おやすみ やさしい顔した娘たち おやすみ やはらかな黒い髪を編んで おまへらの枕もとに胡桃色にともされた燭台のまはりには 活発な何かが宿つてゐる(世界中はさらさら...
昨日の陽気に、娘は、物言わぬ犬と目を合わせてしまったらしい。「散歩に行こうか?」の一言で、ノエルは耳をぶるんと振って尻尾を振りはじめている。私も車の後部座席でノエルの監視役としてお花見に行くことになった。 車で1...
「てふてふひらひらいらかをこえた」という、ひらがなだけの、字足らずの、種田山頭火の自由律の句がある。自由律俳句というのは、五七五の定型を破り、季語に囚われず、気分や思いのままに口語で自由に表現したものであるが、山頭火の...
つい3年前までは、マスクをする時は風邪にかかった時か花粉症の季節の頃か、歯の治療中の間くらいだった。中国の湖北省武漢でコウモリ媒体による新型コロナウィルスの感染者が、最初に発症したとされた日から令和4年の8日で、2年目...
今宵は、津髙里永子さんの第2句集『寸法直し』から幾つかの作品を紹介させていただこう。 今年の2月にご贈呈くださった句集のタイトルの『寸法直し』に、まず惹かれた。さらにタイトルの文字にどこか懐かしさを感じたが、目次ペー...
昨日は春分の日。この春分の日を「お中日」とした前後三日ずつの七日間を彼岸という。今年の彼岸の入は3月18日、21日が春の彼岸のお中日、24日までを彼岸という。今年の春分は3月21日の月曜日だったので、土日月という思わぬ...
私が小学校一年生になる年に、わが家は、杉並区の井草教会が併設していたひこばえ幼稚園のお向かいに越してきた。70年も経つ。お隣には同い年のアッコちゃん、近くにはユッコちゃん、駅の方に少し歩いてトモちゃんと仲よしであった。...
辛夷(コブシ)の花が満開になった。私の住む茨城県守谷市の守谷市役所に、コブシの大樹が何本も植えられている。コブシの白は、 木々の花の少ない枯れ色の中で、まさに鮮やかな春の魁(さきがけ)だ。 この季節になると、満開にな...
いつもスーパーへ行くときでも、車で行ってしまう。娘からは、「歩きなさい! 大腿骨骨折の一番の療法は、太陽に当たることと、歩くことなんだから!」と、注意されている。夫もなかなか厳しい。犬の散歩は、家族が分担しているが、私...
3月11日に、「3・11」「東日本大震災」のことを書こうと考えていたが、腸閉塞の手術後2日目の犬のノエルに心を奪われていて、当日は書くことができなかった。 ところが昨夜、寝入りばなのことだ。ドドーンと揺るがすよう...
蕗の薹のことを書くのは、昨年の2月24日につづいて2度目。今年もわが家の隣の空き地に蕗の薹が顔を出したが、1月も2月も寒さが厳しかったためか、いつものように夫が摘んできてくれたのが3月の初めであった。 守谷市に越...
3月9日に動物病院に2度目の腸閉塞で入院したノエルは、その日のうちに手術をした。タオルが2つも詰まっていたという。それでは苦しいに決まっているのに、空きあらば、布切れを食べてしまうし、叱っても懲りないし・・。 手術の...
このところ、ウクライナとロシアとが戦闘状態となり、テレビニュースにプーチン大統領が毎日登場している。なんだか、以前に見たときよりも、悪者になったような顔つきをしている・・! ソ連時代を含め、大統領職は2回目である。来...
山口誓子は、明治34年(1901)京都市に生まれ、母が自殺したため外祖父に育てられ、外祖父の仕事の関係で樺太(サハリン)へ渡り、小学校、中学校と過ごし、のち京都第一中学校を卒業した。妻は山口波津女、妹はホトトギス同人の...
平成19年の春号は、10句の投句は椿の句だけにしようと考えた。まずは茨城県南の椿を探した。大通りから一歩はいると、古いお屋敷が並んでいる。広い庭には、梅、椿、枝垂桜の老樹がゆったりと植えられていた。通りからでも見ること...
私たちの師の深見けん二先生の誕生日は、3月5日の啓蟄の日である。2021年9月15日に亡くなられ、あっという間に半年が過ぎてしまった。2020年の誕生日には、「啓蟄を明日にしてわが誕生日」と詠み、2021年の3月5日の...
昨日は、3月3日の「雛祭」であった。しばらく箱から出して飾ってあげていないなあ・・! 室内で飼っているラブラドール・リトリーバーはもう7歳になっているのだが、相変わらずのやんちゃ犬で、なんにでも興味津々で鼻でつついたり...
「ホトトギス」名誉主宰であった稲畑汀子さんが、令和4年2月27日午後4時48分、心不全のため兵庫県芦屋市のご自宅で亡くなられた。このニュースは、本日3月2日、偶然スマホを見ていた画面に飛び込んできて知ったのであった。 ...
三叉土筆 野口雨情 ある日、二人の仲よしは、土筆を採りに行くことになりました。おたあちゃんのお母さんは、いつものやうに、二人のお弁当をこしらへてくれました。そして云ひました。 「土筆を採りに行ったら...
