第百四十六夜 高屋窓秋の「さくら」の句
ちるさくら海あをければ海へちる 『白い夏野』 作品をみてみよう。 窓秋の目には、桜の花びらは自分の意志で散っているように見える。花の散る方向は風の方向で決まるのに、「海があをいから」海の方へ桜が散って...
ちるさくら海あをければ海へちる 『白い夏野』 作品をみてみよう。 窓秋の目には、桜の花びらは自分の意志で散っているように見える。花の散る方向は風の方向で決まるのに、「海があをいから」海の方へ桜が散って...
気の遠くなるまで生きて耕して 『カラー図説 日本大歳時記』講談社 作品の背景をみてみよう。 春の季語「耕(たがやし)」は、「たがえし」とも言う。種を蒔いたり、苗を植えるのに適するように土を鋤き返しやわらか...
令和二年の今日、四月一日は西洋では万愚節(オール・フールズ・デー)と呼ばれる日。この日ばかりは罪のない嘘で人をかついでも許されるという風習があり、この日に騙された人のことを「四月馬鹿」「エイプリルフール」という。 季...
子を殴(う)ちしながき一瞬天の蟬 『街』 男の子を叱るとき、父親が身をもって殴たねばならない時がある。ここぞという時の一打でなければ教育的な効き目はないのだが、父が幼い子の、触れてみれば柔らかな頬を、叩くのはさぞ哀...
初夢や四割る二が割り切れず 『円穹』 作品をみてみよう。 「四割る二」がどうしても割り切れないというのだ。理数系も得意な和子さんなら簡単に解けそうだけど、夢の中では、解けそうなのに数字がどうしても浮かんでこないこ...
しんしんと肺蒼きまで海のたび 「海の旅」『篠原鳳作全句文集』 作品をみてみよう。 海の青さを「肺蒼きまで」と、全身で感じるのは、陸地から遠く離れた外洋でしか感じられないのかもしれない。この作品は無季の句...
まず、プロフィールから見てゆこう。 折笠美秋(おりがさ・びしゅう)は、昭和九年(1934)―平成二年(1990)、神奈川県横須賀市生まれ。昭和三十三年、早稲田大学在学中から「早稲田俳句会」に参加。卒業後は東京新聞社に...
行春や鳥啼魚の目は泪 『奥の細道』 ゆくはるや とりなきうおの めはなみだ 芭蕉の句は「千夜千句」の二度目であるが、本日、三月二十七日は、芭蕉が『奥の細道』の旅立ちの日である。旧暦なので実際はもう少...
春雷は空にあそびて地に降りず 『盆地の灯』 作品をみてみよう。 「雷」は夏に多く、激しい音や雷光や落雷もあるが、「春雷」は、一つ二つと鳴ってそれきり止むこともある。 句意は、「春の雷というのは、お空の...
満月に正面したる志 『深川正一郎句集』 まんげつに しょうめんしたる こころざし 作品をみてみよう。 茨城県南に住む私は、関東平野の真ん中なので、空は360度ぐるりと見渡すことができる。月見の好きなポイン...
くちづけの動かぬ男女おぼろ月 『池内友次郎全句集』 池内友次郎(いけのうち・ともじろう)は、明治三十九年(1906)―平成三年(1991)、東京麹町の生まれ。「ホトトギス」主宰の高浜虚子の次男で、父方の姓である池内...
咲き満ちてこぼるゝ花もなかりけり 『虚子秀句』 もう二十年以上になる。私は、虚子の句のこの景の瞬間に出合いたいとずっと願っていた。 家から車で五分ほどの、東京練馬にあるグランドハイツ跡地の光が丘公園に通い詰めてみ...
春を病み松の根つ子も見あきたり 『西東三鬼全句集』 作品をみてみよう。 三鬼は、三十一を過ぎたばかりの頃に俳句を始め、六十二歳までの人生の半分を誰よりも様々に挑戦し続けた俳句人生であった。昭和三十七年四月一日...
傷舐めて母は全能桃の花 『木の國』 鑑賞をしてみよう。 幼い子には、親の予測のつかないことが起こることがある。和生氏の場合は、いきなりの高熱であった。母は氷嚢で冷やすが、風邪でもなく腹痛でもなさそうだ。母に「何か...
