第三百九十三夜 夏目漱石の「海の城」の句
12月9日は、夏目漱石は、慶応3年(1867)-大正5年(1916)、最後となった小説『明暗』の執筆中に胃潰瘍のため49歳で死去。この日を漱石忌という。 漱石の俳句数は、『漱石全集』によれば生涯で2527句。明治28...
12月9日は、夏目漱石は、慶応3年(1867)-大正5年(1916)、最後となった小説『明暗』の執筆中に胃潰瘍のため49歳で死去。この日を漱石忌という。 漱石の俳句数は、『漱石全集』によれば生涯で2527句。明治28...
昭和16年12月8日、日中戦争の行き詰まりの打開のため、日本はアメリカ合衆国とイギリスへ宣戦布告した。この日を第二次大戦の開戦日とした。 私は、昭和20年11月の生まれで、全くの戦後派として育っているので、社会科の授...
本日12月7日のニュースで、有馬朗人先生が亡くなられたことを知った。90歳であった。同じ山口青邨門下の深見けん二先生の「花鳥来」の会員の私は、やはり、有馬先生とお呼びする。 平成7年、あらきみほ句集『ガレの壺』の刊行...
12月上旬、今日は晴天。ちょっとの買い物が、筑波山を広々と見わたす枯田道へと遠回りになってしまった。長く続く銀杏並木は半分は散り半分は黄葉が朝日にちらちら照らされて美しかった。主婦の短い家出もたのしいもの。 今宵は、...
奥田智久氏の俳号は、本名の「智久(ともひさ)」を(ちきゅう)と読む。もう大分前のことで作品を正確に思い出すことができないが、作品の雰囲気から「智久」を「地球」のように感じたことがあった。 今宵は、奥田智久氏の作品...
千原草之氏を知ったのは、最初は、虚子の小説「椿子物語」の主人公となった千原叡子さんのご主人であり、また、昭和22年に波多野爽波をリーダーに結成された関西の「春菜会」のメンバーであることであった。虚子は同時に、東京の「新...
「冬の日」と「冬日」の違いを考えながら例句を探していて、『山口青邨季題別全句集』の中に、〈冬の日のかなしや半日村といふ〉の作品に出合った。「半日村」って何だろうと調べているうちに児童文学作家の斎藤隆介、切絵作家の滝平二...
12月2日と3日のまる二日かけて行われる大掛かりな秩父神社の祭は、曳山祭と言われ、笠鉾と山車の6基が、秩父屋台囃子の奏されるなか、夜を徹して市中を練り歩き、御旅所まで渡御する。花火も盛大に打ち上げられるそうだ。 この...
今日は12月1日の師走。カレンダーを捲ると、わが師深見けん二の色紙であった。見事な冬晴れの朝一番に〈わが頬を燃やし励ます冬日かな〉の作品に出合って、うきうきしてしまった私は、久しぶりにお声を聞きたくなり、お電話をかけて...
このところ、割合に晴天が続いてをり、時には雲間から覗く月夜もあったが、日に日に丸くなり今日は冬満月だ。夜の9時には雲も消え、一等星の星たちも霞むほど、月は明るく黄金色に輝いていた。 今宵は、冬の月の作品5句を紹介して...
11月も終わり頃になると、晴れた日の茨城県南の夜空は、澄んでいた秋の空よりもずっと沢山の星々が輝くようになった。北斗七星は南の正面に見える。 秋よりも夜空が澄んでくるのは凩が吹く霜夜。よく光る荒星となるから、小学校や...
松澤昭氏の略歴には、氏の俳句の特長として、季定型を守りつつ、写生を超えて心象風景を描きだす「心象造型」を唱えた人であると書かれていた。 写生を超えた心象風景とはどういうものなのだろう。 写生による描写があってこその...
そろそろ12月、冷たい風が吹いていよいよ寒さと戦う季節が近づいてきた。 風は、寒風、北風、からっ風、凩(こがらし)、もがり笛、虎落笛(もがりぶえ)、鎌鼬(かまいたち)、しまき、などがある。また地方特有の名もある。 ...