昨日の2月27日は、ワクチン接種の3回目であった。1回目、2回目と同じ守谷市イオンタウン内のメディカルクリニックに娘の付添で行った。一人で大丈夫なのに・・と思ったが、いろいろな副反応があるからと付いてきてくれたのだ。外...
俳人協会から刊行された『深見けん二集』を、久しぶりに読み返してみた。自註現代俳句シリーズ・続編20は、平成元年、私が朝日カルチャーセンター光が丘の深見けん二教室で師事をはじめた頃の作品からはじまっている。どの作品も懐か...
天皇誕生日の2月23日は休日。よく晴れて風も少なかったので、犬のノエルを連れて娘と一緒に守谷市の四季の里公園をぶらり歩いてきた。緑らしきものは、葉の出ていない柳の細枝のうすみどりだけであった。 庭の雪柳はもう小さ...
江戸前期の俳諧流派で、松永貞徳によって提唱された俳諧の流派である。談林(だんりん)の新風・異風に対して古風・正風ともいう。この頃には「田打」「畑打」の季語はすでに用いられてをり、貞門時代の古い季語である。 「田打...
今宵は、「白魚」を書くつもりで調べはじめたところ、何と、私の住む茨城県の霞ヶ浦の北浦が白魚が有名な産地であった。漁獲量のトップは青森県で、茨城県、北海道とつづく。 明治から昭和にかけて盛んに行われた『帆びき網漁(※)...
立春から数えて15日目ごろの昨日の2月18、19日あたりから、二十四節気のひとつの雨水となる。空から降るものが雪から雨に変わり、氷が溶けて水になるころをいう。この日から啓蟄までの期間もいう。 雨水は、歴便覧には「...
昨夜から決めてあった季語「冴返る」「凍戻る」「余寒」であるが、そのとおりの気候となった。先ずは、朝の寒さである。犬の朝一番の散歩は私が行くので、昨日とはちがう春の寒さを味わうことができた。 春は寒暖をくり返しなが...
もしかしたら、2月3日の昼食後の、あのときの激しい嘔吐がオミクロンの症状ではなかったかと今になって思う。この日はワクチン接種の3回目で、午後には予約していた病院へ行くことになっていた。あわてて熱を測り、何度も測ってみた...
ここ数日、満月に近い月が夜空を照らしていたが、2月17日の今宵が満月である。アメリカの先住民が名付けた呼び名で、スノームーンというそうだ。ちなみに、1月はウルフムーン、3月はワームムーン、4月はピンクムーン・・とつづく...
今日のオリンピックは、テレビで女子のスケートを観た。「パシュート」という競技は、正直のところ今回の北京オリンピックで初めて知った種目であるが、興味を持って予選から決勝と観た。横で夫が説明をしてくれるのが少々煩さかったが...
北京オリンピックに夢中になっている。いつもは、羽生結弦のフィギュアスケートが無事に終れば満足しているのだが、今回は違った。ジャンプの小林陵侑、スケートの高木美帆、スケートボードの平野歩夢選手たちの、それぞれのメダル授与...
今朝、小学校以来の長い友人和子さんから、京都の雪景色の動画がラインに送られてきた。全盲のピアニスト辻井伸行の弾く「ノクターン」の演奏をバックに、動画の雪景色の嵯峨野の竹林は、雪の重さも加わって、より深々と感じられた。 ...
私の住む茨城県守谷市から筑波山を右手に眺めながら北上してゆく街道の左側は麦畑がつづいている。黄金色に稔るので小麦だ。その向こうには白っぽい黄金色が広がっているが、それはビール麦だという。 お百姓さんが自ら踏んでいる「...
つくば市から学園東大通りを北上した天久保4丁目に、筑波大学キャンパスの入口が見えてくる。そして、学園東大通りの反対側の天久保4丁目には、つくば植物園の入口がある。筑波大学キャンパスとつくば植物園は、ちょうど学園東大通り...
第八〇八夜 平間真木子の「絵踏」の句 九州の長崎駅前の西坂公園に、日本二十六聖人殉教記念碑が建っている。最初に見たのは、大学卒業後すぐに、プロテスタントの活水学院高校で英語講師をすることになり長崎市に移り住んだ時であ...
ジャズムーブが起きたのは、アメリカでは1910年頃といわれる。日本では昭和38年(1963)後半の頃ではないかと思う。ジャズの話は、青山学院高等部時代の休み時間のお喋りの中で初めて出てきた話だったからだ。私は、目を丸く...
春が来た 春が来た 春が来た どこに来た。 山に来た 里に来た、 野にも来た。 花がさく 花がさく どこにさく。 山にさく 里にさく、 野にもさく。 鳥がなく 鳥がなく どこでなく。 山で鳴く 里で鳴...
平成9年2月2日、私の父が亡くなった。俳号は、名字の重石(しげいし)を、志解井司(しげい・つかさ)と表記していた。あらきみほ句集『ガレの壺』(平成9年11月10日刊行)には、父の死の作品を20句ほど収めた。命日が節分の...
編物が好きなのか、毛糸が好きなのか、高等部時代も大学時代も、秋から冬、春先まで、休み時間にはよく編物をしていた。大学の講義のない時間など、喫茶店で友だちと過ごしていたが、話しながら手を動かしていた。当時は縄編を入れたセ...