『秀句三五〇選 風』を蝸牛社から刊行した頃、氏の第三句集『百鳥(ももどり)』が上梓された。その後、結社誌「百鳥」を創刊し主宰されている。懐かしい句集『百鳥』に絞って作品を紹介してみようと思う。 老木のふっと木の葉を...
「千夜千句」のブログを更新中のあらきみほ本人が、俳句作者としての顔を出したくはなかったのだが。 今年も、守谷市にある西林寺の枝垂桜を尋ねてゆくと、高さもあり見事に均衡のとれた美しさで大地に触れんばかりの枝垂桜の大枝が...
たんぽゝや長江濁るとこしなへ 『雪国』 作品をみてみよう。 長江は、チベット高原を水源地域とし中国大陸の華中地域を流れ東シナ海へと注ぐ河川。長江の最下流部を揚子江と呼んでいるが、揚子江から支流の黄浦江を遡ったとこ...
明日は、令和二年「彼岸の入」の日。今年は温かい冬が続きいよいよ春到来と思われた頃から、世界中でコロナウィルスの大流行となり、何だか落ち着かないまま、子規の母の呟いた「毎年よ彼岸の入りに寒いのは」の通りの彼岸の入となった...
われ蜂となり向日葵の中にゐる 『天馬』 「向日葵(ひまわり)」の季題は、戦後間もない頃に詠む題材としては新鮮であったという。私は、映画の「ひまわり」を思い出す。主役はマルチェロ・マストロヤンニとソフィア・...
荻原井泉水は、河東碧梧桐が子規の没後に起こした新傾向運動に参加し、季刊誌「層雲」を共に創刊した。暫くすると井泉水は、碧梧桐派の現代の新傾向に欠けているのは「句の魂」と「光」と「力」であるとして、自らの印象主義的象徴主義...
今日は、みぞれ混じりの寒い日であったが、気象庁は東京・靖国神社にある桜(ソメイヨシノ)が開花したと発表した。昨年より七日も早い開花である。師深見けん二の代表句の中の、「初花」「薄氷」「下萌」「蝶」の四句がどのように生ま...
蟻の列しづかに蝶をうかべたる 『雨』 掲句をみてみよう。 アリたちは今日の収穫の蝶を、巣穴であるコロニーの女王アリの元へ運んでゆく。美しいまま地に落ちていた蝶を、運んでいるのであろう。梵には〈閉じし翅しづかに...
初蝶やちちんぷいぷいのよく効く子 『鷹日和』 掲句をみてみよう。 この作品を初めて見たのは、蝸牛社の秀句三五〇選シリーズ・21巻『虫』の編集作業の中であった。なんて愛らしい、と思った。子どもの小さい頃、転んだ...
三月やあの日そののち震災忌 「花鳥来」、百句集「花屑」 浦部熾(うらべ・おき)さんは、深見けん二主宰の「花鳥来」でご一緒するようになった同い年の仲間。埼玉県人として六十余年を過ごした熾さんが、お姉さんの住む盛岡に転...
鑑賞をしてみよう。 一日物云はず蝶の影さす 酒が好きで、酒の数々の失敗で会社を追われ、妻に去られ、寺院の寺男として行事のあるとき以外は誰とも話すことのない生活であった。この句の「蝶の影さす」から、放哉の様子を...
茂吉忌のオランダ坂に蝶生る 『西陲集』 長崎市は、結婚し、高校の新米教師として三年間を過ごした懐かしい街である。大学卒業後に親元を離れた私は、まさに初蝶のごとく知らない街を探訪した。山があり海があり、異国情緒...
うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする 『山頭火全集』 句意は次のようであろう。 お母さんが亡くなって、もう四十七回忌となりました。わたしも五十七歳になりましたよ。流転の旅にいつもついてきてくれてありが...
黒猫の子のぞろぞろと月夜かな 『山の木』 好きな光景の作品である。 猫は春の季語「猫の恋」があるように、春に子猫が生まれることが多い。猫は交尾によって排卵、受精が起こるので、タイミングがあえば直ぐ妊娠す...
