第五百九十三夜 一ノ木文子さんの「夕焼のおとしもの」の句
「ゆうやけこやけで ひがくれて やまのおてらの かねがなる お―ててつないで みなかえろ からすといっしょに かえりましょう」と、歌っていた頃がなつかしい。 夕焼がこれほど好きになったのは、東京から利根川沿いにあ...
「ゆうやけこやけで ひがくれて やまのおてらの かねがなる お―ててつないで みなかえろ からすといっしょに かえりましょう」と、歌っていた頃がなつかしい。 夕焼がこれほど好きになったのは、東京から利根川沿いにあ...
雑木林の木々を見に、桜が散るころから牛久沼公園に出かけている。初夏、すべての木々は新しい葉に覆われる。これが若葉であり新緑であるが、その小さく柔らかい芽ぶきの薄緑から、少しずつ葉は増えてゆき、やがて軽やかに戦ぎだす。 ...
昨夜6月24日の夜9時の犬の散歩に出ると、いつもの細道の正面にまん丸の月が出ていた。これはもう満月! と思いながら、その後は黒雲に隠れたりまた現れたりする月下のいつものコースをぽくぽく歩いた。 家に帰って、ネットで調...
青林檎とは、りんごを未熟なまだ青い状態で収穫したもの。 または、熟しても青や緑のまま赤くならないりんごの品種をいう。 本日書こうとしている「青林檎」は、「花鳥来」主宰の深見けん二が、10人ほどのメンバーで互いに切磋琢...
今日は、沖縄慰霊の日。 昭和20年(1945)、太平洋戦争では「国内最大の地上戦」と呼ばれる沖縄戦の戦場となった。米軍は4月1日に沖縄本島の読谷村の海岸に上陸し、本島の北半分を制圧し、日本軍は米軍の総攻撃を受け南部に...
「長崎は今日も雨だった」という、前川清&クールファイブの歌謡曲がある。私が3年間住んだ長崎は、それほど、雨の多い街であったこと、勤務していた活水高等学校の近くの松山町には広々とした平和記念公園があり、長崎市民の平和への...
令和3年6月21日は夏至。「夏至」という言葉は、平安時代に古来中国から伝わった暦「二十四節気」の夏の節気の1つで、「1年の中で昼の長さがもっとも長く、夜の長さが一番短い日である。 国立天文台が出している2021年夏至...
2021年の「父の日」は、6月20日。毎年第3日曜日と決められていて、父に感謝を表す日。アメリカのドッド夫人が5月の第2日曜日の「母の日」にならって、父親に感謝するために白いバラを贈ったのが始まりという。私が「母の日」...
関東地方は、6月14日から梅雨入りをした。ほぼ毎日のように1日のどこかで雨が降っている。 台所に黴(かび)が生えている気配はまだないが、自分では能天気な方だと思っているが、ときに鬱陶しい心の黴がじわじわ増えている気配...
この頃は、1日の中で必ず黒雲がやってきて通り過ぎる時に豪雨が降るが、長雨にはならなくて、洗濯もできるし、犬の散歩にも行ける。今日は午前中に犬のシャンプーをした。先代の黒ラブは乾かす時のドライヤーが苦手だったが、二代目の...
2021年の梅雨入りは、6月14日であった。かなり前から雨催いの日が多く、もう梅雨入りか、今日こそ梅雨入りかと、気象庁の宣言を待っていた。宣言された日は、例年通りの頃であった。 「梅雨」の句を探して深見けん二先生...
平成9年(1997)6月16日は、95歳で亡くなられた住井すゑの忌日である。住井すゑの住む家は牛久沼の丘の上。敷地内には母屋、書斎の他に「抱樸舎」という、かつては住井すゑを中心に学習会が開かれた別棟がある。様々な人たち...
平成11年7月17日の朝、電話をいただいた。 「ハスの花が咲きました。明日の早朝が見頃です。まだ、一般の方は誰も見ていません。」 声の主は中尊寺円乗院ご住職の佐々木邦世さんであった。 じつは七月の初めに第1花が咲...