数日続いた曇りがち雨がちの天候とは打って変わって、今日は小春日和となった。わが家の北側のふれあい道路の銀杏は完全に黄葉し、幹の内側から滑るように散っている。とっても素敵なのに市役所から清掃車がやってきては、車道の落葉を...
富安風生の特長の一つは軽妙洒脱である。 『自句自解富安風生集』によれば、ホトトギスにおいて、高浜虚子における去来的存在であった田中王城から、風生俳句の破格破調の句に対して、「かくて若い者は風生と共に地獄に堕ちる」とい...
茨城県に越してきて、句会に出られず俳句の仲間とも会えない頃、毎日のように今思うと認知症になりかけていた母と先代の栗犬オペラを連れて、ほぼ毎日のようにドライブしていた。 全国2位という米所は、一面の苅田。そこへ代わりば...
利根川に沿って、ふれあい道路がある。半分は桜で半分は銀杏の街路樹だが、今は銀杏黄葉となって散りかかり降りしきっている。落葉も遅速があり、往復の景色も、朝日の頃と夕日の頃とを考えて買い物の時間をずらしている。 この、ち...
大学時代からの友人であるヒロコ・ムトーさんは、作詞家、ミュージカル作家、エッセイストであり、大変な猫好きでもある。最初の猫の五右衛門(ごえもん)は、チンチラ・シルバー種の白い美しい猫で、何とメス猫。この猫を飼うことにな...
時雨は晩秋から初冬の頃に、晴れていたかと思うと一瞬に曇りさっと降り、また晴れるといった雨で、通り雨ともいう。語源は「しばしば暮れる」「過ぐる」だそうである。 「初時雨」は、「初」の1文字のあることでいよいよ時雨の季節...
今朝の犬の散歩でのこと、いつも畑道を抜けてゆくが、道の濡れ方が不思議であった。途中までは濡れていないのにその先に雨の降った形跡がある。関東平野の真ん中にある守谷市は、白雲や黒雲が通り過ぎてゆくがよく見える。黒雲の下にさ...
北海道は、旅行で一度だけ訪ねた大地だが、知床へ向かうバスからの暮れてゆく大空の広大な景色に何とも言えない感動をおぼえた。東から、どんどん暗くなり黒くなってゆくが、ふり返ると西の空は明るく、徐々に赤味を帯びていった。 ...
嶋田麻紀さんが未発生脳動脈瘤の開頭手術をされたことは、お送りいただいている2020年8月号「麻」の随筆で知った。夫の荒木清が真っ先に読むが、「麻」を読むや、驚いた様子で「君も読みなさい」と、冊子をわたしてくれた。 コ...
今日、埼玉県寄居にある父母の墓参りをしてきた。秩父が好きな父が墓所を求めたのは、当時練馬区に住んでいて関越自動車道を走れば、元気な頃は簡単に秩父へも遊びに行けるし、遺された者にとって墓参りにも行きやすいと考えたからだ。...
日原傳氏は、有馬朗人先生がご指導されていた東大俳句会に、一時、私の長女も在籍していたことから、お名前は存じ上げていた。 この度、『蝸牛 新季寄せ』の中に、「零余子」の作品を見つけて懐かしく思い出した。 今宵は、日原...
中村草田男は、「千夜千句」の第四十六夜で「秋の航」の句を書いていて、今回は2回目である。だが1回だけでは草田男俳句の魅力は伝えられないし、私自身も解らないことが未だたくさんある。 草田男の弟子であり「方舟」主宰であっ...
鈴木鷹夫氏は、蝸牛社の『秀句三五〇選 遊』の編著者としてお世話になっていた。お亡くなりになられ、奥様の鈴木節子様が結社「門」を継承されていることを知った。 秀句三五〇選シリーズを眺めているとき、『友』に〈八方に友得て...
もう10年以上も前になるが、高遠城址公園の桜の満開の頃に出かけた。コヒガンザクラの赤みがかった桃色の花びらは小さめで品がある。園内には句碑も多く、その中に河東碧梧桐の句碑もあった。おおらかな文字はいつ見ても好きだ。 ...
田中禮子さんは、光が丘NHKカルチャーセンターの深見けん二先生の俳句教室に私より3年後に入会された。1ヶ月後の教室で、「あなた、もしかして◯◯ミホさん・・?」と旧姓で訊かれた。 驚いたことに、禮子さんは青山学院高等部...