蝸牛社の秀句350選シリーズ、22巻『夢』の著者は友岡子郷である。刊行から三十年経って久しぶりに読み直した。解説に、俳句という作品の世界自体が「夢」という基本的性質を持つものであるとして、章を四つに分類していた。 Ⅰ...
蟻かなし穴出づる日も土を咥(くわ)へ 『上村占魚全句集』 掲句をみてみよう。 『現代俳句案内』(立風書房、1985年)は、当時の俳句隆盛を導いた俳人たちが自作について語っている。この作品は多くの歳時記に例...
陰に生る麦尊けれ青山河 『地楡』 (ほとになる むぎとうとけれ あおさんが) 鑑賞してみよう。 いきなり陰(ほと=女陰)が出てくるので驚かされたが、十七文字から感じられるのは、北国の山河を背景に広々...
春雨の衣桁に重し恋衣 高浜虚子『五百句』 鑑賞をしてみよう。 衣桁(いこう)とは着物を掛けておく家具で細い木を鳥居形に組んだもので、両袖を拡げて掛けられているのは、恋する人の着物だから華やいだもので...
今日は、星野立子の「下萌」の句を鑑賞してみよう。 季題「下萌(したもえ)」というのは、「早春の大地のそこここから草の芽がほつほつと萌え出す。確実に春の気配が感じられる」頃のことで、ちょうど今頃である。利根川を越えた茨...
卒業のその後の彼を誰(た)も知らず 『人も蟻も』 藤松遊子は虚子晩年の弟子であり、師の深見けん二と今井千鶴子の三人による季刊誌「珊(さん)」のお仲間である。平成三年、深見けん二が「花鳥来」を創刊し、第四句集『...
天上も淋しからんに燕子花 『国境』 掲句をみてみよう。 昭和五十二年刊行の『国境』集中の作品。六林男は新興俳句の無季派だと自認している俳人である。「燕子花(カキツバタ)」は、有季派(俳句には季語を必ず入れる)...
俳諧に命あづけて菊枕 昭和二十二年 伊藤柏翠というと、すぐに高浜虚子の『虹』を思う。『虹』は、「虹」「愛居」「音楽は尚ほ続きをり」「小説は尚ほ続きをり」から成る四部作で、主役の愛子や柏翠や福井県の三国のことを、二...
われ病めり今宵一匹の蜘蛛も宥さず 『未明音』 昭和三十年に刊行した『未明音』は、フェリス和英女学校に入学した翌年に十三歳という若さで肺浸潤と脊椎カリエスにかかり、自宅療養ではあるが長いことギブスの生活を強いら...
何か負ふやふに身を伏せ夫昼寝 『朱鷺』 加藤知世子が加藤楸邨の妻であり俳人であることも知ってはいたし、楸邨は大好きな作家の一人であるが、じつは、知世子の作品は『現代女流俳句全集』を読んで初めて知ったという次第であ...
春の星ひとつ潤めばみなうるむ 『月の笛』 鑑賞してみよう。 「ひとつ潤めばみなうるむ」と、断定した表現で詠まれている。夜空を見上げた白葉女は、大きな星をひとつ見つけた。どこか潤んでいるような瞬きである。鋭くき...
舸子の手のぬれて螢火くれにけり 『雪解』 作品をみてみよう。 「舸子(かこ)」は水夫のことで舟を操る人。潮来の螢を見ようと水郷を舟でゆくと、辺りには螢がどんどん飛び交っていて、すぐにでも掴まえることができそう...
短夜の畳に厚きあしのうら 『月光抄』 作品をみてみよう。 「短夜」は夏の季題。昭和十四年、桂信子は前年から日野草城の「旗艦」に投句はしていたが、この日、初めて句会に参加した。しばらくして、黒い背広に、カンカン...
初雪の二十六萬色を知る 『櫻姫譚』平成四年 蝸牛社で、秀句350選シリーズを企画した際に18巻目の『数』の著者として引き受けてくれたのが、田中裕明である。刊行から三十年を経て、どういう経緯であったか定かではないが、...
末枯に子供を置けば走りけり 『舜』『夫婦の歳時記』 作品をみてみよう。 「末枯」は、晩秋、野山の草が葉の先の方から枯れはじめることをいう。遊び場の野原に到着すると、父は、腕に抱いている子をそっと枯れ枯れ...