数日前、牛久沼の芋銭居を訪ねた。当時「ホトトギス」の表紙や挿絵に河童を描いた小川芋銭を、高浜虚子は、明治42年の年末の12月12日に訪れていた。『虚子五句集』の詞書を見ると、虚子が門下の俳人たちを実にマメに訪問している...
今日は6月13日、太宰治の忌日で「桜桃忌」という。青森県金木町の資産家に生まれた小説家。代表作は『斜陽』『人間失格』『走れメロス』など。 39年の生涯で5回の自殺未遂、最後は玉川上水で愛人と入水心中。遺体が発見された...
小学生の頃に住んでいた家は、杉並区下井草で石神井公園にも歩いていける距離であった。我が家はひこばえ幼稚園の門の真ん前で、そこは、幼稚園と井草教会と二つを経営していた。 庭園は樹木が多かったが、とくに大きな栗の木が印象...
6月11日は「学校図書館の日」である。長崎市の活水高校で英語の講師をしていた頃、クラスを担当していなかったので、空き時間には学校図書館で本を借りて読んでいた。イギリスのチャールズ・ディケンズの小説が全巻揃っていたのを、...
今日は「時の記念日」。あらきみほ編『毎日楽しむ名文 365』蝸牛社刊から仏教学者・鈴木大拙の一文を紹介させていただく。 「刹那」はもうない 鈴木大拙 「時」を刻むと云ふ時計なるものが...
『新古今和歌集』(978〜979)に収録の西行法師と遊女妙の贈答歌がある。 天王寺に詣で侍(はべ)りけるに、俄に雨のふりければ、江口に宿を借りけるに、貸し侍らざりければ、よみ侍ける 1・世中をいとふまでこそかた...
春先のこと、黒雲が動き、雷雨となり、あっという間に過ぎ去った夕方、もしかしたら「虹」が見えるかもしれないと、見晴らしのよい通りへ出て、東の空を見た。 「お父さん。虹が出ていますよ―っ!」 「おーっ!」と、間一髪で虹...
虹は好きだ。東京からハイウェイに乗って、国道に出ると当時住んでいた取手市は西から東へ直線を走る。夕方近く通りかかると夕立となりしばらく走ると止んだ。その時だ。前方にふとぶととした虹の懸け橋が現れた。片方の虹の脚は左手の...
虚子の最晩年の弟子である深見けん二先生に出合ったのは偶然であったが、「花鳥来」で虚子研究をする中で、虚子の俳句だけでなく小説も読むようになった。一番に惹かれたのが『虹』。 大学時代、私は友人と金沢旅行をした折に、虚子...
俳句を始めて数年後の6月、どうしても蛍を見たくて蛍の句を作りたくて、誰彼と誘ってみたが、遠方のことでもあるので断られてしまった。あれこれ調べていると、東京椿山荘で「蛍の夕べ」があるという。椿山荘ホテルのレストランでの夕...
全ての予感を秘めて鎮もりかえっていた早春が過ぎて、桜の花へ心の高まりを一気に持ってゆき、その慌ただしさも過ぎて、花疲れの中でひと心地などついていると・・・。いつの間にか木々の梢は賑やかになり、いつの間にか少しだけ異なっ...
サルトルの顔 遠藤周作 哲学者のサルトルは御存知のようにやぶ睨みの小男だった。彼は生涯、そのやぶ睨みの顔でありつづけた。若いときに手術によって眼を治せると医者に言われたが、彼はそれを拒否したとい...
今宵は、「花鳥来」のお仲間の橋本久美さんの句集『菖蒲吹く』の作品を紹介させていただこう。練馬区光が丘のカルチャーセンターでお会いし、斎藤夏風先生の「屋根」、深見けん二先生の「花鳥来」でご一緒するようになった。だが、句歴...
蛇は、爬虫綱有鱗目ヘビ亜目に分類される爬虫類の総称。日本では、青大将(アオダイショウ)や赤楝蛇(ヤマカガシ)や縞蛇(シマヘビ)、毒蛇に蝮(マムシ)がいる。 見かけから蛇は好きになるという動物ではない。75年生きてきて...