昨夜の第三百六十四夜の中で、阿部青鞋の〈くさめして我はふたりに分かれけり〉を紹介した。今までになかった独特の発想にうれしくなり、書棚の『ひとるたま』を取り出して読み直した。 改めてプロフィールを読み、青鞋氏の「随想」...
コロナという病魔が、じつは何だかよく解っていないまま、長い閉じ込められた日々が続いている。2月からいきなりステイホーム、リモートワーク、テレワークなどの片仮名用語、#(ハッシュタグ)の記号が新聞やテレビに飛び交っている...
椿が好きな私が、花の時期も重なっていて葉や花の形の似ている山茶花のことを知りたいと思うようになったのは、茨城県へ越してきてからであった。しばらくは東京まで車で往復して仕事をしていたが、ハイウェイを下りて家まで、40分ほ...
小林貴子さんは、蝸牛社の秀句三五〇選シリーズの『芸』に編著者としてお書き頂いた。『虫』をお書きくださった、貴子さんの師である「岳」主宰の宮坂静生先生の原稿とともに、編集整理をしていた日々を思い出している。 今宵は...
昨日は「立冬」の日付を間違えてしまった。今朝になって気づいて訂正させて頂いたが、本日の11月7日が「立冬」であった。季節を大切に俳句を詠む皆様に、私は、俳句に携わる者としてあるまじき間違いをしてしまった。申し訳ございま...
明日11月7日は立冬。私は11月生まれ、しかも立冬直後の頃に生まれているので、晩秋から初冬の晴れた日などは身体中の細胞が喜んでいるのを感じるほど。季題の主題は「立冬」、傍題に「冬に入る」「冬来る(ふゆきたる)」「冬立つ...
松本つや女は、ホトトギスで活躍した松本たかしの妻である。昭和4年、病み勝ちのたかしの看病のために鎌倉浄妙寺に住込み住込みの派遣看護師となりやがて二人は結婚する。 私は、松本たかしの俳句が好きで、大分読んでいたと思った...
今日、みすず書房刊『現代俳句全集』をぱらぱら捲っていて、中川宋淵に出合った。お名前は知っていたし、蝸牛社刊『秀句三五〇選』シリーズにも、登場している。だが、宋淵が飯田蛇笏門であり臨済宗の禅僧であるということは初めて知っ...
今朝も、ふれあい道路を守谷から隣駅の取手まで走ってパン屋に行った。美味しい店だからわざわざ行くのだが、15キロの道のりの3分の2は銀杏並木が続いていて、少しずつ黄葉が進んでいる。これが見たくて、私は、毎日のささやかな吟...
酉の市とは、11月中の酉の日に行われる鷲神社(おおとりじんじゃ)の祭礼で「お酉さま」といって親しまれている。東京浅草の鷲神社が最も名高く、この日は熊手や唐の芋などの縁起物の露店が参道を埋め、雑踏をきわめる。初酉を一の酉...
夫の畑にも庭の隅にも、小菊がびっしりと蕾をつけて先の方に花の色がほんのり見え始めている。茨城県南の守谷市に越してきてはや15年が過ぎ、もう気分はすっかり地の人である。 畑を作りはじめたのは、越して直ぐだ。夫は、地元の...
今日は、11月1日の「万聖節」の前夜祭。かつてはカトリック教会の祝日の1つで、万聖節の夜は日没から1日が始まるとする文化である。ことにアメリカに根付いた祭日で、日本にはアメリカ文化とともに入ってきた。 カボチャをくり...
能村登四郎は2度目の登場になるが、知的であり、どこかにこっとするユーモラスな面もあり、身体中に和歌という古典の調べが染み込んでいる良い作品に出会ったら、やはり何度でも紹介したくなる。 秀句三五〇選シリーズの中でも、ほ...
荒木田守武は山崎宗鑑とともに、戦国時代に松尾芭蕉に先立って俳諧の始祖と呼ばれていた。俳諧とは、もともとの連歌にはなかった卑俗的で滑稽を詠むために生まれたものが「俳諧連歌」であり、略して「俳諧」と呼んだもの。 俳諧連歌...