落し文村のポストへ入れて来し 平成七年 鑑賞をしてみよう。 「落し文」は、オトシブミ科の昆虫。初夏に広葉樹の葉を筒状に巻いて巣を作り産卵して地上に落す。この筒状の葉を落し文に見立てたもの。 白夜は、昭...
大いなる春日の翼垂れてあり 鈴木花蓑 『鈴木花蓑句集』 鑑賞してみよう。 掲句の季題は「春日」。この春日は夕日であろう。主役の春日のやわらかな茜色が、晴れ渡った夕暮の空いっぱいに広がっている。まるで春...
不器用に生きてほゝづき鳴らしけり 上田祥子 ホオズキ(鬼灯、酸漿)は、旧かな遣いでは「ほほづき」。ナス科で六月頃に淡い黄色い花が下向きに咲き、花の後に、六角状の萼が伸びて果実を包み袋状になる。秋には赤いホオズキと...
紅梅の紅の通へる幹ならん 『五百句』 「紅(こう)の通へる幹」とはどのような幹だろうと随分と長いこと気になっていた。わが街の「ふれあい通り」は桜並木が10キロほど続いている。数年前にやっと気づいたのだが、二...
浮いているお手玉ふたつ春の暮 小宅容義 平成二年 鑑賞をしてみよう。 お手玉がふたつ宙に浮いている。お手玉は、小さな布袋に小豆やジュズダマの実などを入れて縫い合わせた玩具で、一個からお手玉遊びはできるが、上手に...
あめんぼと雨とあめんぼと雨と 藤田湘子 『神楽』 鑑賞をしてみよう。 池か沼か小川か田んぼの用水路など、あまり流れのない水面にアメンボがいる。「あめんぼ」は水馬(あめんぼう)のことで、細く長い六本足を...
木の実のごとき臍もちき死なしめき 森 澄雄 『白小』 鑑賞をしてみよう。 森澄雄の、長年連れ添った妻のあき子が急逝した折の作品である。外出先から戻ると、いつもは「お帰りなさい」と出迎えてくれる妻が、声...
沙羅の花捨身の落花惜しみなし 石田波郷 『酒中花以後』 「沙羅の花(しゃらのはな)」は別名「夏椿(ナツツバキ)」。釈迦入滅のとき四方を囲んでいた沙羅双樹の花が枯れたという逸話があるが、ナツツバキはインドの沙...
雷や四方の樹海の子雷 佐藤念腹 鑑賞をしてみよう。 最初は、「子雷」って何だろう、どんな雷だろうと思った。私の机には、稲畑汀子汀子監修『ホトトギス 巻頭句集』と『ホトトギス 雑詠句評会抄』が並んでいる。読み...
湖といふ大きな耳に閑古鳥 『六花』 鑑賞をしてみよう。 芦ノ湖を箱根山中から眺めた作品だという。辺りには閑古鳥(=カッコウ)が美しい声で鳴いているばかりである。聞いているのは自分ばかりのようだが、ケーブ...
春ひとり槍投げて槍に歩み寄る 能村登四郎『枯野の沖』 鑑賞をしてみよう。 青年が広いグランドで槍投げをしている。力いっぱい投げ終えた青年は飛距離を確かめるべく槍に歩み寄る。槍を抜き元の位置に戻り、再び投げる...
悪女たらむ氷ことごとく割り歩む 『忘』 鑑賞をしてみよう。 掲句は山田みづえの代表句である。この作品を句会に出したとき師の波郷一人が採ってくれたという。自分を「悪女たらむ」と詠んでいる。戦争中に結婚し、二...
かもめ来よ天金の書をひらくたび 『まぼろしの鱶』 解釈は次のようであろうか。 第一句集の最初に置かれた句である。「天金の書」とは、洋書の製本で、上方の小口だけに金箔をつけたもの。読みながら洋書のページ...
長生きの朧のなかの眼玉かな 『両神』平成七年刊 鑑賞をしてみよう。 この作品は、金子兜太が七十歳を越えたころの自画像のようにも思う。元気とはいえ当時の喜寿は長生きの方である。私は、仕事で何度かお会いしたこと...