かたつむり(童謡) でんでんむしむし かたつむり おまえのあたまは どこにある つのだせやりだせ あたまだせ でんでんむしむし かたつむり おまえのめだまは どこにある つのだせやりだせ め...
夏の稽古会が千葉県鹿野山神野寺で行われるようになったのは、「ホトトギス」同人の山口笙堂が神野寺住職になってからである。 そして昭和29年、神野寺での第1回目の夏の稽古会が始まり、昭和33年まで続けられた。 この第1...
東西ほくろ考 堀口九萬一 西洋では「ほくろ」のことをグレン・ド・ボーテ(grain de beaut)と云ふ。翻訳すれば、「美の豆粒」と云ふのである。嗚呼何と美しい名ではないか、「美の...
昔は、たしかに蠅が多かった。蠅避けの品々は蠅叩、天上から提げておく蠅取リボンや蠅取紙、蠅帳という食べ物入れ、食卓に掛けておく折畳式の網などあった。クーラーによって夏でも窓を閉めるので蠅は入らないし、冷蔵庫によって食物に...
童話の「アリとキリギリス」を思い出してみる。 キリギリスが野原で歌をうたっていると、むこうからアリが、ぞろぞろと歩いてくる。「おもたそうに何を運んでいるんだい」、とキリギリスがアリに訊くと、アリは「冬になる前に食べ物...
今日は、スーパームーンの満月で皆既月食である。 7年前の2014(平成26)年の皆既月食は、利根川の取手の土手から眺めた。このような時には黒犬オペラを連れていたが、2年前に亡くなっていたので、1人で出かけた。 だが...
19世紀の終わり頃、日本では江戸時代の終り頃から、世界は帝国主義の時代に入り、イギリスを初めとした列強国はこぞって植民地政策を執りはじめた。 中国と世界の列強国との戦いは長い。日本と中国、日本と朝鮮、日本と世界の列強...
昨日5月23日の日曜日、コロナワクチン1回目の摂取をした。テレビでもネットでもワクチン体験者の声が寄せられていた。注射は大っ嫌いで恐怖症、インフルエンザのワクチンはこれまで受けていない。遠い昔に天然痘のワクチンを受けて...
今宵も、『五百五十句』の昭和12年より作品を紹介しよう。 落花生喰ひつつ読むや罪と罰 (らっかせい くいつつよむや つみとばつ) 昭和12年10月16日。発行所例会。丸ビル集会室。虚子64歳。「落花生」は兼題で...
今宵も、続けて『五百五十句』の昭和12年の句を紹介してみよう。 屋根裏の窓の女や秋の雨 (やねうらの まどのおんなや あきのあめ) 昭和12年9月10日、銀座探勝会。会場は木挽町三丁目河岸の朝日倶楽部。 虚子...
今宵は、虚子の『五百五十句』の昭和12年より山中湖で過ごした夏の句を見てみよう。 夏山やよく雲かかりよく晴るる 『五百五十句』 (なつやまや よくくもかかり よくはるる) 昭和12年8月25日、箱根町、箱...
九州も例年より3週間ほど早く梅雨入りし、東海地方も4日前の5月16日には梅雨入したというニュースがあった。このところの雨勝ちの日々から梅雨入りは間もなくであろう。 その前にどうしても見ておきたい景色が「麦秋」であ...
白石渕路さんが「花鳥来」に入会されたのは平成14年、30歳直前であったという。10年ほどして、渕路さんは葵ちゃんのお母さんになった。たしか、句会で「葵」にするか「楓」にするか迷って皆の意見を訊いていた。 「花鳥来」の...
第2句集『五百五十句』より、贈答句を紹介しよう。 虚子は贈答句の名手といわれる。赤星水竹居が纏めた『虚子俳話録』の中で虚子は、贈答句のむつかしさを次のように述べている。 「先生曰く。 慶弔の句は、なかなか作り難...
虚子の第2句集『五百五十句』より、昭和12年の作品を紹介していこう。 昭和12年には、盧溝橋事件を発端に支那事変(日中戦争)が始まり、ドイツではヒットラー政権下であった。世界中は、第二次世界大戦の大きなうねりに入ろう...