佐藤和枝さんは、蝸牛社の『秀句三五〇選 画』の編著者として素晴しい俳句を集め、鑑賞してくださった。版画家のお兄様は版画のモチーフを得るために詩を書いているといい、和枝さんは吟行にゆくと、簡単なスケッチをするという。 ...
高浜年尾は虚子の長男である。虚子は、2男6女という子沢山で、しかも子煩悩でつとに有名である。 大正9年、年尾が小樽商業高校に在学していたとき、丹毒で高熱を出した年尾の看病に駆けつけたことがあった。 次女の星野立子は...
もう10年ほど前になるが、平成21年、山梨県清里の標高1000米の里山に住む植物細密画家の野村陽子さんの『細密画で楽しむ 里山の草花100』(中経出版社刊、中経文庫)を企画し、細密画に添える文章を担当した。 作品を見...
水島直光さんが、深見けん二主宰の「花鳥来」と「花鳥来」の小句会「青林檎」に入っていらしたのは、平成7年である。第1句集『風伯』の序文に「花鳥来」に入会された経緯が書かれているが、直光さんは、高校の国語の先生で昼間は例会...
渥美清が俳句をしていることを知ったのは、雑誌だろうか、徹子の部屋だろうか、それとも「葛飾柴又寅さん記念館」だったろうか。雑誌「アエラ」主宰の「アエラ句会」ほか幾つかの句会で熱心に取り組んでいたという。俳句もいろいろ、だ...
数日前から、黛執(まゆずみ・しゅう)さんの作品を集めていて、今宵のブログに書こうとしていたとき、訃報が目に飛び込んできた。 驚いて夫に告げると、「そうか。お会いしたことがあったな。銀座の、鈴木真砂女さんの店の「卯浪」...
俳誌「みちのく」主宰の原田青児さんを思い出すときは、薔薇の咲くころである。たとえば、「みちのく」の会員の句集を蝸牛社から作らせて頂いたときのことだ。手紙のやり取り、完成した本をお送りしたとき、必ずのように薔薇のカードが...
多田裕計(ただ・ゆうけい)は、早くに芥川賞を受賞した小説家であるが多作家ではなかった。 師事した横光利一も小説家であり俳人で、裕計は、昭和10年頃に作られた横光利一の主宰する「十日会句会」に所属した。句会には小説家志...
角川『新版・俳句歳時記』の中の八木林之助の句に、「母を置きざり」の措辞を見つけた。母と息子は、母と娘よりもう少し複雑な関係である。娘よりずっと母恋の心は強く、その反面、近寄りたくない気持ちも強いというややこしさがある。...
今宵は、2度目となるが、ホトトギスの俳人京極杞陽の「震災忌」の作品から紹介してみよう。 わが知れる阿鼻叫喚や震災忌 昭和33年 電線のからみし足や震災忌 関東大震災で一度に祖父母、父母、弟妹を失ったショ...
蝸牛社のシリーズの、渡辺恭子編著『秀句三五〇選 香』の中で、江戸時代中期の俳人・大伴大江丸の作品に出合った。見たことのある名前だったので『俳文学大辞典』で調べてみた。 飛脚問屋として日本一というほど手広く商売した人物...
昨夜、河東碧梧桐の妻茂枝の兄の青木月斗を紹介しているうちに、碧梧桐の初期の頃の作品に触れてみたくなった。碧梧桐は7歳の時に、兄を訪ねてきた正岡子規と初めて出合っている。その時の子規の、横に切れた目と、への字に曲がった口...
青木月斗を知ったのは、蝸牛社から滝井孝作・栗田靖編『碧梧桐全句集』を出版した時であった。高浜虚子晩年の弟子の深見けん二の下で俳句を学んでいる私が、虚子のことを学ぶようになったのはその後である。 河東碧梧桐を調べていく...
泉鏡花の俳句を『秀句三五〇選 香』の中に見つけて、私は、映画『外科室』を思い出した。 最初の場面は、私もよく通った小石川植物園の古木の躑躅の道である。主人公の伯爵夫人がお伴を連れて歩いている、そこですれ違ったのが高峰...