この風のおさまれば咲く犬ふぐり 『夏座敷』 掲句の鑑賞をしてみよう。 この日は「花鳥来」の二月の吟行句会で、練馬区の光が丘公園での作品。立春を過ぎたばかりで、風の冷たい日であった。犬ふぐりは公園の日だ...
深吉野や息づくもののみな青し 『都鳥』 掲句を考えてみよう。 平成六年に刊行の第六句集『都鳥』を戴いて、まず掲句に惹かれたが、どこかずっと気にかかっていた作品である。今回、改めて『鈴木真砂女全句集』を見直し...
あっそれはわたしのいのち烏瓜 『静かな水』 正木ゆう子(まさき・ゆうこ)は、昭和二十七年(1952)熊本生まれ。一足先に俳人となっていた兄の正木浩一に誘われて同じく能村登四郎に師事し、「沖」の同人。俳論『起...
牡蠣食べてわが世の残り時間かな 『盆点前』 草間時彦(くさま・ときひこ)は、大正九年(1920)―平成十五年(2003)東京生まれの鎌倉育ち。祖父も父も俳人。時彦は、「馬酔木」に投句し「鶴」の創刊に参加。水原...
雪いつか降り今を降り街燈る 『雪の花』 吟行先で詠もうとする季題に出会った時のけん二先生の集中力は凄いもので、それは言葉が浮かんでくるのを待っている時間であると言われるが、側に近づくことも憚るほどである。 ...
霜降れば霜を楯とす法の城(のりのしろ)) 高浜虚子『五百句』 明治三十五年に子規が亡くなると、子規門の双璧である虚子と碧梧桐の俳句観の相違がはっきりしてきた。碧梧桐の進める新傾向俳句は一派を形成するほどにな...
とんぼ連れて味方あつまる山の国 『絵本の空』 言葉はやさしい俳句であるが、意味を探ろうとすると言葉は逃げてゆきそうになる。完市俳句の評論を読めば、言葉には意味を持たせないとあった。言葉と言葉のつながりが希薄だから...
夜はねむい子にアネモネは睡い花 後藤比奈夫 『初心』 鑑賞をしてみよう。 アネモネは春に咲くキンポウゲ科の花。美しい花びらのように見えるのは六枚から八枚の萼(がく)で、真ん中の黒い色をした蘂を含めた全...
滝の上に水現れて落ちにけり 後藤夜半 『翠黛』 後藤夜半(ごとう・やはん)は、明治二十八年(1895)―昭和五十一年(1976)大阪市生まれ。大正十二年より「ホトトギス」に投句して高浜虚子に師事。〈牡蠣船へ下りる...
かたくりは耳のうしろを見せる花 川崎展宏 『観音』 鑑賞してみよう。 カタクリの花は、萼のところで曲がり、うつむいた形をしている。雌しべ雄しべは見えないから、居並ぶカメラマンたちは地に伏せて写真を撮っていた。そ...
鍵穴に雪のささやく子の目覚め 『雪稜線』 石原八束(いしはら・やつか)は、大正八年(1919)―平成十年(1998)山梨県生まれ。父は「雲母」同人の俳人石原舟月。八束は子どもの時代から俳句に親しみ、昭和十...
金魚玉とり落としなば舗道の花 『舗道の花』 鑑賞をしてみよう。 金魚玉は、ガラス製の丸い球形の金魚鉢のこと。中七の「とり落としなば」は、とり落としてしまったならばという意味の強い仮定であって、この場合、爽波...
蟬時雨子は担送車に追ひつけず 石橋秀野 句意は次のようであろうか。 担送車(ストレッチャー)とは患者を寝かせたままで運ぶ車輪のついたベッドのこと。救急車のストレッチャーに乗せられて病院へ行くときに、五...
稲妻のゆたかなる夜も寝べきころ 中村汀女 鑑賞をしてみよう。 まず「稲妻のゆたかなる」の光景を思い描いて見た。「稲妻」は秋の季題で、雷雲の間、雷雲と地面との間に起こる放電現象によりひらめく火花のこと。 雷鳴や...