虚子の第2句集『五百五十句』は、昭和11年から15年までの5年間の作品が収められている。昭和11年は91句である。 次の88句目の作品を紹介して、昭和11年は終えることにしよう。 今宵は、「雪」の句である。 ...
虚子の第2句集『五百五十句』は、歴史も大きく動き始める「その前夜」のごとく、俳壇においても大きな時代と言えようか。 今宵は、昭和11年の後半の出来事を、作品とともに思い出していこう。 1・欄干によりて無...
ブログ「千夜千句」も五百五十回に近づいた。高浜虚子の5句集のタイトルは、『五百句』『五百五十句』『六百句』『六百五十句』『七百五十句』である。このブログが五百回になった時、五百五十回になったら、虚子の句集名にあやかって...
茨城県守谷市に越してから、まず夢中になったのは、現在「水海道風土博物館坂野家住宅」となった坂野家住宅と、その当主の自宅の広い雑木林の庭まるごと蔓薔薇が植えられた「坂野ローズガーデン」がある。5年間ほど通い続け、何組もの...
平成26年、茨城県つくば市にある「つくば牡丹園」を訪れた。上野の牡丹園、鎌倉の牡丹園と折々に見ていたが、つくば牡丹園の広大さは見事であった。入口をはいるや見渡す限りの牡丹畑、一回りして丘を下って行きながらも牡丹が咲き、...
山口青邨に次の句がある。 わが畑は三等品の苺熟れ 山口青邨 『繚亂』 (わがはたは さんとうひんの いちごうれ) やまぐち・せいそん この作品に楽しくなった。わが家の畑でできる苺とおんなじだ。夫は、畑からある...
愛鳥週間とは、5月10日から16日までで、その最初の日を「バード・デイ」という。 翡翠(かわせみ)で思い出すのは、50年以上練馬区の石神井公園の近くに住んでいたことから、石神井公園の西側に隣接する三宝寺池の入口付近の...
今日は、アメリカの作家ヘンリー・デヴィッド・ソロ―の著書『森の生活―ウオールデン』から「朝」の一部を紹介させて頂こう。 「記念すべきことが起きるのは朝、大気に包まれた朝である、と言っておこう。ヴェーダの経典には「...
「燕子花」と「あやめ」と「花菖蒲」は、花の形は似てはいるが幾つかの相違点がある。その見分け方を知っていると、見る度に3つの名が浮かび、「どれだっけ?」と、毎回のように悩んだりせずに済むかもしれない。 今回、夫が摘んで...
四季の里公園の入口付近から公園を埋めるように咲いていた桜と八重桜に通いつめた後、坂道を下りた池の周りには杜若(カキツバタ)が咲きはじめている。もうしばらくすると、菖蒲園が花をつけるだろう。 今、園内は新緑の鮮やかさと...
あっという間に5月1日から5日までのゴールデンウィークは終わってしまった。コロナ禍でリモートワークの家人たちは、家にいることは同じだが、仕事中は自室に籠もっているので私にとっては静かな日々であったが、まあ母親というのは...
2021年の立夏は、5月5日。子どもの日であり端午の節句である。 精神科医であり小説家のなだいなだの「火を盗め」の1部を紹介しよう。 火を盗め なだいなだ パパはお前たちに「盗め」という。...
今日、5月4日はガラス工芸家エミール・ガレの誕生日。1846年生まれのガレは、1945年生まれの私とは約1世紀昔にフランスで生まれた。 もう30年ほど前、中学時代からの友人小林孝子さんは、会う度にエミール・ガレの話を...
5月3日は憲法記念日、国民の祝日である。国民の祝日に関する法律では「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する」ことを趣旨としている。1947年5月3日に日本国憲法が施行したのを記念して1948年に公布・施行の祝日法に...
「八十八夜」は、立春から数えて88日目をいい、2021年の今年は5月1日であるが、2日の場合が多いという。この頃まで晩霜の被害を受けることがあり、「八十八夜の別れ霜」「八十八夜の泣き霜」のように遅霜が発生したり強風が吹...