皆吉司さんは、ホトトギスの俳人であり俳誌「雪解」の主宰であった皆吉爽雨の孫である。蝸牛社のシリーズでは、第23巻『秀句三五〇選 笑』の編著者として参加してくださった。 俳句の「笑い」を、次のような独特な表現で捉えてい...
今日は10月13日、日蓮忌。『蝸牛 新季寄せ』の忌日一覧の中で、篠原然さんの作品に出合った。 御会式の怒涛の中に立つてをり 第1句集『佐久の空』 (おえしきの どとうのなかに たってをり) 「御会式」...
松尾芭蕉が亡くなったのは、元禄7年10月12日。陰暦なので陽暦では11月12日。季語は冬である。しかし虚子は、昭和11年10月12日の句会「笹鳴会」で「芭蕉忌」の作品を投句している。 芭蕉忌や遠く宗祇に遡る 『五...
志解井司は、本名の姓の重石を分解し、志解井「しげい」、最後の「し」を「司(つかさ)」と読ませて俳号にした。 読書、書籍集め、原稿書き、晩酌が日常の人であった。俳句はその中の1つで、全ての俳句雑誌を毎月取り寄せて、投稿...
大きな台風14号が、日本の南の海上でグイーっと曲がって、どうやら直撃はなさそうである。しかし大きな円のどこまでが余波なのか、降っては止み降っては止み、気温は11月並に急降下している。 大型犬の黒ラブは、このところ、冬...
赤城さかえ、という名前なので、男性だと知ったのはかなり後のことであった。 私の父もまた戦前からの共産党員であり、俳句もしていて新俳句人連盟にも所属していたので、いつからか俳人赤城さかえを知るようになったが、こうして作...
令和2年8月、長崎県島原市にある夫の両親の墓参りをした。妹夫婦の案内で島原、雲仙、長崎を案内してもらったが、中2日という短い旅であり、遠回りをすれば日見峠の「去来の芒塚」を見ることはできたが、ハイウェイをぬけて長崎市へ...
今宵も、昨日に続いて蝸牛社刊のテーマ別シリーズから、辻桃子編著『秀句三五〇選 酔』を紹介してみようと思う。 「酔」の入っている作品は案外に少なかったという。「酔」のテーマの句をどのように探したか、一部であるが、桃子氏...
10月始めからの月を追いかけて、草臥れて、ここ数日は蝸牛社刊『秀句三五〇選』シリーズを眺めていることが多かった。このシリーズは、先にテーマを決めてから先生方に依頼したものだが、6巻目の「死」の編著者の倉田紘文先生も、こ...
長谷川櫂さんのお名前を知ったのは、夏石番矢編『俳句 百年の問』の中の「季語と切れはオリジナル」(原題『俳句の宇宙』の一部)の文章だったように思う。深見けん二師の下で、「季題」「写生」「切れ」などはかなり厳しく言われてき...
令和2年の10月1日の十五夜、2日の満月と、美しい月夜がつづいた。「雨月」「無月」は、又の機会に書いてみよう。雲量の多い重たいほどの昨日今日だが、満月の出を見にはしゃぎすぎた。 今宵は、「秋の雨」の句を見てみようと思...
菊田一平さんと最初に出会ったのは、石寒太主宰「炎環」の「石神井句会」である。この句会は、2句投句で、1句は当日に題が出される。すこし早めに行くが、お喋りどころではなく、みな必死に考え込んでいる。その人らしい作品が飛び交...
第2句集『華厳』の虚子の序はただ一行、「花鳥諷詠骨頂漢」である。 茅舎は、この序文を非常に喜び、後記に「一本の棒のような序文は再び自分に少年の日の喜びを与えて呉れる。さうして花鳥諷詠する事も亦一個の大丈夫(だいじょう...
地球は、1日に1回、自転しながら1年かけて太陽の周りを回っている。月は太陽の光に照らされて、約1と月かけて地球の周りを回っている。すると、月に太陽の光が当たるのは1と月の半分で、月は15日をかけて大きくなりながら満月に...
平成元年、私の俳句の一歩は、カルチャーセンターの深見けん二教室から始まった。その年の秋、次回の兼題は「虫」であった。 ある夜、仕事が一段落したので、外へ出ようと玄関を開けた。 その途端だ。鳴く虫の一斉攻撃に襲われた...