短夜や乳ぜり泣く児の須可捨焉乎 竹下しづの女 『颯』 鑑賞をしてみよう。 蒸し暑い夏の夜明け、児は乳を欲しがって母親の乳房を求めてくる。教師として働いて疲れきっている母親に児は容赦ない。火のついたように泣く児...
八雲わけ大白鳥の行方かな 沢木欣一 『白鳥』 鑑賞してみよう。 この作品は、長い昭和の時代が終わり、平成の世となったときに、新潟県の瓢湖で詠んだもの。第十一句集『白鳥』所収の句。「昭和終え平成となりし日に」とい...
老いながら椿となつて踊りけり 三橋鷹女 『白骨』 三橋鷹女(みつはし・たかじょ)は、明治三十二年(1899)―昭和四十七年(1972)、千葉県成田市生まれ。先祖には歌人が多く、鷹女も女学校卒業後、兄の師事する...
寒月に焚火ひとひらづつのぼる 橋本多佳子 『紅絲』 掲句を鑑賞してみよう。 季語は「寒月」「焚火」と冬だが、「焚火」を詠んだ作品であろう。焚火はよく燃えてくると赤い炎となり、その炎はひとひらづつひとひら...
馬ゆかず雪はおもてをたたくなり 長谷川素逝 『砲兵』 長谷川素逝(はせがわ・そせい)は、明治四十(1907)―昭和二十一(1946)年、大阪府生まれ。「京鹿の子」の鈴鹿野風呂、「ホトトギス」の高浜虚子に師事。...
霜つよし蓮華とひらく八ヶ岳 前田普羅 『定本普羅句集』 この句は、「甲斐の山々」として昭和十一年、東京日日新聞に発表の〈茅枯れてみづがき山は蒼天(そら)に入る〉〈駒ケ岳凍てて巌を落としけり〉〈茅ケ岳霜どけ径を...
白梅や天没地没虚空没 永田耕衣 『自人』 今日は1月17日。25年前の平成7年の早朝を思い出す。 いつものように見ていたテレビは、どす黒い火災の煙が曇天を突き上げている神戸の街をヘリコプターから映していた...
火の奥に牡丹崩るるさまを見つ 『火の記憶』 加藤楸邨(かとう・しゅうそん)は、明治38(1905)年―平成(1993)年、東京生まれ(出生届は山梨県)。昭和6年に村上鬼城に私淑、水原秋桜子に師事し、「馬酔木」...
くろこげの餅見失ふどんどかな 室生犀星 今日は1月15日。「どんど」の句をみてみよう。 「どんど」は「左義長」という行事のことで、新年の飾りを取り払って神社や広場に持ち寄って、焚き上げることである。松納、飾...
噴水の水をちぎつて止まりけり 『空ふたつ』 鑑賞をしてみよう。 公園の噴水であろう。水は勢いよく天に向かって光を放ちながら吹き上げている。その噴水を止める瞬間に偶然にも立ち会うことができた山田弘子は、水の栓...
雪嶺の中まぼろしの一雪嶺 岡田日郎 2019年の俳人協会のカレンダーの、十二月を捲ったとき、岡田日郎の〈雪嶺の中まぼろしの一雪嶺〉の句に出合った。一と月の間、その太々と大らかな文字で書かれた色紙を朝に夕べに眺...
つゝじこなら温石石のみぞれかな 宮沢賢治 「千夜千句」をスタートさせてから、俳句に纏わる書籍は出しておこうと書棚を調べた時に、以前に入手していた石寒太著『宮沢賢治の俳句』と再会したのだった。発表されている俳句...
土間にありて臼は王たり夜半の冬 大正3年 西山泊雲(にしやま・はくうん)は、明治十(1877)年、兵庫県丹波市の生まれ。西山酒造の長男。明治三十六年に弟の野村泊月の紹介で高浜虚子に師事。当時の虚子は小説に打ち...
老犬をまたいで外へお正月 坪内稔典 坪内稔典(つぼうちとしのり)は、昭和十九(1944)年、愛媛県伊万町生まれ。俳号「ネンテン」。高校時代から投句し、伊丹三樹彦の「青玄」に学ぶ。現在は「船団の会」代表。国文学...