今日は5月1日、メーデー(May Day)は、世界各地で毎年5月1日に行われる労働者の祭典。ヨーロッパでは夏の訪れを祝う意味を持った日である一方、労働者が統一して権利要求と行進など活動を取り行う日である。 私は、小学...
だいたい、他人の悪口をいうというのは、サーヴィス行為であります。いいながら、自分もすこしは爽快な気分になりますが、いわれる相手がつねに主役であり、いっている自分が脇役であるということをおもえば、「いわれている当人」ほど...
4月29日は、百万本清(ひゃくまんぼん・きよし)こと荒木清の78回目の誕生日。 俳句出版の仕事に40年近く携わったであろうか。折々に句会を立ち上げてはいたが、こつこつ型ではないので、俳人と言えるのかどうか。 現在は...
大菩薩峠 中里介山 「峠」は人生そのものの表徴である、従って人生そのものを通して過去世、未来世との中間の一つの道標である、上る人も、下る人もこの地点に立たなければならないのである。ここ...
昨日は晴れわたった美しい朝だったので、急遽、29日の祝日に予定していた手賀沼の藤棚を見に行くことにした。国道6号線には、「県を跨いで他県に行かないでください」という趣旨の道路情報が表示されていた。 そう言えばコロナ禍...
1564年4月26日はウィリアム・シェイクスピアが誕生した日(洗礼日)。劇作家、詩人。イギリスのストラトフォード=アポン=エイヴォンの生まれ。イギリスの代表作品の4大悲劇『ハムレット』『マクベス』『オセロ』『リア王』を...
私は影が好きだ。外に出ればスマホでよく写真を撮る。私自身の影も写真に取り込むようになったのは、2年前、大腿骨骨折で手術とリハビリで2ヶ月の入院を終えて帰宅した春の桜満開の頃からだ。遠景と私の影。落花の道と私の影。こうし...
花より花らしく 三岸節子 種をまき、球根を植え、水を与え、肥料をほどこし、たえず見てまわり、1本の草でも丹念に取り去るのです。「なにがそんなに面白くて、1日中、草取りに夢中になるのだ」と息子が言います...
加藤惠子さんが生地である青森県へ帰ってゆかれたのは、令和元年の12月。毎年の「花鳥来」忘年会の直前に引っ越されていたが、この忘年会には青森から馳せ参じた。俳歴は長い。昭和50年、山口青邨主宰「夏草」に入会、平成3年、青...
谷口宏子さんは、2021年の「花鳥来」121号に、谷口宏子百句集「白梅」を発表された。拝見したお礼の意を込めて、ブログ「千夜千句」に書かせて頂くことにした。 「花鳥来」の入会は平成14年であるが、「花鳥来」の例会でも...
ドイツの詩人、小説家のゲーテの短い言葉を『ゲーテ格言集』から選んでみた。 いつも同じ花ばかりなので、花よりほかの何かをお送りすることができたら、と思います。しかし、それは愛についてと同じことで、愛もまた単調なものです...
子どもの時間 河合隼雄 (略)友だちの運動を楽しそうに、時にはうらやましそうに見ていた子がある日とうとうブランコに乗ってみる。その時の彼の顔の輝きはどんなものだろう。この子が思い切ってブランコの綱にさわ...
平成4年に始まったという靖国神社の夜桜能へ、俳句を始めて数年目の私は、何年か続けて観に行った。 平成6年、初めて観た夜桜能では〈篝火をまあるく越ゆる花吹雪〉〈青白きはなびらかかる緋の小袖〉と詠み、翌平成7年には〈拝殿...
春陰と花曇はかなり似ているので、作句する時も鑑賞する時もむつかしいのだが、違いを考えてみよう。 「春陰」は、春は曇りがちでうっとうしい天気がつづくこと。春陰は花曇と似ているが、花のイメージをはなれるので、さらに幅広く...
以前にご恵贈頂いていた木村聖(きむら・きよし)句集『冬の蠅』(平成9年10月10日の刊行)と、本日、ぱったり目が合った。 目次を見ると、冬、春、夏、秋、終章 再び冬の構成である。 見開き1句で、右に俳句、左に詩のよ...