出会った鰯雲で、今でも思い出すのは、寄居の父母の墓参からの帰途、関越自動車道の花園インターチェンジに入った直後から、長くて巨大なスケールの鰯雲の下をかなり長いこと並走したことである。 鰯雲を眺めていると、いろいろな気...
今宵は、飯田蛇笏と芥川龍之介の俳句を通しての交友を見てゆこう。 たましひのたとへば秋のほたるかな 『山廬集』 この作品は、前書に「芥川龍之介氏の長逝を深悼す」とある。俳句に始まり、文通を交わしていた友が、自害した...
今宵は、倉田紘文編著『秀句三五〇選 水』より、作品を紹介してみよう。 1句目の豊長みのる氏は、昭和6年神戸に生まれ、俳句は山口草堂に師事。昭和61年に「風樹」を創刊主宰。蝸牛社刊の豊長みのる編著『秀句三五〇選 音』が...
今宵も、「女」を詠んだ虚子の句を紹介してみよう。 稲妻をふみて跣足の女かな 『五百五十句』昭和12年 (いなづまを ふみてはだしの おんなかな) 昭和12年9月11日。二百二十日会は、丸ビル集会室で行われた。 ...
『喜寿艶』は、虚子が77歳の喜寿を記念して造られた句集である。明治26年から昭和24年までの77句プラス制作年不詳の1句を加えた78句が収められていて、奇数ページには虚子の自筆、偶数ページには作品と短い自解が入っている...
2年前のこと。詩人の父・沢渡恒(さわたり・ひさし)さんと詩人の母・坂窗江(さか・まどえ)さんを両親に持つ沢渡梢さんから、私は、300通のラブレターの束と、両親の詩集と、若くして亡くなられた父・沢渡恒の戦後の小説を見せて...
団栗(どんぐり)の句を探していた。「木の実(このみ)」とは、どう違うのだろう。 講談社の『カラー図説 大歳時記』を始め、歳時記や季寄せには、「木の実」と「団栗」は別の項目が立てられている。だが、山本健吉の『山本健吉 ...
大学の英文科1年生の科目の1つに英語音声学があって、教えてくれたのは老教授であった。母音や子音の発声を、実際に音を出す口の形で教えてくれた。[u]を発音するときは口を窄めて突き出す形になるから、19歳の女生徒たちは皆、...
朝晩の犬の散歩では、ようやく、秋風を感じる日々となってきた。明日は秋分の日。太陽が黄経180度の秋分点を通過する日で、この日までは昼が長く、夜が短いのであるが、秋分の日に昼夜が等分となり、それからは徐々に夜の方が長くな...
植物の名を詠み込んだ俳句の中で、一番先に名の面白さに惹かれたのが高浜虚子の「吾亦紅」であった。所属結社の「花鳥来」で、私が、高浜虚子編『新歳時記』の中から選んで一句鑑賞をした作品である。 今宵は、花の名の由来を考...
昭和24年、高浜虚子は疎開先の小諸から自宅の鎌倉へ戻ってきた2年後に詠んだ、「銀河」の一連の作品がある。詩情に惹かれつつ、句意をはっきり掴むことはできなかった。 夜空を仰ぐことは大好きだが、月の大きさと夜空での月の位...
笹目翠風さんが、平成7年から平成30年まで主宰をしていた「礦(あらがね)」誌上で、私は、虚子研究の原稿を長く書かせていただいていた。 翠風さんの師である清崎敏郎(きよさき・としお)と私の師の深見けん二は、昭和29年よ...
明治28年、新聞「日本」の記者であった正岡子規は、明治27年に勃発した日清戦争の従軍記者として志願して出兵した。どうしても自分の目で戦というものを見て確かめておきたかった。 だが、朝鮮半島へ到着したときには戦争は終わ...
長谷川櫂氏の編著書『現代俳句の鑑賞101』の中で、私は、初めて上野一孝さんの俳句にお目にかかった。そして25句の最後の、「龍の玉」の句に惹かれた。 「龍の玉」と言えば、高浜虚子の〈龍の玉深く蔵すといふことを〉の句を思...
