第百四十夜 折笠美秋の「雪」の句

 まず、プロフィールから見てゆこう。  折笠美秋(おりがさ・びしゅう)は、昭和九年(1934)―平成二年(1990)、神奈川県横須賀市生まれ。昭和三十三年、早稲田大学在学中から「早稲田俳句会」に参加。卒業後は東京新聞社に...

第百十八夜 友岡子郷の「夢」の句

 蝸牛社の秀句350選シリーズ、22巻『夢』の著者は友岡子郷である。刊行から三十年経って久しぶりに読み直した。解説に、俳句という作品の世界自体が「夢」という基本的性質を持つものであるとして、章を四つに分類していた。  Ⅰ...

第百十四夜 星野立子の「下萌」の句

 今日は、星野立子の「下萌」の句を鑑賞してみよう。  季題「下萌(したもえ)」というのは、「早春の大地のそこここから草の芽がほつほつと萌え出す。確実に春の気配が感じられる」頃のことで、ちょうど今頃である。利根川を越えた茨...

第百十三夜 藤松遊子の「卒業」の句

  卒業のその後の彼を誰(た)も知らず 『人も蟻も』     藤松遊子は虚子晩年の弟子であり、師の深見けん二と今井千鶴子の三人による季刊誌「珊(さん)」のお仲間である。平成三年、深見けん二が「花鳥来」を創刊し、第四句集『...

第百十夜 野澤節子の「蜘蛛」の句

  われ病めり今宵一匹の蜘蛛も宥さず 『未明音』     昭和三十年に刊行した『未明音』は、フェリス和英女学校に入学した翌年に十三歳という若さで肺浸潤と脊椎カリエスにかかり、自宅療養ではあるが長いことギブスの生活を強いら...

第百七夜 皆吉爽雨の「螢火」の句

  舸子の手のぬれて螢火くれにけり 『雪解』  作品をみてみよう。    「舸子(かこ)」は水夫のことで舟を操る人。潮来の螢を見ようと水郷を舟でゆくと、辺りには螢がどんどん飛び交っていて、すぐにでも掴まえることができそう...

第百六夜 桂 信子の「短夜」の句

  短夜の畳に厚きあしのうら 『月光抄』  作品をみてみよう。    「短夜」は夏の季題。昭和十四年、桂信子は前年から日野草城の「旗艦」に投句はしていたが、この日、初めて句会に参加した。しばらくして、黒い背広に、カンカン...

第百五夜 田中裕明の「初雪」の句

  初雪の二十六萬色を知る 『櫻姫譚』平成四年  蝸牛社で、秀句350選シリーズを企画した際に18巻目の『数』の著者として引き受けてくれたのが、田中裕明である。刊行から三十年を経て、どういう経緯であったか定かではないが、...

第百四夜 岸本尚毅の「末枯」の句

  末枯に子供を置けば走りけり 『舜』『夫婦の歳時記』     作品をみてみよう。    「末枯」は、晩秋、野山の草が葉の先の方から枯れはじめることをいう。遊び場の野原に到着すると、父は、腕に抱いている子をそっと枯れ枯れ...

第百二夜 鈴木花蓑の「春日」の句

  大いなる春日の翼垂れてあり  鈴木花蓑 『鈴木花蓑句集』     鑑賞してみよう。    掲句の季題は「春日」。この春日は夕日であろう。主役の春日のやわらかな茜色が、晴れ渡った夕暮の空いっぱいに広がっている。まるで春...

第百夜 高浜虚子の「紅梅」の句

  紅梅の紅の通へる幹ならん  『五百句』     「紅(こう)の通へる幹」とはどのような幹だろうと随分と長いこと気になっていた。わが街の「ふれあい通り」は桜並木が10キロほど続いている。数年前にやっと気づいたのだが、二...

第九十夜 金子兜太の「朧」の句

  長生きの朧のなかの眼玉かな  『両神』平成七年刊  鑑賞をしてみよう。    この作品は、金子兜太が七十歳を越えたころの自画像のようにも思う。元気とはいえ当時の喜寿は長生きの方である。私は、仕事で何度かお会いしたこと...

第八十六夜 草間時彦の「牡蠣」の句

  牡蠣食べてわが世の残り時間かな  『盆点前』    草間時彦(くさま・ときひこ)は、大正九年(1920)―平成十五年(2003)東京生まれの鎌倉育ち。祖父も父も俳人。時彦は、「馬酔木」に投句し「鶴」の創刊に参加。水原...

第八十四夜 高浜虚子の「霜」の句

  霜降れば霜を楯とす法の城(のりのしろ))  高浜虚子『五百句』     明治三十五年に子規が亡くなると、子規門の双璧である虚子と碧梧桐の俳句観の相違がはっきりしてきた。碧梧桐の進める新傾向俳句は一派を形成するほどにな...

第八十一夜 後藤夜半の「滝」の句

   滝の上に水現れて落ちにけり  後藤夜半 『翠黛』 後藤夜半(ごとう・やはん)は、明治二十八年(1895)―昭和五十一年(1976)大阪市生まれ。大正十二年より「ホトトギス」に投句して高浜虚子に師事。〈牡蠣船へ下りる...

第七十九夜 石原八束の「雪」の句

  鍵穴に雪のささやく子の目覚め  『雪稜線』      石原八束(いしはら・やつか)は、大正八年(1919)―平成十年(1998)山梨県生まれ。父は「雲母」同人の俳人石原舟月。八束は子どもの時代から俳句に親しみ、昭和十...

第七十三夜 三橋鷹女の「椿」の句

  老いながら椿となつて踊りけり  三橋鷹女 『白骨』    三橋鷹女(みつはし・たかじょ)は、明治三十二年(1899)―昭和四十七年(1972)、千葉県成田市生まれ。先祖には歌人が多く、鷹女も女学校卒業後、兄の師事する...

第七十夜 前田普羅の「霜」の句

  霜つよし蓮華とひらく八ヶ岳  前田普羅 『定本普羅句集』    この句は、「甲斐の山々」として昭和十一年、東京日日新聞に発表の〈茅枯れてみづがき山は蒼天(そら)に入る〉〈駒ケ岳凍てて巌を落としけり〉〈茅ケ岳霜どけ径を...

第六十一夜 西村和子の「風邪」の句

  脇僧の風邪気味にておはしけり  西村和子    西村和子(にしむらかずこ)は、昭和二十三(1948)年、横浜市生まれ。慶應義塾大学に入学と同時に「慶大俳句」に入会し、清崎敏郎に師事。翌年清崎主宰の「若葉」に投句を始め...

第六十夜 矢島渚男の「梟」の句

  梟の目玉みにゆく星の中  矢島渚男 『天衣』    鑑賞をしてみよう。    ふくろう科の鳥はみな夜行性。しかし「梟(フクロウ)」は、ミミズクとよく似ているが、フクロウには頭の脇には耳のように直立した耳羽がない。一年...

第五十夜 木下夕爾の「雪」の句

  地の雪と貨車のかづきてきし雪と  木下夕爾    句意は次のようであろうか。  「私の住む地にも雪が積もっている。目の前を貨車が通過する。その屋根には雪が載ったままである。どこで降った雪を被ってきたのだろう。この地の...