春に「竹の秋」という季題がある。春4月ごろのことで、竹は他の植物とは逆に、この頃に葉が黄ばんでくる。他の植物が秋に紅葉、黄葉するのに似ていることから「竹の秋」という。 一方、秋の「竹の春」という季題がある。秋に葉が青...
陰暦3月15日(現歴4月15日)は梅若忌。謡もしないし能「隅田川」も観たことはないのに、この物語のあらすじは小学生の頃には知っていたように覚えている。私が寝入るまで布団に入って物語を聞かせてくれたのは、なぜか、母でなく...
晩春は暑くなく、寒くもなくちょうどよい気候で、勤め帰りもそこはかとなく明るい。このような日の夕暮れ時を「たそがれ時(黄昏時)ともいい、これは夕焼けで薄暗い中、景色が黄金色に輝く時間帯を示す言葉である。「逢魔時(おうまが...
今日は季題「春の闇」を考えてみよう。春の夜は、水蒸気を含んで朧になり、夜気も肌にやわらかく、何とも艶である。暮れる時間もだんだん遅くなる。電球を灯していた頃は、電燈の笠の下は明るいが、天井の方は薄暗かったし、周りは薄暗...
平成29年4月の例会で、「句集、何時出るの?」とお聞きしたら「シーっ!」と仰った杏子さん。ところが、翌々日の月曜日には句集が届いた。驚いたがすぐに読み、忽ち引き込まれた。どの作品も、笑顔、眼差し、話しぶり、物腰の軟らか...
春雨は、『三冊子』には「春雨は小止みなく、いつまでも降り続くやうにする、三月をいふ。二月末よりも用ふるなり。正月・二月初めを春の雨となり。」とあり、静かにしとしとと降り続く晩春の雨が春雨である。草木の芽を育て、花の莟を...
この1ケ月ほど、3月半ばから桜を追いかけていた。桜のソメイヨシノは4月の初めには散りはじめ、白い光景は消えてしまった。すると入れ替わるように桜から葉が出てきた。今年の春はあたたかくなるのも、花が咲いて満開になるのも、花...
小さい寂しさ 武者小路実篤 時々、別に理由もなく寂しさを感じることがある。こう言う時、何か書きたくなる。書くことでその寂しさに打ち克つことが出来る気になる。だからこの寂しさを感じることは悪いこととは...
今日4月8日は、仏生会であり虚子忌である。昭和34年4月1日に脳溢血で倒れた虚子は、お釈迦様の誕生日の仏生会に亡くなられた。墓所は鎌倉扇ケ谷の寿福寺にあり、今井つる女の〈年々の虚子忌は花の絵巻物〉とあるように桜の下で毎...
山田閠子さんは、深見けん二先生が「花鳥来」を立ち上げる準備をなさった「F氏の会」からの会員であり、現在の編集長である。 第4句集『今日の風』のあとがきに、「白寿を迎えられる深見けん二には、「F氏の会」以来身近に置...
わが家の前の電線や庭の大きくなった黄楊(つげ)の木から、このところ雀の短い鳴き声がずっと聞こえている。朝の目覚めの頃なのでありがたいが、雀の子がいるのだろうか。 鳴き声の方を探してみるが、春は雀も子育て中なのか用心し...
桜の花がすっかり終わり、樹下には紅色の桜蘂が落ちている。桜と入れ替わりのように八重桜が数日前から開き始めていた。今日出かけた四季の里公園は、染井吉野の並木が左手の奥へとつづいていて、八重桜の並木は入口近くの坂道のスロー...
春の晴れた日、ぽっかり浮かんだ雲が流れてゆくのを眺めるだけで楽しい。秋のうろこ雲のように春の特有の雲があるわけではないが、淡い雲だったり、赤ちゃんの柔らかなお尻を感じさせる、丸いどっしりした雲を見ることがある。 「雲...
春の音ってどんなものがあるだろうか、歳時記で調べてみた。北国に住む人だったら「雪解け水の音」と答えるかもしれない。茨城県南も街を外れると筑波山が見えて田んぼが広がっている。「畑打ちの音」とか「耕運機の音」と答える人もい...