脇僧の風邪気味にておはしけり 西村和子 西村和子(にしむらかずこ)は、昭和二十三(1948)年、横浜市生まれ。慶應義塾大学に入学と同時に「慶大俳句」に入会し、清崎敏郎に師事。翌年清崎主宰の「若葉」に投句を始め...
梟の目玉みにゆく星の中 矢島渚男 『天衣』 鑑賞をしてみよう。 ふくろう科の鳥はみな夜行性。しかし「梟(フクロウ)」は、ミミズクとよく似ているが、フクロウには頭の脇には耳のように直立した耳羽がない。一年...
水鳥の水をつかんで飛び上がり 深見けん二 『日月』 句意は次のようであろうか。 「水鳥が飛び上がりました。見ると全身から水をしたたらせていますが、まるで水をつかんで水を離れていくように見えましたよ。」 ...
羽子板の重きが嬉し突かで立つ 『龍胆』大正三年 鑑賞をしてみよう。 お正月になると、ずしりと重い羽子板を一つ抱えて門の前に立っているかな女。だが、重い羽子板だから羽つき遊びに加わることもなく、人が羽子をつくのを...
さくらんぼルオーの昏きをんなたち 石 寒太 鑑賞してみよう。 「さくらんぼ」は、五月の太陽に実が赤くなるが、梅雨時に出回る果物。作者は、さくらんぼを食べながらルオーの描く若い女の絵画へ思いを飛ばした。暗い色...
湖は光の粒とかいつぶり 小枝恵美子 鑑賞をしてみよう。 晴れた日の湖は、風の漣に、そして潜ったり出たりするときの鳰の水脈に、日差しが当たってキラキラ輝いている。それが「光の粒」である。鳰は「かいつむり」...
駅伝のたすきをつなぐ明の春 梅田美智 sash to runner,,, sash to runner,,, sash to runner,,, new year road race 梅田美智...
屠蘇つげよ菊の御紋のうかむまで 本田あふひ 鑑賞は次のようであろうか。 本田あふひ(ほんだあおい)は、ホトトギスの俳人。明治八(1875)年に、東京の坊城伯爵家に生まれ本田男爵家に嫁いだ生粋の華族である。華...
目出度さもちう位なりおらが春 小林一茶 令和二年の元旦の、「千夜千句」は五十三句目からのスタートだ。 毎日悩んでいることは、千分の一の今日の句として、この作者のこの一句が一番ふさわしいであろうか、ということ...
藪の中冬日見えたり見えなんだり 高浜虚子 昭和三十三年 鑑賞は次のようであろうか。 鬱蒼とした藪に分け入ると、枯蔓に覆われた杉や竹林の葉影から、青空の欠片や冬日の木漏れ日が覗いている。風に藪が揺れると、冬日...
思はずもヒヨコ生まれぬ冬薔薇 河東碧梧桐 明治三十九年 句意は次のようであろう。 「驚いたことに今日、鶏小屋を覗くとヒヨコが生まれていましたよ。庭には冬薔薇が咲いています。」 鑑賞してみよう。 この作...
地の雪と貨車のかづきてきし雪と 木下夕爾 句意は次のようであろうか。 「私の住む地にも雪が積もっている。目の前を貨車が通過する。その屋根には雪が載ったままである。どこで降った雪を被ってきたのだろう。この地の...
ロシア映画みてきて冬のにんじん太し 古澤太穂 鑑賞をしてみよう。 太穂が観たのはどんなロシア映画だったのだろう、たとえば「戦争と平和」でも「アンナ・カレーニナ」でも、ロシア帝国から社会主義国家への転換期...
寒紅や暗き翳あるわが運命 下田実花 掲句の句意は次のようであろう。 「寒紅をつけた芸者の運命がそうであるように、私も、暗い翳のある身の上なのですよ。」 鑑賞をしてみる。 季題「寒紅」は、虚子編『新歳時...
雪国に六の花ふりはじめたり 京極杞陽 昭和三十三年 鑑賞してみよう。 杞陽の住む兵庫県豊岡市は、日本海側の山陰地方なので、冬は雪に長く閉ざされる雪国である。「六の花」は「むつのはな」と読み、「雪」のこと。雪...