今日9月15日は、平成14年までは「老人の日」と呼ばれ、日本の国民の祝日の一つであった。その後、平成15年からは、「敬老の日」として9月の第3月曜日となった。今年の敬老の日は、土日、敬老の日、秋分の日と4連休となる人が...
今年の9月は、残暑が厳しすぎて、まだ本当の「秋晴」を感じる日はなかったように思う。 「秋晴」の例句を探していて気づいたことは、主題「秋晴」と、傍題に「秋日和」と「秋の晴」があったことである。 「秋の晴」という言い方...
今晩、友人の友人が企画制作した「オランウータン孤児 ”いのちの学校”」というNHKの報道番組を観た。 密猟や乱獲のため母親を奪われて置き去りになったオランウータンの孤児たちは、そのまま放っておけば死んでしまう。オラン...
昨日は二百十日。残暑も厳しく、この頃には台風もよくやってくるという日で、夜空には、星も、まして天の川(銀河、銀漢)がはっきり見えるほど澄んではいない。 夜の9時にゆく犬の散歩では、ここ数日、地平から半分ほどは雲で覆わ...
今宵は2度目となるが、中経出版刊の『名句もかなわない 子ども俳句170選』から秋の句を紹介してみよう。 台風がいねのドミノをたおしてく 小5 小関正憲 下段に書いた、あらきみほの短文である。 「ノンちゃん...
取手市の利根川は、広い河川敷が緑地運動公園となっていて、どんど焼き、凧揚げ大会、花火大会など様々な行事が行われる。東京から越してきた当初は、なにもかも珍しくて、情報が入るや、犬の散歩も兼ねて、どんな行事も見に出かけた。...
平成14年、金子兜太監修・あらきみほ編著の『名句もかなわない 子ども俳句170選』が中経出版社から刊行された。それ以前に、蝸牛社から『子ども俳句歳時記』『小学生の俳句歳時記』を金子兜太監修の下に出版している。 子ども...
『自註・菊池麻風集再誦』は、平成29年10月30日、俳誌「麻」50周年記念会の1年後、嶋田麻紀主宰より贈呈くださったものである。 本著のあとがきに、嶋田麻紀主宰は、こう書いている。 「この『自註・菊池麻風再誦』は、...
百万本と石寒太さんとの出会いは、石寒太主宰の結社「炎環」が生まれる前からの、思い出してみれば、出版の仕事を通じて知り合った長い付き合いである。 当時は、会えば酒席となり、話は延々と弾み、出版の企画が生まれ、俳句の企画...
虚子『五百句』輪講の、「野分」の作品鑑賞は、私あらきみほが担当した。 ここ数日、これまでにない大型の台風10号が奄美諸島、沖縄近くにきて、これから九州の西側を縦断して朝鮮半島に向かうという。ニュースでは、台風の大きさ...
加古宗也さんは、出版社蝸牛社が新しい俳句シリーズをスタートしたテーマ別『秀句三五〇選』で、第9巻目の「月」の編著者として書いてくださった。 最初にお目にかかったのが、愛知県西尾市のご自宅で、当時は義父であり俳句の師で...
井上まことさんの著書『季語になった魚たち』をもう少し見ていこう。お惣菜として食べている魚であるが、漁師たちが釣り上げた後の、魚の美味しさを逃さない工夫の行程など、私が知らずにいたことがたくさんある。 年末のお歳暮用品...
井上まことさんの義父は「夏草」主宰であった山口青邨である。 25年以上も前になるが、当時、私も所属していた斎藤夏風先生の「屋根」の句会でお会いして、お話をさせて頂いたことを思い出している。その後、著書『季語になった魚...
昨夜9月1日、犬の散歩で玄関を一歩出るや、私は、虫たちの声にわーんと囲まれた。不思議だったのは、虫たちの声が草むらの中からではなく、もう少し高いところからの一斉に鳴いている「わーん」とした声であったことだ。 虫の声が...
私が、島村元を知ったのは、ホトトギスの本田あふひの甥であることを知った後である。あふひの夫の本田親済男爵の妹の長男が島村元であった。本田親済と同じく、虚子と能の仲間であり鎌倉能楽堂をともに建てた父島村久の影響で、元は俳...