今朝も、桜街道を走った。満開の桜は風が吹くたびに花吹雪となる。そうした中に少しずつ葉芽(ようが)から葉となって緑色が覗きはじめている。白っぽい桃色一色の軽やかさを見せていた桜の樹々は、ほんの僅かな変化にもどことなく重さ...
もう2週間ほどになろうか。取手から守谷をぬけて国道の入口まで続いているのが、ふれあい道路である。桜並木と銀杏並木が半々くらいで連なっているが、今やっと、桜が満開になってきた。 第四百八十九夜の「千夜千句」で紹介し...
陽炎とは、雨降りの後など水蒸気が地面から蒸発して上昇してゆくとき、空気がかき乱され、それを通して遠くの物体がゆらいで見える現象である。 光の屈折率の変化によって起こる現象で春に限ったものではないが、のどかな感じがするの...
雲雀をはっきり見たのは、茨城県へ転居してからである。東京の友人が遊びに来てくれると、春には必ず小貝川沿いの福岡堰という桜の名所へ案内した。小学校時代からの友人夫婦をお連れしたのは、4月の半ばの晴れわたった日。福岡堰の桜...
立原道造の「暁と夕の詩」から「眠りの誘ひ」の一部を紹介させていただこう。 おやすみ、やさしい顔した娘たち おやすみ、やはらかな黒い髪を編んで おまへらの枕もとに胡桃色にともされた燭台のまはりには 快活な何か...
もう20年も前のこと、早稲田大学坪内博士記念演劇博物館で能面展を観た。木造の古い建物は、次の面へと歩を移すたびに床板はミシミシと音をたてる。お客は私1人という静かな会場の、隅っこに監視員の男性が1人、退屈で所在なげに椅...
「千夜千句」が五百夜まで辿り着いた。どうにかこうにかではあったが、コロナ禍のなかで、毎日しなくてはならないことがある喜びはありがたかった。 さて、後半に向かって、飛び立とう。 初蝶、蝶の姿を見かけることはあるが...
昭和3年4月、高浜虚子は、大阪毎日新聞社講演で「花鳥諷詠」と提唱し、「季題(花鳥=自然)を詠む特殊な文芸」という俳句観を示した。花鳥諷詠を唱導した後の虚子の俳句観は、その後は生涯にわたり変わることなく貫いた。 虚子は...
四Sの活躍する第二期黄金時代直前の大正9年、京大生の日野草城が「ホトトギス」に先ず颯爽と登場する。インテリ青年層が活躍する幕開けであった。関西では大正9年、日野草城と鈴鹿野風呂を中心に「京大三高俳句会」が生まれ、東京で...
大正4年4月から6年8月まで虚子は、明治45年(大正元年)に再開した雑詠欄の、創設以降の巻頭作家から32人の各人評を「ホトトギス」に「進むべき俳句の道」と題した連載で作家論を書いた。その作家論は、「ホトトギス」の花形作...
明治28年12月に虚子は子規から呼び出され、道灌山の茶屋で子規から俳句の後継者となることを懇願されたが、虚子は拒否した。何度目かの拒否であったが、それ以後は、後継者問題を拒否された子規も拒否した虚子も、俳句の革新に邁進...
今日は、『五百句』の明治時代の後半の作品を2句紹介しよう。 正岡子規が明治35年9月19日に亡くなった。だが子規により始まった俳句革新は未だ途中であった。子規の遺したものの1つは雑誌「ホトトギス」で、既に虚子が引き継...
虚子の句集は、明治、大正、昭和10年までの第1句集『五百句』、昭和11年から15年までの第2句集『五百五十句』、昭和16年から20年までの第3句集『六百句』、昭和21年から25年までの第4句集『六百五十句』、昭和26年...
今日3月20日は、春分の日、お彼岸の中日である。雨が今にも降り出しそうな静かな日となった。秩父にあるお墓には、年一回、天気のよい日にドライブ気分で墓参りに行くことにしている。今年も去年のように秋の頃に行こう。お仏壇には...